北島康介 北島康介の概要

北島康介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 09:46 UTC 版)

北島康介
2008年、北京オリンピック出場時
選手情報
フルネーム 北島康介
国籍 日本
泳法 平泳ぎ
生年月日 (1982-09-22) 1982年9月22日(41歳)
生誕地 東京都
身長 178cm[1]
体重 72kg[1]
血液型 B型
獲得メダル
競泳
日本
オリンピック
2004 アテネ 男子 100m平泳ぎ
2004 アテネ 男子 200m平泳ぎ
2008 北京 男子 100m平泳ぎ
2008 北京 男子 200m平泳ぎ
2012 ロンドン 男子 400mメドレーリレー
2004 アテネ 男子 400mメドレーリレー
2008 北京 男子 400mメドレーリレー
世界水泳選手権
2003 男子 100m平泳ぎ
2003 男子 200m平泳ぎ
2007 男子 200m平泳ぎ
2005 男子 100m平泳ぎ
2007 男子 100m平泳ぎ
2011 男子 200m平泳ぎ
2007 男子 400mメドレーリレー
2001 男子 200m平泳ぎ
2005 男子 50m平泳ぎ
2003 男子 400mメドレーリレー
2005 男子 400mメドレーリレー
2013 男子 400mメドレーリレー
世界競泳2007
2007 男子 100m平泳ぎ
2007 男子 200m平泳ぎ
2007 男子 400mメドレーリレー
世界短水路選手権
2002 男子 100m平泳ぎ
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身長178cm、体重72kg。血液型B型

略歴

東京都荒川区出身で、実家は西日暮里で精肉店「肉のきたじま」(株式会社北島商店)を経営(2023年閉業)。文京区の区立千駄木小学校、文林中学校、本郷高校日本体育大学体育学部体育学科卒業。大学卒業後、日体大大学院に進んだが、選手活動に専念するため2006年に中退。

5歳から東京スイミングセンター(東京SC)で水泳を始め、中学2年生の時に、東京SCのコーチ平井伯昌に才能を見出される。

高校3年生で2000年シドニーオリンピックに出場し、100m平泳ぎ4位入賞という日本新記録を果たした。2004年アテネオリンピックと2008年北京オリンピックにおいて100m・200m平泳ぎで金メダルを獲得し、オリンピック史上初の平泳ぎ2大会連続2種目制覇を果たす(オリンピック2大会連続2種目制覇は日本人史上初であり、同種目2大会連続制覇は世界初である)。 2005年度から日本オリンピック委員会が始めた選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度を用いず、2005年4月から日本コカ・コーラと所属契約を結ぶことになり、日本人初のプロスイマーとなった。スイミングキャップやレーシングゴーグル、水着にCoca-Colaのロゴを入れて大会に出場する。2011年4月からは、AQUARiUSのロゴを入れて大会に出場している。競技生活を仕事とするプロ選手である。北京オリンピックまでは東京SCを拠点にトレーニングしていたが、休養から明けてトレーニングを再開した(2009年9月)以降は南カリフォルニア大学を拠点としていた。ロンドンオリンピック後は拠点を日本国内に戻した。

2012年12月31日girl next door(当時)の千紗との婚約を発表[2]。翌年9月22日に婚姻届を提出した(この日は北島の31歳の誕生日でもある)[3]

2014年5月に第1子となる女児が誕生[4]

2014年6月27日、東京都水泳協会理事に就任[5]

現在は株式会社IMPRINT(インプリント、東京都渋谷区)の代表取締役社長を務めており[6]、東京都内の公共プールやスポーツクラブのプールを貸切で利用するスイミングクラブを設立している[7]

2016年4月8日、日本選手権兼リオデジャネイロオリンピック代表選手選考会の男子200メートル決勝で5位となり、5大会連続の五輪出場を逃したことを受けて、「自分は引いて、この後世界で戦う選手を応援したい」「悔いはない」と語り、現役引退を表明した[8]

2018年6月22日、東京都水泳協会副会長に就任[9]

