1990 - 2000年代
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「日東交通 (千葉県)」の記事における「1990 - 2000年代」の解説
1991年(平成3年)10月1日 - 丸線にて初の「メロディバス」の運行を開始(現在は運行終了)。 1993年(平成5年)12月 - 富津営業所を開設。車両整備工場も移転し併設する。 1994年(平成6年)4月25日 - 鴨川日東バス・館山日東バス・天羽日東バスを設立。 10月1日 - 鴨川営業所を鴨川日東バス、館山営業所を館山日東バス、(富津営業所)湊出張所を天羽日東バスに分社化、営業を開始する。 12月 - 本社を館山市 から木更津市に移転。 1997年(平成9年)12月18日 - 東京湾アクアライン開通。 12月19日 - 高速バス事業開始、木更津駅 - 川崎駅・横浜駅・羽田空港間の高速路線を開業。 1998年(平成10年)3月14日 - 安房鴨川駅 - 東京駅・浜松町間の高速路線を開業。 12月5日 - グループ共同で環境定期券制度を導入する。 1999年(平成11年)2月1日 - 安房鴨川駅 - 千葉駅間の高速路線を開業。 2000年(平成12年)7月20日 - 君津 - 東京駅・浜松町間の高速路線を開業。 2001年(平成13年)7月15日 - 安房白浜・館山駅 - 東京駅間の高速路線を開業(新規参入による)。 2002年(平成14年)7月15日 - 木更津駅 - 品川間の高速路線を開業。 8月26日 - 君津 - 羽田空港間の高速路線を開業。 2003年(平成15年)10月1日 - 君津・木更津 - 東京駅・潮見駅間の高速路線を開業。 2005年(平成17年)10月1日 - 君津市からの受託で、君津市コミュニティバスを運行開始。 2006年(平成18年)2月10日 - 白浜野島崎・館山駅 - 千葉みなと駅・千葉中央駅間の高速路線を開業。 2007年(平成19年)9月1日 - 館山駅 - 羽田空港・横浜駅間の高速路線を開業。 2008年(平成20年)9月1日 - 長浦駅 - 品川駅間の高速路線を開業。 2009年(平成21年)11月 - 新日鐵君津製鐵所管理センターの移転に伴い、君津運輸営業所を君津市君津1番地から木更津市築地1-1に移転。
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1990 - 2000年代
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「河内洋」の記事における「1990 - 2000年代」の解説
1990年にはアグネスレディーの娘・アグネスフローラで桜花賞に優勝。また同年、自身初めての国外騎乗(マレーシア)を経験し、翌1991年には日本人として初めてアメリカ競馬の祭典・ブリーダーズカップに騎乗、後に日本で種牡馬となるアジュディケーティングでスプリントに臨み、 4着という成績を残した。国内においては1991年から1992年にかけて、それぞれ牝馬のダイイチルビーとニシノフラワーで4つのGI競走を制覇。1993年にはレガシーワールドでジャパンカップを制した。1997年には、1993年の柴田政人以来2人目の年間制裁点なしという成績を残し、特別模範騎手賞と騎手として3人目となるJRA賞特別賞を授与される。翌1998年にはメジロブライトで天皇賞(春)を制したのち、12月にはミッドナイトベットで香港G1(国際G2)の香港国際カップに優勝、日本国外での重賞勝利も挙げた。 こうした活躍の一方で、1990年代以降は弟弟子の武豊がトップジョッキーの地位を占め、河内は関西の2、3番手(河内が3番手の場合は2番目には田原が入る)が定位置となっていく。武は河内以上の勢いで勝ち星を量産し、1994年には河内の史上最年少記録を大幅に更新する26歳4カ月で通算1000勝を達成。1996年には河内が保持した年間最多重賞勝利記録も16まで更新した。 2000年、アグネスフローラの仔・アグネスフライトと共に東京優駿(日本ダービー)に臨んだ河内は、豊が騎乗する皐月賞優勝馬・エアシャカールとの競り合いをハナ差制し、デビュー27年目にしてダービージョッキーの称号を得た。入線後、河内としては珍しくガッツポーズをみせ、ウイニングランの最中にはスタンドの観衆から「河内」コールが送られた。ダービー初騎乗から17戦目でのダービー優勝は柴田政人(19戦)に次ぐ史上2位の騎乗回数、45歳3カ月7日での優勝は史上4位の年長記録であった。河内はインタビューにおいて「勝ったと分かった瞬間は全身の力が抜けました。ダービーはデビューしたときからずっと憧れてきたレース。本当に嬉しい。幸せです」と語った。また、アグネスレディーからフローラ、フライトへと続いた母仔三代によるクラシック制覇は、中央競馬史上初の記録であった。 