ベンジャミン・フランクリン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 08:44 UTC 版)
ベンジャミン・フランクリン Benjamin Franklin | |
---|---|
ベンジャミン・フランクリン(ジョゼフ・デュプレシ画) | |
生年月日 | 1706年1月17日 |
出生地 | イギリス領北米植民地、マサチューセッツ湾直轄植民地ボストン |
没年月日 | 1790年4月17日 (84歳) |
死没地 | アメリカ合衆国、ペンシルベニア州フィラデルフィア |
現職 | 政治家、物理学者 |
配偶者 | デボラ・リード |
サイン | |
在任期間 | 1775年7月26日 - 1776年11月7日 |
在任期間 | 1785年10月18日 - 1788年11月5日 |
在任期間 | 1779年3月23日 - 1785年5月17日 |
在スウェーデンアメリカ合衆国全権公使 | |
在任期間 | 1782年9月28日 - 1783年4月3日 |
勤勉性、探究心の強さ、合理主義、社会活動への参加という18世紀における近代的人間像を象徴する人物。己を含めて権力の集中を嫌った人間性は、個人崇拝を敬遠するアメリカの国民性を超え、アメリカ合衆国建国の父の一人として讃えられる。『フランクリン自伝』はアメリカのロング・ベストセラーの一つである。
家族と生い立ち
ベンジャミン・フランクリンの父親、ジョサイア・フランクリンは1657年12月23日にイングランド王国のノーザンプトンシャー、エクトンで鍛冶屋および農民のトマス・フランクリンと妻のジェーン・ホワイトの間に生まれた。フランクリンの母親アビア・フォルジャーは1667年8月15日にマサチューセッツ湾植民地ナンタケットで製粉業者および教師のピーター・フォルジャーと妻のメアリー・モリス・フォルジャーの間に生まれた。
1677年頃にジョサイアはエクトンでアン・チャイルドと結婚した。1683年の後半に夫妻はイングランド王国を発ち、イギリス領北米植民地のマサチューセッツ湾植民地ボストン市に向かった。
アンはボストンで7月9日に死去し、ジョサイアは11月25日にアビアと再婚した。有名な凧揚げ実験は、本人ではなく彼の婚外子が行っている [1]。
年譜
- 1706年1月6日(ユリウス暦)、ボストンのミルク・ストリートで生まれる。父親のジョサイア・フランクリンは獣脂ろうそく製造を行っていた。ジョサイアは二度の結婚で17人の子供をもうけた。ベンジャミンはその15番目であった。
- 1716年、10歳で学校教育を終える。
- 1718年、『ニュー・イングランド・クーラント』紙を印刷出版していた兄のジェームズの徒弟となった。その後、次第に記者や編集者として頭角を現した。同紙の自由主義的論調により兄が投獄されたときは、代わりに発行人となったこともある。
- 1723年1月、総会(ジェネラル・コート)はジェームズにボストン市内での印刷を禁止する命令を出した。しかし印刷屋の名義を兄からベンジャミンに替え、クーラント紙を継続した。ベンジャミンは兄との何度かの喧嘩の末に縁を切り、ボストンを出ることを決意した。同年秋にボストンを後にし、当初はニューヨークへ向かったが印刷工の職はなく、すぐにフィラデルフィアに移って職を得た[2]。
- 1724年、知事の勧めによりロンドンに行き、植字工として働く。
- 1726年に帰国、印刷業を再開する。
- 1729年、植民地時代もっとも読まれていた『ペンシルベニア・ガゼット』紙を買収。アメリカ初のタブロイド誌を発行。
- 1730年、フィラデルフィアのセントジョーンズ・ロッジ(St. John’s Lodge)にてフリーメイソンに入会[3][注釈 3]。
- 1731年、フィラデルフィアにアメリカ初の公共図書館(フィラデルフィア組合図書館)を設立する。この図書館は成功を収め、これを規範にアメリカの他の都市にも図書館が開設されるようになった。
- 1734年、『貧しいリチャードの暦』[注釈 4]を発案し、よく知られるようになった。[4]
- 1734年、ウォーター・ストリートのタン・タヴァンのフリーメイソンリー(フリーメイソン)のロッジで、グランド・マスターに選ばれた。
- 1737年、フィラデルフィアで郵便局長に就任。
- 1743年、アメリカ学術協会を設立した。
- 1748年、印刷業から手を引き、公職に専念するようになる。ペンシルベニア植民地議員や郵便総局長をつとめた。啓蒙思想の普及に身をささげた。
- 1751年、フィラデルフィア・アカデミー(後のペンシルベニア大学)を創設。
- 1753年、英領北米郵政副長官。
- 1754年に勃発したフレンチ・インディアン戦争ではイギリス軍のための軍需品調達に奔走した。オルバニー会議で植民地の連合計画を提案。
- 1757年、植民地の待遇改善を要求するためにイギリスに派遣された。このとき、彼の科学的な業績を称えオックスフォード大学にて名誉学位を授与されている。
- 1761年、ガラス製の楽器 グラス・ハーモニカ を発明
- 1775年、大陸会議から初代郵政長官に任命され、1年3ヶ月間務める。
- 1776年、アメリカ独立宣言の起草委員となり、トーマス・ジェファーソンらと共に最初に署名した5人の政治家のうちの1人となった。独立戦争中は、パリのパッシー(現在のパリ16区)に一時滞在した。パリの社交界を中心に活動し上流階級の女性の人気を得た。当時のマナーである鬘を着けず、田舎風の毛皮の帽子をかぶりパリの社交界に現れたとされているが、これはフランス人のもつ「古い文明に毒されない素朴な人々」というアメリカ人のイメージを利用したという逸話がある。その後欧州諸国との外交交渉に奔走。独立戦争へのフランス王国の協力・参戦と、他の諸国の中立を成功させる。
- 1778年4月7日 パリでヴォルテールをフリーメイソンリーに入会させる。
