増沢末夫
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増沢 末夫(ますざわ すえお、1937年10月20日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) に所属した騎手、調教師。騎手として全国リーディングジョッキー2回、八大競走7勝。通算2016勝は当時の中央競馬史上最多勝。44歳で初のリーディングジョッキー獲得、50代で年間100勝達成など中年期以降に顕著な活躍を示し「鉄人」の異名を取った。「ローカル男」とも呼ばれた[1]。愛称は「まっさん」。
- ^ “[https://web.archive.org/web/20160402100534/http://jra.jp/topics/column/jockeys/07.html JRA�z�[���y�[�W�b�g�s�b�N�X���R�����b���n�R�����b�`���̃W���b�L�[]”. web.archive.org (2016年4月2日). 2024年5月7日閲覧。
- ^ 増沢(1992)p.32
- ^ 増沢(1992)p.38
- ^ 『週刊日録20世紀 1973年』p.5
- ^ 『競馬最強の法則』2011年2月号、p.78
- ^ a b c 『さらばハイセイコー』p.7
- ^ 増沢(1992)pp.214-218
- ^ 増沢(1992)pp.239-243
- ^ 増沢(1992)p.255
- ^ a b c 『優駿』2007年7月号、p.139
- ^ 『競馬SLG名牝ファイル』pp.38-39
- ^ 『優駿』1990年7月号、p.64
- ^ 増沢(1992)p.101
- ^ 増沢(1992)p.99
- ^ 『優駿』2007年7月号、p.140
- ^ 増沢(1992)p.192
- ^ 増沢(1992)p.198
- ^ 『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』pp.335-336
増沢末夫
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1990年の天皇賞(秋)およびジャパンカップに騎乗した。当時の馬主である近藤俊典は、増沢が非常に可愛がられていた馬主・近藤ハツ子の甥であり、増沢が若手騎手の頃から面識があった。前述のように、安藤勝己、青木達彦、渡瀬夏彦は増沢とオグリキャップとの相性は良くなかったという見解を示している。一方、瀬戸口は「増沢騎手には本当に気の毒な思いをさせました。済まなかったと思います。あれほどの騎手に、オグリがいちばん体調がよくない時に乗ってもらったんですから」と、増沢を庇う言葉を残している。
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