聖徳の王権
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「絹本著色後醍醐天皇御像」の記事における「聖徳の王権」の解説
後醍醐天皇を理想論的独裁君主・異形の天皇と見なすことへの疑問は、まず、法制史の研究分野から出された。市沢哲は、1988年から1992年にかけて、鎌倉時代末期の西国の裁判事例を検証し、鎌倉時代の朝廷が訴訟制度の改革に取り組むにつれて、都市貴族たちが裁判の調停者として治天の君に頼る事例が徐々に大きくなることを指摘した。つまり、後醍醐天皇が進めた中央集権政策は、後醍醐個人の性格・思想によるものというよりは、朝廷の訴訟制度改革による「治天の君」権力集中の延長上にあるものであり、後醍醐が時代の要請に応えたものであることを指摘した。続いて、1998年、伊藤喜良は、佐藤進一の「綸旨万能主義」(全てを綸旨(天皇の私的な命令文)で決める主義)説を否定した。綸旨万能とは、後醍醐が元弘の乱終戦直後という組織の整わない時期に、急場凌ぎの暫定的措置として、綸旨を多く発給したからそのように見えたに過ぎないという。そして、実際は、佐藤が「新政の挫折」と定義した雑訴決断所等こそが、非人格機関を通した統治として、建武政権の完成形と見られることを指摘した。市沢・伊藤説は21世紀に入ってから注目を浴び、2000年代から後醍醐への再評価が始まり、鎌倉時代・建武政権・室町時代の法制度には連続性が見られることが次々と指摘され、2010年代には後醍醐は建武政権において現実的で優れた政策を行っていたと評価されるようになった。 加えて、2006年から2010年にかけて、仏教美術研究者の内田啓一は、仏教信仰上においても後醍醐天皇を異形と言うことはできないと指摘した。網野が異端的と見なし本作品と結びつけた「聖天供」という祈祷は、実際には息災(仏の力で病気や天災を鎮めること)の祈祷であり、そこにいかがわしい意味はない。聖天供の説明に「怨霊退散」云々と言った文句も用いられることがあるが、怨霊を退散して息災を祈るのは真言密教の常套句であり、幕府への呪詛と考えることはできないという。 内田はまた、本作品の場面が、当時の真言宗最高の神聖な灌頂(授位の儀式)である「瑜祇灌頂」であることを、『清浄光寺記録』(『十二代尊観上人系図』)・『瑜伽伝灯鈔』・『東宝記』などを用いて示した。その瑜祇灌頂にしても、確かに在俗の天皇として受けた事例は他にないものの、それを受けるに足るだけの僧としてのキャリアは着実と積んできており、その過程が特異だった訳ではない。さらに、この灌頂で、父帝の後宇多上皇もかつて身につけたことがある秘宝「犍陀穀糸袈裟」を使用するなど、天皇家において異端なのではなく、むしろ敬愛する父の宗教政策を受け継いでいることを指摘した。また、異形説を唱える網野善彦は、後醍醐は父より宗教にのめりこんだとして批判したが、内田によれば事実は逆であるという。後宇多は高野山の奥の院にこもったり、僧として弟子を取ったりなどしているが、後醍醐はそこまではしておらず、密教修行者としては父より穏健派であるという。また、後醍醐の腹心の文観についても、実際は高徳の僧であり、かつ優れた学僧・画僧であるとして、武闘派の妖僧説を否定した。 2018年、『太平記』研究者の兵藤裕己もまた、内田の成果を支持し、後醍醐を異形の王、文観を異形の僧と見なすことに強く反駁した。現行の『太平記』のうち、特に巻第1・12・13には、建武政権批判を意図して『太平記』の初稿本からの改竄があると推測され、事実を曲げてまで後醍醐や文観の個人的性格さえも中傷する傾向があり、異形の王権というのはこれらに根ざした虚像であるという。兵藤は、本図像の天皇が法服をまとうという部分について、後醍醐の父の後宇多が出家以前に伝法灌頂を受け、治天の君として在俗のまま修法を行っていたことを指摘し、特に奇異な点はない、と主張した。 兵藤の主張によれば、この図像で特徴的なのは、法服よりも、頭に通常の冠と冕冠の両方を付けている部分の方にあるという。これは武田佐知子の指摘するように、聖と俗の双方で至高の存在であると当時見なされた聖徳太子を模したものと見られる(#太子信仰)。後醍醐父の後宇多は、政敵の花園上皇による評伝によれば(『花園天皇宸記』元亨4年6月25日条)、英邁な君主で真言密教の庇護者ではあったが、晩年に出家して後は真言密教への傾倒があまりに過ぎており、政治が疎かになったという。兵藤の推測によれば、父に対して、後醍醐は聖徳太子を範としており、仏教の庇護者でありながら世俗の世界に留まって政治と仏教のバランスを取っていた太子こそが、王者の理想像だと考えたのではないか、という。
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