【戦列艦】(せんれつかん)
Ship-of-the-line.
帆船時代における戦艦。
15世紀頃、ガレオン船をベースに発展して誕生したもの。
文字通り戦列を組んで行動し、艦載砲の撃ち合いによる艦隊決戦を主任務とする。
高い火力と、木造ながら頑丈な装甲を備え、同時代のあらゆる艦と対等以上に撃ち合えた。
一方で機動力、特に旋回性能が劣悪で、小回りの効くフリゲート相手に苦戦する事もあったという。
大量の大砲を積むため、船体は2層以上の甲板と3本マストを持つものが主流。
英国では特に90~100門以上の艦載砲を持つ艦を特に「一級戦列艦」と呼んでいた。
一方、一回り小さい40~60門程度の戦列艦もあったが、あまり使われていなかった。
また、一級戦列艦は兵站への負担も大きく、80門を越える大型艦は実用性に欠けたという。
乗員は600~800人程度。このうち100~200人程度は拿捕のための海兵。
当時まだ拿捕は戦闘時の選択肢として有力で、敵艦に強行接舷して斬り込む事もあった。
戦列艦
戦列艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 14:39 UTC 版)
儀式めいた砲戦を行う為に各勢力が使用する主力戦艦。少なくとも数万隻が存在する。正式な名称については不明。
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戦列艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 10:19 UTC 版)
「覇剣の皇姫アルティーナ」の記事における「戦列艦」の解説
プリンセス級七四門汽走高速戦列艦 ハイブリタニアの主力戦列艦。単に「新型艦」とも呼称される。帆船としての帆に加え、蒸気機関を投入した機帆船で、全長120Co(53m)、全幅34Co(15m)、甲板に3本のマストを持ち、最も高い中央マストが130Co(58m)。一本目と二本目のマストの間に排煙用の煙突が設けられており(一番艦は一本、六番艦以降は二本に設計変更されている)。船速は巡航で15ノット、搭載する四一式エルズウィック砲の射程は45Ar(3216m)に及ぶ。 ハイブリタニアは合計九隻を保有しており、ベルガリア帝国への侵攻に投入されたのは一番、四番、五番、六番、八番、九番艦の計六隻で残る三隻は王とクイーンズテムズの港に待機していた。トゥルーアン沖海戦ではベルガリア帝国の艦隊に圧勝したが、エペプリエール湾海戦においては初日の戦闘で四番、六番艦が撃沈され、二日目の戦闘では一番艦は船底のスクリュープロペラを故障させられ機関部を停止し、五番艦はウラテノス級と相打ちの形で大破、残る二隻は降伏し、戦闘後、帝国軍に接収された。 アテルナ級八〇門戦列艦 ベルガリア帝国の主力戦列艦。全長120Co(53m)、全幅34Co(15m)、マストの高さは140Co(62m)の大型帆船。三本のマストを持ち、そこかしこに意匠が施され洋上の城のごとき威風を持つ。三段砲列甲板で艦船用超大型砲と榴弾砲を搭載している。速度は順風の状態でようやく15ノット前後といったところで、艦船用超大型砲の射程はおよそ38Ar(2715m)、装填から発射までの時間が四一式エルズウィック砲の倍かかるなど、スペック上は全てにおいてプリンセス級に劣る。 トゥルーアン沖海戦ではプリンセス級の性能に完敗し、四隻を喪失した。エペプリエール湾海戦では九隻が投入され、初日の戦闘で更に三隻を喪失、残る六隻は二日目の戦闘に投入された。 ポセイダム級一二〇門装甲戦列艦 ベルガリア帝国最大の戦列艦。全長160Co(71m)、45Co(20m)に及ぶ巨艦。通常は800人もの船員で運用される。木製の船体を鉄板で覆っており、全身鎧を着た騎士を思わせる形状を持つ。装甲は固いが、やはり射程でプリンセス級に劣るうえに、浮き砲台と揶揄されるほどに低速。本編で帝国はこの戦列艦を二隻保有しており、三隻目を建造中の状態であった。一番艦は整備中であったため、作中で登場したのは二番艦である。 トゥルーアン沖海戦での敗報を受けて南方海域から派遣され、エペプリエール湾海戦では初日の戦闘で投入。レジスの奇策の布石のためにあえて撃沈された。 セレルネ級五〇門準戦列艦 ベルガリア帝国の戦列艦。領海の治安維持を目的とした艦艇で、通常は武装した海賊船や密売船の取り締まりに使用されており、戦列艦としては格下として扱われている。全長80Co(36m)程で、搭載している砲も中型小型のものが大半である。 エペプリエール湾海戦では十四隻が投入された。 ウラテノス級一八門戦列支援艦 ベルガリア帝国の戦列艦。遭難者の救助や密輸船の拿捕を主目的とした艦艇で、全長も45Co(20m)と主力戦列艦の半分以下しかない。風によっては船速でプリンセス級に勝るが、砲撃戦においては期待されておらず、ハイブリタニア側からも軽視されていた。 エペプリエール湾海戦では二十隻が投入され、うち一隻が二日目の戦闘でプリンセス級と相打ちの形で喪失した。
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戦列艦(アレーク)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 05:38 UTC 版)
