地質・地形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:27 UTC 版)
周囲4km、標高60mほどの陸繋島である。三浦丘陵や多摩丘陵と同様に第三紀層の凝灰砂岩の上に関東ローム層が乗る地質である。古来は引き潮の時のみ洲鼻(すばな)という砂嘴(さし)が現れて対岸の湘南海岸と地続きとなって歩いて渡ることができた(タイダル・アイランド)。関東地震で島全体が隆起して以降は地続き傾向にある。対岸の片瀬川河口付近の形状が時代とともに変遷し、満潮のときのみ冠水した時期、常時陸続きとなった時期とあり、砂嘴の位置も移動している(2009年(平成21年)5月現在、砂嘴の位置は江の島側で2000年代初頭よりもやや東に移動しており、満潮時には冠水する)。島の周囲は切り立った海蝕崖に囲まれ、ことに波浪の力を強く受ける島の南部には下部には海蝕台(波蝕台)が発達する。1923年(大正12年)の関東地震の隆起で海面上に海蝕台が姿を現し、隆起海蝕台(岩棚)となった。ここは観光客の休憩や磯遊び、磯釣りの場を提供する。海蝕崖の下部には断層線などの弱線に沿って波浪による侵食が進み、海蝕洞が見られる場所があり、「岩屋」と呼ばれている。さらに侵食が著しくなると、海蝕洞が崩壊し、大きな谷状の地形となる。江の島の中央部には南北から侵食が進んで島を分断するような地形があり、「山二つ」と呼ばれている。これより東部を「東山」、西部を「西山」と呼ぶ。東山の北東部には北西 - 南東方向の平行する3本の断層と、それに直交する断層が想定され、地形・地質を複雑にしている。
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地質・地形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:08 UTC 版)
南面が急な傾動地塊(傾動山地)である。 六甲山の大部分は、約1億年前(中生代白亜紀)に地下深くで生まれた花崗岩でできている。第四紀、百万年前以後の六甲変動と呼ばれる地殻変動によって最高部が 900 m 以上に至るまで隆起し、現在も変動を続けている。それによって生じた複数の断層が北東から南西に向かって主稜線と平行に走っている。いずれも北西側が東に向かって動く右横ずれ断層であり、横ずれが起こると同時に北西側が高くなる傾向がある。これらの断層は阪神淡路大震災の震源断層である野島断層などとともに六甲-淡路島断層帯を構成している。 1932年(昭和7年)、京都大学助教授であった上治寅治郎により丸山断層が発見されるまでは、六甲山の成り立ちは、地塁説(六甲山地塁説)で説明されてきており定説となっていた。これは、六甲山の高い中央部を除いた南北の両側が、陥没して低くなり、北側に落ちて谷状の凹地になったのが、現在の箕谷から花山、大池、有馬、さらに生瀬、宝塚にいたる低地帯であり、南側に落ちてできたのが現在の神戸の市街地であり、ずり落ちずに残った高地が現在の六甲山であるという考えである。ところが、丸山衝上断層の発見により、地塁説とは全く逆の、地殻にかかる側方からの圧力により、基盤が上向きに隆起し六甲山を形成したという説が現在では主流となった。 最高峰のすぐ南から神戸市内に向かって南西に一直線に流れる住吉川の谷が、五助橋断層(ごすけばしだんそう)・大月断層に相当する。芦屋ロックガーデンなどの断崖の麓にあるのが芦屋断層、その東側で甲山の乗っている北山高原を持ち上げたのが甲陽断層と呼ばれている。(断層でできた崖は長い年月の間に侵食されているので、今見える崖と断層の位置はずれている場合がある)これらの断層によって、南東の西宮市側からは幅広い階段状にわかれて隆起してみえる。なお、六甲山を東西に横断するように貫かれた山陽新幹線の六甲トンネル工事では多くの断層破砕帯を貫通させることとなり大変な難工事であった。 山頂部は比較的平坦な地形が広がっておりゴルフ場やホテル・保養所、各種観光施設が点在している。この平坦な地形は「隆起準平原」と呼ばれるもので、侵食が進んでいない若い山によく見られる地形である。 北斜面は比較的緩やかであるが、東西に走る有馬-高槻断層帯の一部である六甲断層 によってできた断層谷である、蓬萊峡や白水峡などの谷で区切られている。
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地質・地形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 21:07 UTC 版)
基盤は秩父古生層、山体は大日向酸性深成岩で構成され、西部は閃雲花崗岩、北縁は角閃石、閃緑岩が中心で、表層は厚いチャートの岩盤が続く。谷の浸食の差異が大きく、断層も多く、険峻。
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地質・地形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 21:10 UTC 版)
マラレ山は東アフリカ大地溝帯の北端部に位置している。成層火山として形成された山であり、直径約6 kmのカルデラが存在する。成層火山であることから明らかなように、この山は過去に何度も噴火を繰り返してきたわけだが、2017年現在において前回の噴火は果たしていつであったのか正確には判っていない。なお、マラレ山は付近に位置するナブロ山(英語版)などの他の火山と共に地塁の中に位置し、付近の火山と共に火山群を形成している。
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地質・地形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 09:43 UTC 版)
伊豆半島が海底火山だった時代の噴火にともなう水底土石流と、その上に降り積もった軽石・火山灰層(軽石凝灰岩)が見られ、この白い地層が波によって削られ断崖となり、堂ヶ島の特徴的な景観を造った。
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地質・地形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 07:21 UTC 版)
葛葉峠は、三角形の台地状の高まりであり周囲の地形とは異質である。このことから1502年1月28日に発生した越後南西部地震により、姫川を挟んで東側に位置する真名板山が崩壊、その際の崩土から形成されたものと考えられており、調査が進められている。
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地質地形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 15:48 UTC 版)
金門島地質は単純であり瓊林-尚義を協会に東西に大分される。東部は花崗片麻岩が露出し、西部は赤土が主となっている。金門本島の北東、南東海岸及び烈嶼の北東から南東海岸にかけては海水の浸食作用により海蝕崖或いは海岸段丘が形成されている。 金門は亜熱帯海洋性気候に属し年間平均気温は20.8℃、冬は乾燥し寒く春は霧が多く発生する機構である。年間平均降水量は1,000ml、その多くが4月から9月にかけて観測される。冬季は乾燥し強風が吹くため農業には適しておらず、乾燥に強い作物を中心に作付けが行なわれている。
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