2020年6月26日、東京都水泳協会会長に就任。

東京フロッグキングス、ゼネラルマネジャー就任。

2023年3月14日、国際水泳殿堂から表彰された[10]

主な戦績

ここに掲載するのは長水路大会のみとする。

2000年

2001年

2002年

2003年

  • 日本選手権 3年連続で男子50、100、200m平泳ぎ全てに優勝。
  • 7月20日第10回世界水泳選手権競泳競技 21日の男子100m平泳ぎ59秒78でロマン・スロードノフ英語版世界記録英語版(当時)を更新し、金メダル。続く25日の男子200m平泳ぎ2分09秒42世界記録(当時)で金メダル(世界選手権の直前に200m平泳ぎの世界記録を別の選手に更新されていたが北島はそれをものともせずに奪い返した)。最終日27日の男子400mメドレーリレーで日本記録(当時)を更新し、銅メダル。

2004年

  • 日本選手権 4年連続で男子50、100、200m平泳ぎ全てに優勝(史上最高記録)。
  • オリンピック直前にアメリカのブレンダン・ハンセンが100m平泳ぎ・200m平泳ぎで北島の持つ世界記録を更新した。しかし、北島は前年も自分の世界記録を更新されながらも世界選手権で優勝していた。この経験から落ち着いてオリンピックのレースに臨むことができ、金メダルを2枚獲得できた要因の一つとなったという。
  • 8月15日アテネオリンピック 男子100m平泳ぎ1分00秒08で金メダル。レース後のインタビューで「チョー気持ちいい(超気持ちいい)、鳥肌ものです」とコメント。ちなみにこの「チョー気持ちいい(超気持ちいい)」は、この年の新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれ、2010年に集計された「印象に残っている流行語」で第3位に選ばれている[11]
  • 8月18日同大会 男子200m平泳ぎ2分09秒44でオリンピック記録(当時)を更新し、二冠を達成(2位以下を1秒以上突き放す)。なお、100m平泳ぎ及び200m平泳ぎではともに世界記録を奪い返すことができず、再び世界記録を更新することが今後の課題の一つとなった。
  • 8月21日同大会 男子400mメドレーリレーで銅メダル。

2005年

  • 4月21日JAPAN SWIM 2005(第11回世界水泳選手権選考会兼ねる) 男子200m平泳ぎ決勝レースに出場も3位に甘んじこの競技の自力での世界選手権出場を逃す。続く23日の男子50m平泳ぎは28秒03秒で本大会5連覇目(史上最高記録)を達成。続く24日の男子100m平泳ぎ1分00秒89で本大会6連覇目を達成。
  • 7月24日第11回世界水泳選手権競泳競技 25日の男子100m平泳ぎ59秒53で銀メダル。続く27日の男子50m平泳ぎ27秒78で日本記録(当時)を更新し銅メダル。最終日31日の男子400mメドレーリレーは平泳ぎを59秒19で泳ぎ銅メダル。

2006年

2007年

  • 3月25日第12回世界水泳選手権競泳競技 26日の男子100m平泳ぎ59秒96で銀メダル。続く30日の男子200m平泳ぎ2分09秒80で金メダル。最終日4月1日の男子400mメドレーリレーで銀メダル。
  • 4月5日JAPAN SWIM 2007 男子200m平泳ぎ2分11秒04で2年ぶりの優勝。男子100m平泳ぎ1分00秒34で本大会8連覇目を達成。男子50m平泳ぎには出場せず。世界選手権の直後に日本選手権が開催されたため、調子をあわせるのが大変であったという。

