カラツィオラと「監督」ノイバウアーの登場(1926年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「カラツィオラと「監督」ノイバウアーの登場(1926年)」の解説
ルドルフ・カラツィオラ アルフレート・ノイバウアー 1926年という年は「メルセデス・ベンツ」が誕生した年であると同時に、同社の自動車レース活動にとって大きな転機となる出来事が起きた年でもある。この年に開催された第1回ドイツグランプリ(英語版)で優勝した新人ルドルフ・カラツィオラの登場と、それまでダイムラーのワークスドライバーだったアルフレート・ノイバウアーの「監督」への転身である。 カラツィオラは1920年代後半からメルセデスチームのエースとして活躍し、1930年代の「シルバーアロー」時代を象徴する存在となるドライバーである。晴天のレースで強かっただけでなく、雨のレースに天賦の才能があり、雨で路面が濡れ視界も遮られた状況で抜群の強さを発揮したことから、「レーゲンマイスター」(レイン・マスター)としても知られることになる。 大雨となった1926年ドイツグランプリを制したカラツィオラの驚異的な走りは、彼より10歳年長のノイバウアーにドライバーとしての自身の限界を悟らせることになった。それと同時に、そのカラツィオラでもレース中の自身の順位すらよく知らなかったという事実はノイバウアーに啓示を与え、レースチームの「監督」(レンライター)というポジションを着想させた。 ノイバウア―は色のついた旗や信号板を使ってピットから走行中のドライバーに情報を伝達する方法を考案し(これはサインボードの起源となる)、これにより自動車レースに「レース戦略」という概念を持ち込んだ。ノイバウアーはライバルチームのドライバーたちの心理や気質を読むことに長けていたことから、自チームのドライバーのペースをコントロールすることでライバルたちのエンジンやタイヤに負担を与えてリタイアに追い込むといった戦術を駆使した。ノイバウアーはチームをまとめる能力にも優れ、史上最初にして最高のレースチーム監督と讃えられることになる。 類いまれな才能を持ったカラツィオラとそれをチーム力と戦略で支えるノイバウアーのコンビネーションは強力で、後述する「S」シリーズがこれに加わり、メルセデスチームは多くの勝利を重ねた。
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