バブル時代
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文化・流行・社会現象
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メセナ活動
バブル期は、企業が文化・技術・スポーツ振興に資金提供するなど、「メセナ活動」が多かった(バブル崩壊後は、企業の経営が苦しくなり縮小していった)[5]。
マスメディア
放送局では大量のスポンサーが付いたことで莫大な収入が得られるようになり、番組にはジャンルを問わず多額の制作費が惜しみなく投入された。この時期はファッションモデル出身の若手俳優や女優を主役に据え、生活感が皆無な毎日の暮らしを描いた「トレンディドラマ」が若い女性にブームとなっていて、特にフジテレビ月9ドラマがその牽引役となっていた。経済学者の田中秀臣は「経済状況が好転すると、物質的消費が特徴のトレンディドラマが流行する」と指摘している[6]。
また、アメリカに多いジャンル別FMラジオ局に倣った(スタイルを真似る、英語アナウンスの多用等)「お洒落な音楽だけを流すFM放送局」が登場したのもこの当時(J-WAVEなどJAPAN FM LEAGUE参加局や、平成新局の各社)のことであるが、これらのFM局の多くはその後、方針を修正することとなる。
テレビコマーシャルも従来の商品宣伝型CMは下火になり、それに変わって企業イメージを向上させることを目的としたCM(JR東海のシンデレラエクスプレス等)が多く製作された。
流行語
バブル景気直前の1984年には、金持ちと貧乏人の生活や価値観を対比させた 渡辺和博 の著書『金魂巻 現代人気職業三十一の金持ビンボー人の表層と力と構造』で使用された「○金○ビ(まるきん・まるび)」が第1回流行語大賞となり、バブル景気時にもそのまま使用される。『金魂巻』はバブル期にベストセラーとなった[7]。またこの年、前年に『構造と力―記号論を超えて』がベストセラーになっていた浅田彰が、第二著『逃走論 スキゾキッズの冒険』で、人間のタイプを「スキゾ・パラノ」に分類し、同新語部門銅賞を受賞した。
この頃は空前の好景気で国内外・昼夜を分かたず猛烈に働くことが時代の趨勢となり、「24時間戦えますか」のCMコピーが流行した。
新たな価値観・感性を持った若者は「新人類」と称された。但し「いまどきの新人類は――」などと若者をなじる時に使われ、決して肯定的な意味で使われていた訳ではない。ファッションでは「DCブランド」が持て囃され、その販売員は「マヌカン(ハウスマヌカン)」と呼ばれた。「ワンレン・ボディコン」の女性の一部が求める結婚相手は「三高」だとメディアは報じ、若手エリート・「ヤンエグ」(ヤング・エグゼクティブ。青年実業家や起業家)の服装はジョルジオ・アルマーニのソフトスーツに代表される時代であった。
若いうちに小さいながらもマンションを取得し、それを下取りに出して順次条件の良いマンションに買い換えれば、最終的には望む戸建ての住宅を手に入れられるとされ、「住宅すごろく」と言われた。
また一部の男性は女性の気を引くべくプレゼントを贈ったり、高級レストランで接待したり、彼女たちを乗せる乗用車にお金を注ぎ込んだりしているとメディアでは伝えられ、このような一部男性は「アッシーくん」、「メッシーくん」、「ミツグくん」、「キープくん」などと蔑んで呼ばれた。そして彼らに対する正式な“彼氏”は「本命くん」と女性は呼んだ。 一方で、一部の羞恥心を欠いた中年女性を「オバタリアン」、品がなくて、帰宅したら家族に「風呂、飯、寝る」しかいわないような若い女性を「おやじギャル」と呼んだりもした。
セゾン文化の発信地だった「渋谷公園通り」や、港区芝浦などの「ウォーターフロント」地区が「トレンディ」で「ナウい」場所とされ、松井雅美や山本コテツなどの「空間プロデューサー」がデザインした飲食店は「カフェバー」と呼ばれた。
ネクラ・ネアカ、オタク
バブルの手前、フジテレビが「母と子のフジテレビ」から「楽しくなければテレビじゃない」にキャッチコピーを改め、カルチャーならぬ「軽チャー路線」を打ち出した1980年代前半ごろから、「ネクラ」・「ネアカ」・「ダ埼玉」という言葉が世を席巻した。また物や人間の価値をも「明暗」を基準に判断する風潮が生まれた。その当時「ネクラ」な性格は忌み嫌われ、いじめや仲間外れの格好のターゲットにされたため、多くの人は暗いと思われることを恐怖し、努めてネアカに振舞おうとした。
