開城工業団地
別名:開城工団
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)南部の経済特区である開城工業地区の団地。大韓民国(韓国)と北朝鮮の経済的な協力を目指して設置された。休戦状態の朝鮮半島において、南北関係の一つの焦点となっている。
北朝鮮の領土内に位置するが、団地の運営は韓国が行っている。2013年4月3日のロイター通信の記事によると、同団地には韓国企業が123社あり、現在約5万人の北朝鮮の労働者と、約800人の韓国側の従業員がいる。
金正恩体制発足後、北朝鮮の軍備拡大などにより緊張を増す朝鮮半島だが、2013年4月4日の東京新聞の記事によると、緊張の度合いに伴い、北朝鮮は同3日、開城工業団地へ韓国側からの立ち入りを不許可とした。韓国企業に損害を与え、韓国人従業員らの安全を脅かす措置となる。
関連サイト:
北朝鮮が開城工業団地への入境を禁止、韓国への帰還は許可=韓国当局 - ロイター通信
ケソン‐こうぎょうだんち〔‐コウゲフダンチ〕【開城工業団地】
開城工業地区
(開城工業団地 から転送)
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開城工業地区(ケソンこうぎょうちく、朝鮮語: 개성공업지구)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)南部の開城市郊外にある経済特別区である。南北融和の太陽政策の一環として地区内に開城工業団地(ケソンこうぎょうだんち)が開発され、大韓民国(韓国)企業運営の工場が2016年2月10日まで操業していた。北朝鮮の第3代最高指導者の金正恩は大量の資金稼ぎになって北朝鮮の国益になった上に市場を排した国民管理の理想だとして、内陸部にも14箇所の経済地区の増設を命じている[1]。
- ^ “韓国亡命の元北朝鮮公使が著書出版 核開発や正恩氏の素顔語る”. 2018年5月21日閲覧。
- ^ a b c 北朝鮮の開城(ケソン)工業団地について、JETRO
- ^ “【秘録金正日(47)】中国の改革解放を「共産主義捨てた」と一蹴 トウ小平は「なんてばかなやつだ」と激怒”. 産経新聞. (2015年10月23日) 2018年2月15日閲覧。
- ^ “[オピニオン 統一部のタブー語]”. 東亜日報 (2007年10月11日). 2018年2月15日閲覧。
- ^ “統一部、ホームページから‘改革・開放’の言葉を削除”. 中央日報 (2007年10月11日). 2018年2月15日閲覧。
- ^ “開城工業団地操業停止 韓国側も経済的ダメージ 866億円超”. 産経新聞. (2013年4月10日) 2013年4月27日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “米韓が合同軍事演習 北朝鮮反発、南北直通電話を遮断”. 朝日新聞. (2013年3月11日) 2013年4月27日閲覧。
- ^ “開城工業団地の閉鎖警告 韓国政府は「安定維持」強調”. 聯合ニュース. (2013年3月31日) 2013年4月27日閲覧。
- ^ “北、開城工業団地への韓国側従業員立ち入り禁止”. 読売新聞. (2013年4月3日) 2013年4月27日閲覧。
- ^ “開城工業団地、韓国人従業員らの撤収始まる”. 読売新聞. (2013年4月27日) 2013年4月27日閲覧。
- ^ “「開城工業団地は信用できない」、インドのバイヤーが契約破棄”. 東亜日報. (2013年4月20日)
- ^ ケソン工業団地 操業再開へ NHKニュース 2013年9月11日
- ^ <韓中FTA仮署名>開城工業団地310品目も韓国製認定(1)
- ^ “韓国、開城工業団地の操業停止へ 北朝鮮のミサイル発射受け”. ロイター. (2016年2月10日) 2016年2月11日閲覧。
- ^ 北朝鮮「ケソン工業団地閉鎖 軍事統制区域に」 NHKニュース 2016年2月11日
- ^ “中国から労働者を閉め出された北朝鮮 開城工業団地をひそかに再稼働”. ニューズウィーク日本版. (2017年10月7日)
- ^ “南北連絡事務所の電力 韓国から供給の方針”. 聯合ニュース. (2018年8月16日)
- ^ “開城・金剛山推進、韓国政府案に米国「ノー」”. 朝鮮日報 (2019年3月9日). 2019年3月9日閲覧。
- ^ a b “北朝鮮 ケソンの南北連絡事務所爆破 韓国 対応を協議”. NHKニュース. (2020年6月16日) 2020年6月18日閲覧。
- ^ “北朝鮮、開城工業団地から韓国製「チョコパイ」を締め出し”. デイリーNK. (2015年6月10日) 2015年10月25日閲覧。
