【64式小銃】(ろくよんしきしょうじゅう)
昭和39年(1964年)、陸上自衛隊に採用された戦後初の国産自動小銃。
陸上自衛隊の前身である警察予備隊の発足時、隊員は米軍より供与のM1ライフルや旧軍の九九式小銃といった旧式の小銃を装備しており、これは陸自発足後も基本的にそのままであったが、昭和30年代半ば、これらに代わる新式銃の装備が計画された。
当初、弾薬の互換性も考えて米軍のM14を採用する動きもあったのだが、当時の日本人の体格には.308(7.62mmx51)NATO弾発砲時の反動は強すぎるとしてキャンセルとなり、装薬量を減らした反動の少ない弾薬(弱装弾と呼ばれ、NATOタイプは強装弾と呼ばれる)を使用する、日本人の体躯に合った自動小銃を国産する事が決定した。
そして豊和工業により試作が開始され昭和38年に完成、改良を経て翌年の39年(1964年)に制式採用された。
設計コンセプトは、旧軍時代より「一撃必殺」思想を受け継いだ感があり、セミオート、フルオート時の命中精度の良さが念頭に置かれ、共に極めて高い精度を誇る。
特に弱装弾の為に反動が少なく、銃の操縦がし易いため、フルオート時の命中率の高さは、他国の同時期の銃よりも優れると高い評価を得ている。
当然ながらセミオートの命中精度も高く、量産された中で精度の高い物は狙撃銃としても利用された。
セレクターレバーは陸自では「銃の右側を上にして匍匐前進」するので、その時に地面にセレクターレバーが接触しないようにする、又担いだときに被服にセレクタレバーが接触しない様にする為として、世界的にも珍しい右側配置を取っており、順番に「ア」(安全位置、安全装置が掛かり撃てない状態)「タ」(単発射撃)「レ」(連発射撃)の文字が刻まれており、そのカタカナ書きには何となく日本らしい趣がある。
一部で「作動不良が多い」「部品の脱落が頻発する」等と、62式機関銃と同じような扱いを受けているが、実際に演習等で泥で汚れたりしても作動不良は起こさないという。
事実、2000年代にイラク戦争後の復興支援活動へ陸自が参加することになり、隊員に持たせる個人装備が検討されたとき、現場の隊員は現役の89式小銃よりも国連平和維持活動等ですでに実績のある本銃を希望したという話もあり、現場での信頼も比較的高い。
だがその反面、部品点数が多く分解結合にも手間が掛かり、削りだし加工が多く木製部品もあった為に量産性は好くない。
その為重量もかさみ、高価であるという欠点も併せ持っていたり、同口径ながらもNATO規格との互換性が無く、弱装弾故に威力がやや劣る弾薬も問題視された。
又、グリップから一旦親指を離さなくてはならない為、操作に若干の遅れが出る右側配置のセレクターレバー、それも一旦引き上げて回転させる構造や、細かいところで
「前方に折りたたみ可能となっている照門が、照準するときに鉄帽のツバに当たり前方に倒れてしまう」
「標準装備の二脚が単なる錘でしかなく、銃の操縦に邪魔で、演習等では勝手に下がってしまう事もある」
など、実戦経験の無さ故に運用の非効率さが目立ち、隊員には極めて不評であった。
作動方式は、ガスの一部をボルトに導き後退させるガス圧直接利用式でガスレギュレーターがフロントサイト下に装備され、それを回転させてガス圧を調整することにより空砲アダプター無しで空砲を撃つことが可能である。
弾倉には20発装填可能。
本銃は陸上自衛隊だけでなく海自、空自、海上保安庁にも採用され、23万丁以上が生産されたが、現在では89式小銃へ更新が進んでおり、普通科部隊では既に89式への更新が完了している。
ただし、後方支援部隊や海自、空自などではまだまだ多数が使用されている。
性能諸元
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