『笑っていいとも!』が一大ブームになり「いいとも!」が流行語になったり、第一次漫才ブームでツービートなどのブラック漫才が流行るなど、新たなコメディのジャンルが確立したものの、相方の頭を叩いたり、悪口や人の弱みに付け入ることをいって笑いをとる風潮も生まれた。この頃から学校で「葬式ごっこ」などのいじめ問題がエスカレートした[8]。
「まじめ」も崩壊し[9]、その当時の人々の間では、愛や正義などの尤もらしいことを語ると「クラい」「ダサい」と馬鹿にされ、恋愛や友人関係、青春期の悩みなどを友人に相談しようとしても、相手にされず、せせら笑われた人々も多かった。一方で、そんなネアカ・軽薄短小といわれた時代に、違和感や息苦しさを感じていた人も多く、彼らは天才ロッカーと後に呼ばれる「尾崎豊」を聴いたりしていた。尾崎は1980年代という時代が生み出した必然ともされる。
- ^ 日本経済新聞社編 『検証バブル 犯意なき過ち』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、78頁。
- ^ 日本経済新聞社編 『検証バブル 犯意なき過ち』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、148頁。
- ^ 携帯電話は当時高価格なこともあって殆ど普及しておらず、まともな収入がない学生が手にすることは不可能であった。
- ^ 当時は大学生だけでなく高校生もバブル景気の影響を受けて就職は容易であり、高校新卒者の求人倍率は1992年に3.34倍と高度経済成長期に次ぐ高い値を記録している。
- ^ 小峰隆夫 『ビジュアル 日本経済の基本』 日本経済新聞社・第4版〈日経文庫ビジュアル〉、2010年、56頁。
- ^ 田中秀臣『日本経済復活が引き起こすAKB48の終焉』主婦の友社、2013年、91頁。ISBN 978-4-07-289414-9。
- ^ アベノミクスに要注意! バブル時代の貧乏人の扱いがヒドすぎる!ダ・ヴィンチニュース 2013年5月17日
- ^ 1986年に遺書を残して生徒が自殺した中野富士見中学いじめ自殺事件が起きた。葬式ごっこを行い教師3人も色紙に寄せ書きしていたことから、メディアが注目した最初のいじめ自殺事件になった。
- ^ 『「まじめ」の崩壊―平成日本の若者たち』(サイマル出版会、1991年)Template:Date=2014年4月。
- ^ TM NETWORKの小室哲哉がプロデュースしたヤマハ・EOSシリーズ、プリンセス・プリンセスの今野登茂子がCMキャラクターを務めたD-5など。
- ^ 小田急HiSE・RSEに代表されるハイデッカー構造が流行した。
- ^ ただしジュリアナ東京が開店したのは1991年5月であり、すでにバブル崩壊が始まっていた時期にあたる。バブル時代を象徴するディスコは1989年11月オープンの芝浦ゴールドと、その頃の高級ディスコブームを牽引していたマハラジャだった。
- ^ 伊藤修 『日本の経済-歴史・現状・論点』 中央公論新社〈中公新書〉、2007年、123頁。
- ^ 日本経済新聞社編 『検証バブル 犯意なき過ち』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、70頁。
- ^ 『フェラーリを1000台売った男』榎本修・著 清水草一・編 ロコモーションパブリッシング刊
- ^ 辻井喬、上野千鶴子『ポスト消費社会のゆくえ』文春新書、文藝春秋、2008年 ISBN 9784166606337
- ^ プラザ合意と円高、バブル景気 財務省広報誌「ファイナンス」2011年10月[リンク切れ]
- ^ バブル景気の痕跡をたどる週刊朝日連載。ジュリアナ東京、ボジョレ・ヌーボー、アッシーくん、ゴルフ会員権、地上げ、1億円ふるさと創生交付金、チバリーヒルズ、ボディコン、私をスキーに連れてって、企業メセナ、宮崎シーガイア、「ゴッホのひまわり」、CIブーム、E電、ハウステンボス、テーマパーク、ホンダ・NSX、地方博ブーム、エンパイア・ステート・ビルディング&ロックフェラーセンター買収など、ティファニーを贈るのやクリスマスはカップルですごすものとかこの時期に限定メニューがある、という習慣もこの頃始まったのが分かる。
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