1960~70年代とは? わかりやすく解説

1960~70年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 02:51 UTC 版)

ダイレクト・マーケット」の記事における「1960~70年代」の解説

1960年代後半興ったアンダーグラウンド・コミックス運動は、60年代中盤急増したアンダーグラウンド出版同じく非主流取次ネットワーク支えられていた。アンダーグラウンド・コミックスニューススタンドドラッグストア店頭には並ばず、ヘッドショップ(英語版)(大麻文化関連する商店)を大きな販路とした。この運動の発祥地であったサンフランシスコ近郊ベイエリアでは複数取次店出現した。プリント・ミント(英語版)(1969年ごろ)、前節述べたサンフランシスコ・コミックブック・カンパニー(出版社兼ねていた。1970年ごろ)、バド・プラント(英語版)(1970年)、ラスト・ガスプ(英語版)(1970年)、キース・グリーン/インダストリアル・リアリティーズ(英語版)(1970年ごろ~)、チャールズ・アバー・ディストリビューションなどである。1970年ごろになると、アンダーグラウンド取次店アメリカ各地現れた。ロサンジェルスにはノヴァがあり、レオナルド・ディカプリオの父ジョージ英語版)も取次業を行っていた。中西部取次店としてはドナヒュー・ブラザーズ(アナーバー)、キープ・オン・トラッキン・クープ/ビッグ・ラピッズ・ディストリビューション(デトロイト)、ウィスコンシン・インディペンデント・ニュース・ディストリビューターズ(マディソン)、アイシス・ニュース(ミネアポリス)、ウェルニュース(コロンバス)が挙げられる1970年代半ばにはビッグ・ラピッズが競合社吸収して中西部統一したが、そのころにはアンダーグラウンド・コミックス市場実質的に枯れ切っていた。 現在知られているようなダイレクト・マーケット生み出されたのは、大手出版社コミックブック1970年代初めにニューススタンド売上不振陥った影響である。1972年コンベンション主催コミック売買手掛けていたフィル・シウリングは、コミック出版社交渉して全国的な雑誌取次業者介さず出版社から直接仕入れ行い始めたニューススタンドなどが所属していた従来独立系取次ルートでは売れ残り返品して払い戻し金積み立てることができたが、シウリングの取次契約した専門店には買い取ったコミックブック返品認められなかった。しかしリスク背負代わりに大幅な値引きを受けることができたため、利益大きかった。 シウリングが創設したシーゲイト・ディストリビューターズは小売店対しタイトルごと、号ごとに細かく発注数を決めることを許した地方独立系取次でそれができるところは少なかった返品不可システム確立にはこのような自由度の高い発注制度不可欠だった。 ダイレクト取次概して独立系取次よりはるかに配本速かったダイレクト取次店印刷所から1週間分の刊行物受け取ると、一日二日時には数時間)のうちに再発送したり、地元小売店への配本を行うのが一般的だった。それに対し、ほとんどの独立系取次店は同じ作業おおむね2~3週間費やした例外はあった)。毎週新刊心待ちにしているコミックファンを顧客層とする小売店に対して、この点は大きな誘引となったダイレクト取次ニーズ生まれたもう一つ要因は、多く独立系取次店が、バックイシューを取り扱う小売店とはいかなる条件でも取引しなかったことである。取次店恐れていたのは、そのような小売店読者から古本安く買戻し返本して払い戻し受けようとすることであった1970年代半ばには、地方基盤を置くダイレクト・セールス取次店がほかにも複数現れ当時生まれたばかりだったコミック専門店マーケットからニューススタンド取次をほぼ駆逐した五大湖地域のドナヒュー・ブラザーズ、南カリフォルニアのパシフィック・コミックス・ディストリビューターズ、南東部のニュー・メディア・ディストリビューション/アージャックスらはいずれ1974初頭までに起業したシーゲイト創業後数年わたってタイトルごとに25単位で「ドロップシッピング印刷所から小売店への直接発送)」を行うサービス競合他社先んじていた。後発取次店は、顧客注文した商品まとめて仕入れ自社店舗から配本するという伝統的な方法か行っていなかった。しかし法的な脅しが行われたこと で、1970年代末になるとダイレクト取次店すべてでドロップシッピングサービスが行われるようになった。また小売店側では少部数発注を行う必要があったため、ドロップシッピング利用するのは大口顧客のみとなったこのころには後発取次でも複数店舗備えるものが増えていた。 独立系取次店通したニューススタンドでの販売廃れたわけではなく返品可で値引き率の低い条件のままコミックブック流通主流占め続けた

