2010年日本相撲協会理事選、理事として
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「貴乃花光司」の記事における「2010年日本相撲協会理事選、理事として」の解説
2010年1月場所8日目(17日)、大相撲中継で6年半ぶりに正面解説を務め、テレビ出演中に同年2月に行われる協会理事選挙に立候補することを表明した。貴乃花は出馬を希望していたが、二所ノ関一門は二所ノ関一門は既に現職理事の17代放駒と10代二所ノ関のほか、新人の13代鳴戸が立候補を予定していた。協会の理事選は10人の改選で5つある一門ごとに理事候補を調整して無投票で決定することが慣例となっていたこともあり、2009年12月から一門で候補者選定会議が行われた結果、最年少であった貴乃花に立候補を断念させる方針に傾いたためである。 同月19日に二所ノ関一門は緊急会合を開き、貴乃花を支持する18代間垣、12代阿武松、16代大嶽、12代二子山、19代音羽山、15代常盤山の親方6人および間垣部屋、阿武松部屋、大嶽部屋の3部屋は事実上破門とした。既に一門からの離脱を明らかにしていた貴乃花親方と貴乃花部屋に対しても、同様の措置が執られた。同時に二所ノ関一門からは現職の17代放駒と10代二所ノ関の立候補が決まり、13代鳴戸は事実上立候補を断念せざるを得なくなった。 このため、4期(8年)ぶりに評議員の投票で11人が10人の理事を争う形になり、騒動になったことを武蔵川理事長が厳しく批判するなど話題になった。固めている票は上記7親方の票だけで当選ラインの10票まで届いていないために苦戦が予想され、他一門からの票の上乗せを目指すことになった。2月1日の理事選の投開票では落選という予想に反し、上記7親方の票以外にも3票の上積みがあり、10票を得て当選した(落選は2代大島)。新理事会の結果、理事長は14代武蔵川の続投となった。この一連のことを一部マスコミでは「貴の乱」と称し、貴乃花を「相撲協会の革命児」と報道している。 貴乃花とその支持派閥は暫く、マスメディアで「貴乃花派」「貴乃花グループ」と呼ばれる派閥を形成し、合同で稽古を行うなど一門に準じた形態で行動していたが、2014年度より他の一門と同じく協会から助成金を支給される待遇を得たことを契機として同年5月23日から「貴乃花一門」に改称となり、これにより5つあった一門が1つ増えた格好になった。 2010年7月4日に行われた臨時理事会で大関・琴光喜が野球賭博に関与して解雇処分になったことを不服として、貴乃花は処分軽減ならびに現役続行を強く訴えたが、外部理事からの反発により却下された。理事選にて自身を支持した12代阿武松の弟子と床山、それに16代大嶽が野球賭博に関与して処分の対象となったこともあり、貴乃花は退職願を提出した。武蔵川理事長や村山弘義理事長代行は受け取りを拒否、貴乃花は翌日の朝稽古を見た後に退職を撤回した。 同年8月12日、武蔵川理事長が健康上の理由と野球賭博問題の引責で辞任したため、同日行われた理事長選挙では北の湖を推薦し「貴の乱再び」と言われた。後任の理事長は17代放駒に決まり、放駒理事長となってから初めて行われた8月20日の理事会にて、審判部長に就任。38歳での審判部長就任は、35歳で就任した9代出羽海(第50代横綱・佐田の山)に次ぐ、2番目の若さであった。 2012年1月場所後の1月30日に行われた理事選にも立候補し、再選。大阪場所担当部長に就任した。 2013年11月場所の途中より、病気休場した伊勢ヶ濱審判部長に代わって勝負審判(審判長)を務めている。2014年4月以降も引き続き理事を務めることになり、協会常勤の執行部・総合企画部長など部長職5つを任される厚遇に与った。 2014年3月場所後、鶴竜が第71代横綱に昇進した。鶴竜は時津風一門の井筒部屋所属だが、当時時津風一門に元横綱の親方が不在のため、代役として無所属の貴乃花が鶴竜に対し、雲龍型の横綱土俵入りを指導した。 2014年6月に両耳の手術を受けた。関係者は「小学校からの相撲の稽古で両方の耳たぶが腫れて血が固まって硬くなってしまい、人の話など聞きづらく、眼鏡などをすると擦れて激痛が走る状態」と説明。2014年7月場所は手術した両耳が完治しておらず、北の湖理事長と相談の上体調不良による検査入院のため大事を取って全休。同場所後の7月28日、両国国技館での横綱審議委員会より公務に復帰した。 2014年11月場所で自己最高位の西幕下3枚目に昇進した貴斗志を引退させた。これについて貴斗志は「親方が勝手に引退届を提出した」として、2015年3月に相撲協会を相手に地位確認や報酬の支払いなどを求めて東京地裁に提訴した。この裁判において、貴乃花が洗濯ができていないことを理由に付け人に何度も往復ビンタや殴打をしたり、指輪をした手で弟子を殴り目の上が切れる怪我を負わせるなどの暴力を振るっているという証言が裁判記録や陳述書に記載されているが、2017年3月に東京地裁は貴斗志の請求を棄却した。貴斗志側は判決を不服として東京高裁に控訴したが、2018年2月23日に相撲協会と和解が成立している。 2016年1月29日の理事選挙では4選、3月28日に行われた理事長改選では現職の8代八角と共に次期候補となるが、多数決の結果6対2で8代八角に敗れた。理事長選に際して頭を丸刈りにしたことが話題になった。続く3月30日の職務分掌では執行部から巡業部長へ異動となった。 @media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important} 明治神宮例祭奉祝 奉納70回全日本力士選士権大会(2011年10月撮影) 横綱審議委員会稽古総見(両国国技館 2011年12月撮影) 横綱審議委員会稽古総見(両国国技館 2017年5月撮影)
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