- 1783年4月3日 パリで中立国のスウェーデンとの間でアメリカ・スウェーデン友好通商条約を締結する。
- 1783年9月3日 同パリでイギリスとの間でアメリカ独立を承認するパリ条約の使節団一員として参加。
- 1790年4月17日 フィラデルフィアで、84歳で死去。葬儀は国葬であった。
注釈
- ^ 出生国の宗主国イギリスは新教国であり、グレゴリオ暦改暦は1752年に遅れたので、改暦前の事象であるフランクリンの出生はユリウス暦を併記する。ただし、改暦前のイギリスでは年初が3月25日であったため、1月生まれの場合、ユリウス暦年の数字はひとつ小さくなる(現代日本における「早生まれ児童の学校年度」と似ている)。
- ^ a b ただ、フランクリンが実際に凧の実験を行ったのかを疑問視する専門家もいる。なお、この実験を提案したのはフランクリンだが、初めて成功したのは1752年5月、フランスのトマ・ダリバード(en:Thomas-François Dalibard)らである。ダリバードらはフランクリンの提案に従って、嵐の雲が通過するときに鉄の棒(避雷針)から火花を抽出した。フランクリンが凧を用いて同様の実験を行ったのは同年の6月、または6月から10月までの期間である。(アルベルト・マルチネス「科学神話の虚実」)
- ^ 当時の最古の記録は「ベンジャミンが5ヶ月分の会費を払った」という内容だった
- ^ あらゆるジャンルの教訓とユーモアとことわざの寄せ集めはアメリカ人の道徳的手本となった
- ^ フィラデルフィアはクエーカー教徒が建設した土地であり、フランクリンもクエーカー教徒であり、そこに住み、アメリカ人の価値観に宗教的背景として世俗化されたカルヴィン主義の美徳を植え付けるのに貢献した[12]。
- ^ アメリカ海軍の伝統的艦名ボノム・リシャールの由来。
出典
- ^ あなたが知らない10の歴史秘話(ヒストリーチャンネル)
- ^ ナッシュp.73 ボストン脱出
- ^ Famous Freemasons A-L
- ^ フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編者、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』II ルネサンスー啓蒙時代 原書房 2004年 408ページ
- ^ "Franklin; Benjamin (1706 - 1790)". Record (英語). The Royal Society. 2011年12月11日閲覧。
- ^ 堤之智. (2018). 気象学と気象予報の発達史 ベンジャミン・フランクリン. 丸善出版. ISBN 978-4-621-30335-1. OCLC 1061226259
- ^ Fleming, James Rodger. (1999, ©1990). Meteorology in America, 1800-1870. Baltimore: Johns Hopkins University Press. ISBN 0-8018-6359-7. OCLC 45435991
- ^ 堤之智. (2018). 気象学と気象予報の発達史 アメリカ暴風雨論争. 丸善出版. ISBN 978-4-621-30335-1. OCLC 1061226259
- ^ Gregory De Young (July 17, 1985). “The Storm Controversy (1830-1860) and its Impact on American Science”. EOS 66.
- ^ Richard B. Stothers (1996). “The great dry fog of 1783”. Climatic Change 32: 79-89.
- ^ 堤之智. (2013). 嵐の正体にせまった科学者たち : 気象予報が現代のかたちになるまで. 丸善出版. ISBN 978-4-621-08749-7. OCLC 867499290
- ^ フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編者、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』II ルネサンスー啓蒙時代 原書房 2004年 408ページ)
- ^ ナッシュp.77
- 1 ベンジャミン・フランクリンとは
- 2 ベンジャミン・フランクリンの概要
- 3 科学的業績・発明
- 4 フランクリンの十三徳
- 5 脚注
固有名詞の分類
アメリカ合衆国の物理学者 |
ダニエル・クレップナー トマス・メンデンホール ベンジャミン・フランクリン 楊振寧 ラマン・サンドラム |
アメリカ独立宣言署名者 |
ウィリアム・エラリー ジョージ・ウォルトン ベンジャミン・フランクリン トマス・マッキーン サミュエル・アダムズ |
アメリカ合衆国憲法署名者 |
ウィリアム・フュー トマス・フィッツサイモンズ ベンジャミン・フランクリン ヒュー・ウィリアムソン リチャード・ドブス・スペイト |
アメリカ合衆国郵政長官 |
アレクサンダー・ウィリアムズ・ランドール マーシャル・ジュウェル ベンジャミン・フランクリン チャールズ・アンダーソン・ウィックリフ サミュエル・オズグッド |
在フランスアメリカ合衆国大使 |
ジェームズ・ギャビン ウィリアム・シャープ ベンジャミン・フランクリン ジョナサン・ラッセル ジョン・ヤング・メイソン |
ペンシルベニア州知事 |
ジョン・アンドリュー・シュルツ サイモン・スナイダー ベンジャミン・フランクリン トマス・マッキーン ウィリアム・フィンドレイ |
在スウェーデンアメリカ合衆国大使 |
ウィリアム・ウォルトン・バターワース ローレンス・アドルフ・スタインハート ジェイムズ・ヘボン・キャンベル ベンジャミン・フランクリン ジョナサン・ラッセル |
- ベンジャミン・フランクリンのページへのリンク