さらに2001年、河内はアグネスフライトの弟・アグネスタキオンで皐月賞を制し、史上5人目のクラシック完全制覇を果たした。同馬は河内が自身の騎手人生において最も強烈な印象を感じたという馬であったが、故障により同競走を最後に引退。同馬とのコンビが「アグネス一族」による最後のGI制覇となった。後に河内は騎手引退に際し「三代にわたって僕を支えてくれた一族には感謝のしようもない」と語った。また、同年7月29日には、増沢末夫、岡部幸雄に次ぐ史上3人目、関西所属騎手として初のJRA通算2000勝を達成した。 2002年末にはユートピアで全日本2歳優駿に優勝。またラジオNIKKEI杯2歳ステークスに勝ったザッツザプレンティといった騎乗馬もあったが、翌2003年2月13日に河内の調教師免許試験合格が発表され、騎手を引退することになる。22日には京都記念でアグネスフライトと最後の重賞競走に臨み、6着。翌23日が最終騎乗日となり、第3、4、6、10競走を制し通算勝利数を2111まで伸ばす。この間、ファンからは「調教師になっても乗ってくれ」、「どこも悪くないのにやめるな」といった声援も飛んだ。続く第11競走、最終競走をそれぞれ2着として、全騎乗を終了。競走後に行われた引退式では馬車に乗って観客の前をパレードし、他場で騎乗していた武からのビデオメッセージや、同僚騎手たちからの胴上げで送られた。JRAにおける通算成績は14940戦2111勝。勝利数はこの時点で史上2位の記録であった。引退に際し、「余力を残しての引退」と言われているが、それは「騎手であった者が調教師に転向する際、試験の一部を免除する」という規定がこの年を以て廃止される事になっていたからではないかと言われているものの真相は不明。
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1990-2000年代
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「古河電気工業千葉事業所サッカー部」の記事における「1990-2000年代」の解説
1990年はリーグ戦で10チーム9位、最下位チームと勝ち点3差ながら残留。全社は2回戦で敗退。1991年はリーグ戦で8位、全社は2回戦でPJMフューチャーズに敗れた。1992年はリーグ戦で10チーム中8位で降格圏と勝点2差で残留。1993年はリーグ戦で得失点差はマイナスながら4位に入った。また、同年より片岡道夫が監督に就任した。1995年、リーグ戦を4勝3分11敗、勝点15で最下位に終わり千葉県社会人サッカーリーグ1部への降格が決まった。 1996年から千葉県リーグ1部に所属。1996年から1998年まで3連覇を果たすなど、県リーグで上位をキープするが、関東リーグへの復帰は成らなかった。また、千葉県サッカー選手権大会(兼天皇杯千葉県予選)で4度決勝に進出するが、全て決勝で敗れた。2003年に千葉県リーグで5度目の優勝、関東社会人サッカー大会で準優勝。翌2004年から9年ぶりとなる関東リーグ2部への昇格が決まった。関東リーグでは2006年に3位に入った。また、2005年および2007年に全社に出場するが共に1回戦で敗退した。 2008年にS.A.I.市原サッカークラブへ名称を変更して、企業チームからクラブチームへと変わった。2009年はリーグ戦で3位に入ったものの、2010年は8チーム中7位に終わり、8年ぶりに千葉県リーグへ降格することとなった。 2011年2月28日、市原市サッカー協会が主体となってS.A.I.市原サッカークラブを承継する形で市民球団を創設すると報じられた。同月20日の選手選考会では32人が集まり、その内の22人がS.A.I.市原サッカークラブの選手であった。同年3月6日に名称をVONDS市原と発表した。以降についてはVONDS市原の項目を参照のこと。 なお、千葉市にある古河市原シニアは古河電気工業千葉事業所サッカー部でプレーした選手で創設されたクラブであり、2015年度の全国シニア(40歳以上)サッカー大会にも出場している。
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1990~2000年代
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「Grazia」の記事における「1990~2000年代」の解説
30代のキャリア婦人全般を対象とし、コンサバ系のワードローブを主に提案。一部連載などではモード系、ラグジュアリーブランドの最新コレクションなども掲載された。姜尚中などの連載記事もみられた。発売日は毎月1日(休祝日・年末年始には1~3日ずれる場合もある)。
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