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1960-70年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 01:56 UTC 版)

電子音楽」の記事における「1960-70年代」の解説

その後初期アナログ・シンセサイザー発明(特にモーグ・シンセサイザー)により電子音楽広く一般化し、クラシック系現代音楽以外にも多く音楽ジャンル用いられた。日本では冨田勲アナログ・シンセサイザー多く用いた作曲家として有名である。 テープレコーダー比較安価になり一般の手にも触れようになったため、大学放送局など研究機関かかわりのない在野作曲家たちもテープ音楽制作参加できるようになったスティーヴ・ライヒは、同じ録音で同じ長さのテープループを用い同時に再生することでわずかな回転数のずれからディレイ生まれ2つ周期がずれていくことに注目し、「カム・アウト」「イッツ・ゴンナ・レイン」などのテープ作品生み出した。これがやがてミニマル・ミュージックアイデアつながっていく。 イアニス・クセナキスは1972-1977年にかけ、パリフランス郵政省内のCEMAMu(数理的自動音楽研究センター)で、タブレットボードに線を描いて入力した図形電子音処理する装置UPIC(ユーピック)を開発し湯浅譲二高橋悠治及び嶋津武仁といった日本の作曲家たちの創造力大い刺激した1973年ダートマス大で初期デジタル・シンセサイザー開発された。1970年代にはマイコン開発され急速に一般化したが、これを利用し1970年代後半デジタル音楽ワークステーションへと発展した(シンクラビアI/II、フェアライトCMI)。これは、音楽製作必要な 音響合成/サンプリング/演奏/シーケンス作曲 といった一連の作業シームレスデジタル信号処理する最初試みであり、後にHDレコーダ作譜ソフトも追加され、現在一般に普及しているDAWシステム(デジタル・オーディオ・ワークステーション)の原型となった

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1960-70年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 23:50 UTC 版)

開発経済学」の記事における「1960-70年代」の解説

経済発展工業化概念確立され時期政府主導型の開発。 国の経済構造中心農業から工業へと移ることを目指した。その過程工業部門雇用創出され労働力農村から都市移り工業労働人口増えれば増えるほど、開発進んだみなされた。 経済発展の段階伝統的社会自給農業第1次産業)→近代化社会工業第2次産業)→サービス第3次産業主流理論2部門経発展モデル 伝統的社会近代化社会農業工業農村都市といった、2部門の対比構造からなる理論経済発展速度は、投資貯蓄割合が多いほど、速まる

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1960-70年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:51 UTC 版)

女流棋士 (将棋)」の記事における「1960-70年代」の解説

1961年 - 蛸島彰子奨励会に7級で入会し史上初の女性奨励会員となり、かつ唯一の女性として1966年まで在籍した1968年 - 女性のみを対象とした初めての棋戦である女流名人戦(現・女流アマ名人戦)が日本将棋連盟主催創設1974年9月 - 連盟棋士会における満場一致決議により、女流棋士制度正式に発足1974年10月 - 初の女流プロ公式戦として、報知新聞主催する女流プロ名人位戦(現・女流名人戦)が創設された(10月31日)。

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1960、70年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 10:19 UTC 版)

中台戦争」の記事における「1960、70年代」の解説

中国大躍進政策文化大革命国内疲弊し台湾軍事侵攻する能力無かった一方中華民国大陸反攻スローガンにするも、1964年中国核兵器開発成功する事実上大陸反攻不可能になり、中華民国軍事よりも経済など政策シフトした。1971年国連代表権中国移行し1972年には日中国交回復1970年代にはオーストラリアニュージーランド中国国交樹立成し遂げると、中華民国孤立化もたらされた。

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