- ^ 開城工団:今年中にネットや携帯が利用可能に 朝鮮日報 2013年9月12日
- ^ “南北朝鮮の象徴「開城工業団地」を米国は認めるか”. 日経ビジネス (2018年7月13日). 2019年3月6日閲覧。
- 1 開城工業地区とは
- 2 開城工業地区の概要
- 3 FTA交渉と開城工業地区
開城工業団地
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詳細は「開城工業団地」を参照 北朝鮮が土地と労働力を、韓国が技術と資本を提供して、開城に一大工業団地を造るという開城工業地区の計画は、2000年6月に現代グループ会長 (当時) の鄭周永が平壌を訪問したときに初めて明らかにされ、同月に朝鮮労働党総書記・金正日と韓国大統領・金大中 (当時) との間で行われた南北首脳会談で合意された。いわゆる太陽政策の賜物であり、南北の歩み寄りの象徴であった。当初の計画では66平方キロメートル(2,000万坪)の土地を3段階に分けて開発し、10年後の2010年に、2000以上の企業と50万人の労働者により160億ドル分の製品を生産しようというものであった。2002年11月には、北朝鮮で開城工業地区法を制定。開城直轄市(当時)内の開城市・板門郡(当時)内の一部が「開城工業地区」として一般の行政地域から切り離された。 2003年6月に3.285平方キロメートルを造成する第1期工事が起工され、2004年末には工業団地に入居した企業が生産を開始、2007年には[[京義線・東海線鉄道及び道路の連結事業#貨物営業運転の開始|連結された鉄道による貨物輸送]]も開始された。開発の第1段階となる100万坪の造成は2011年に完工した。 2006年7月のミサイル発射実験、および同年10月の核実験の影響で、北朝鮮の収入源となっている開城工業地区事業について、改めてアメリカ合衆国から問題提起がなされるなど、北朝鮮情勢の緊迫化に伴い事業の先行き不透明感が増した。李明博政権発足後は、北朝鮮側が「南側の対北敵対姿勢」を理由として強硬姿勢を強め、列車往来の中断、地区内で「敵対行為」を行ったとの理由による現代峨山社員の拘束などを行った。2009年5月には開城工業地区に関する特別措置の無効を韓国側に通知、協議の場で賃金や土地使用料の引き上げを要求している。 2012年末時点の稼動企業数は123社。2012年時点の従業員数は5万4,234人、従業員の98.6パーセントは北朝鮮側の人員である。 2013年時点で、進出した韓国企業の投資総額は5,568億ウォン (482億円) で、生産額は月4,000万ドル。これとは別に韓国側の公的企業が、造成や社会基盤整備に5.5兆ウォン (4,770億円) から6兆ウォン (5,200億円) 投資している。一方、北朝鮮側は労働者約5万3千人分の賃金として1年間に8,700万ドル(約86億円)の外貨収入を得ており、経済が劣悪で外貨収入が乏しい北朝鮮にとってはドル箱事業である。 2013年2月に北朝鮮は3度目の核実験を行い、これに対し国際連合安全保障理事会は制裁を決議。また3月から4月にかけて、アメリカ軍と大韓民国国軍が共同軍事演習「キー・リゾルブ」「フォール・イーグル」を行った。こうした北朝鮮にとって不利な措置に対し朝鮮戦争休戦協定の白紙化宣言などいわゆる「瀬戸際外交」を展開し、開城工業地区もそのカードとして使われる。3月30日には北朝鮮が開城工業地区の閉鎖を警告。4月3日には韓国人従業員の立ち入りを禁止し、4月下旬に撤収が開始された。北朝鮮が開城工業地区への通行を制限してから15日目にして、工団の入居企業が海外のバイヤーから、納入契約の破棄や投資設備の返還通知を受けた初の具体的事例が現れた。 2013年8月14日に南北両政府が開城工業地区の操業を再開する方針に合意し、9月11日に同月16日から韓国企業の操業が再開されることが決定した。一時操業停止により損失を被った韓国企業を救済する措置として、2013年中は韓国企業が北朝鮮へ支払う税金が免除される。2015年2月には、中華人民共和国は韓国との自由貿易協定では、開城工業地区で生産された製品の310品目を「韓国製」と認定するとした。 2016年2月10日、北朝鮮によるミサイル発射実験を受け、韓国政府は、開城工業地区から北朝鮮へ流入する金が兵器開発に流用されることを防ぐとして、開城工業地区の操業停止と韓国人の引き揚げの措置を行った。これに対して北朝鮮は翌11日に「朝鮮半島情勢を対決と戦争の瀬戸際に追いやる危険千万な宣戦布告だ。絶対に容認できない。」と反発し、開城工業地区を軍事統制地域に指定して韓国側人員の全員追放と資産凍結をすることを発表し、板門店での南北間の連絡手段も断つと表明した。
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