機雷戦専門の艦種。サイズ的には巡察艦を上回る超大型艦で、胴体部に機雷を多数格納している。平面宇宙の戦闘では主力艦の地位を占める。質量が巡察艦の三倍にも達するため、機動力が低いのが弱点。また、雷撃を突破されるか機雷を撃ち尽くして巡察艦等の接近を許すと、防御用火砲を装備してはいるものの、一方的な蹂躙戦を許しがちである。ソーフ級が存在する。
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戦列艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/22 06:45 UTC 版)
「星界の戦旗 (ゲーム)」の記事における「戦列艦」の解説
機雷攻撃に特化した級。前作に登場した戦列艦と全く同じデザインで、船体が中央で左右に開き、その断面にずらりと機雷射出口が並んでいる。しかし今回は機雷の積載数が少ない事を除き、艦自体の能力はアーヴ帝国のソーフ級より優れている。火力値もアーヴ帝国のヘージュ級と同等なので、油断は出来ない。
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戦列艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 10:07 UTC 版)
「星界の紋章 (ゲーム)」の記事における「戦列艦」の解説
ソーフ級に類似したデザイン。船体の前半分が縦に開き、その断面にずらりと機雷射出口が並んでいる。機雷攻撃に特化された級で、護衛艦同様に艦艇同士の直接戦闘では何の役にも立たない。ただし大型艦なので、大型巡察艦に次いで高い耐久値を持っている。機雷を26発積載している。船体の塗装はグレー。
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戦列艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 10:07 UTC 版)
「星界の紋章 (ゲーム)」の記事における「戦列艦」の解説
船体が中央で左右に開き、その断面にずらりと機雷射出口が並んでいる。機雷攻撃に特化された級で、24発積載している。護衛艦同様に艦艇同士の直接戦闘では何の役にも立たない。しかもアーヴ帝国の戦列艦と異なり、巡察艦並みの耐久値しかない。機雷攻撃に対処出来るなら、良いカモである。
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戦列艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 11:04 UTC 版)
地球でも17世紀から19世紀にかけて使われていた木造の水上戦闘艦艇。
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戦列艦(1755年-1785年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 07:50 UTC 版)
「イギリス海軍戦列艦一覧」の記事における「戦列艦(1755年-1785年)」の解説
1751年にジョージ・アンソン男爵が海軍本部の長官に就任したのと同時期にイギリス艦艇の設計を縛っていた寸法規定制度は撤廃された。1755年にはトーマス・スレードとウィリアム・ベイトリーが共同で艦艇監督官に就任し、新たな原理に基づいて艦隊が編成されるようになった。3層80門艦は建造されなくなり、2層甲板で70門または60門の艦は新しい74門艦や64門艦に統合された。50門艦はもはや戦列艦とは見なされなくなったが、これらの艦は外洋での単独任務のために建造が続けられた。
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戦列艦(1830年-1847年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 07:50 UTC 版)
「イギリス海軍戦列艦一覧」の記事における「戦列艦(1830年-1847年)」の解説
ウィリアム・シモンズ大佐は1832年から1847年の間艦艇監督官として働いた。シモンズは海軍士官であるとともにヨットのデザイナーで、「小型軍艦の帆走試験での競走に執念を燃やした」といわれている。彼の設計には2世紀も続いた工廠で鍛えられた技師達の設計への批判が内包されている。シモンズは艦艇設計に革命を起こそうとした。彼の艦船は寄り速く帆走出来、さらに砲の周囲に余裕を作ることでもっと効率的に砲を扱えるようになった。このため船体は大型化し、バラストが少なくても安定性が保てるような形状になっていた。しかし設計局は人員不足で、さらにシモンズの設計意図を誤解していた。そのためシモンズの戦列艦は舷側に砲列を持つ艦艇としては安定性が高すぎるものとなった。彼の設計に関する他の問題として、艦内の積載物などの重量分布にとても敏感だったというのも挙げられる。 シモンズは経験豊富な造船技官であるジョン・エディと緊密な連携をとりながら働いた。エディは構造設計と実際の建造を担当していた。シモンズとエディが設計した艦船はセッピングスの設計による前世代艦艇よりはるかに多くの鉄材を構造に用いている。
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