2008年

  • 4月15日JAPAN SWIM 2008 男子200m平泳ぎ2分08秒84の日本記録で優勝。男子100m平泳ぎ59秒67で本大会9連覇目を達成(史上最高記録)。この結果をもって北京オリンピックの代表に選出された。
  • 6月8日ジャパンオープン 男子200m平泳ぎで、SPEEDO社のレーザー・レーサーを着用して挑み、5年ぶりとなる2分07秒51の世界記録を樹立。2年前にパンパシフィック選手権にて隣のコースでアメリカのブレンダン・ハンセンが記録した従来の世界記録を0.99も更新した。
    北島の世界新記録は、日本人選手が国内長水路レースで記録したものとしては、1972年7月21日の「日本水泳選手権競技大会」で青木まゆみが女子100mバタフライで記録して以来、36年ぶりだった。
  • 8月11日北京オリンピック 男子100m平泳ぎで、ノルウェーの新鋭アレクサンドル・ダーレ・オーエンらを振り切り、人類史上初、59秒の壁を破る58秒91の世界新記録で金メダル。「世界記録を出し、金メダルを獲得する」という試合前の予告をその通りに果たした。男子100m平泳ぎの大会2連覇は世界初、平泳ぎの同一種目の大会連覇は日本人としては鶴田義行以来76年ぶりのことである。この時のインタビューでは、アテネオリンピックの金メダル獲得時のインタビューとは一転、緊張感・責任感から解き放たれたのか、涙をこらえきれず、絞り出すような声で「何も言えねえ」というコメントを残し、この年の新語・流行語大賞にノミネートされた。この言葉について、後のインタビューで、「このとき、お世話になった方々への感謝を口にしようとしていたが、こみ上げてくる思いで言葉が出なかった」という内容のコメントをしている。
  • 8月14日同大会 男子200m平泳ぎ2分07秒64で金メダル(自ら前日の準決勝で打ち立てたオリンピック記録を更新するものである)。アテネに続く2冠に輝いた。オリンピックで2大会連続2種目制覇を成し遂げたのは日本人として史上初、平泳ぎで2大会連続2種目制覇を成し遂げたのは世界初である。
  • 8月17日同大会 男子400mメドレーリレーで銅メダルを獲得。北島は第2泳者で登場し、57秒台に迫る58秒07のタイムで泳いだ。

2009年

  • 11月20日1年3ヶ月ぶりの長水路大会となる第41回東京SCジュニア優秀選手招待公認記録会に出場。50m平泳ぎ28秒43で優勝、100m平泳ぎ1分01秒91で優勝、200m平泳ぎ2分14秒31で2位となった。この大会にはライバルのアレクサンドル・ダーレ・オーエンも出場した。

2010年

  • 4月13日2年振りの参加となり、復帰戦となったJAPAN SWIM 2010の初日、男子50m平泳ぎ27秒30の日本記録で予選1位通過、決勝は2位。続く15日の男子200m平泳ぎは4位。最終日18日の最終種目となった男子100m平泳ぎは2位。
  • 4月18日主要国際大会での復帰戦となった第11回パンパシフィック水泳選手権では男子100m平泳ぎ予選で今季世界最高記録となる59秒04で1位通過、決勝は59秒35で優勝。男子50m平泳ぎは27秒67で5位。男子200m平泳ぎは大会新記録&今季世界最高記録となる2分08秒36で優勝。男子400mメドレーリレーは3分33秒90で準優勝。

2011年

  • 4月9日競泳国際大会代表選手選考会(東日本大震災復興支援チャリティー大会) 初日の男子100m平泳ぎは59秒44で優勝。最終日11日の男子200m平泳ぎは肉離れを起こしながらも2分09秒26で準優勝。棄権した50mを除く、100mと200mで世界水泳の代表権を手に入れる。
  • 7月24日2大会ぶりの第14回世界水泳選手権競泳競技 25日の男子100m平泳ぎ1分00秒03で4位。続く29日の男子200m平泳ぎ2分08秒63で銀メダル。最終日31日の男子400mメドレーリレーで4位。

2012年

オリンピック凱旋パレード(2012年8月19日撮影)
  • 4月3日JAPAN SWIM 2012 男子100m平泳ぎは58秒90の日本記録で優勝し、日本競泳史上初となる4大会連続オリンピック出場を果たす。続く6日の男子200m平泳ぎでも2分8秒00(高速水着禁止以降世界最速)で優勝し、日本競泳史上初となる平泳ぎ2種目での3大会連続オリンピック出場を果たす。
  • 7月30日ロンドンオリンピック 男子100m平泳ぎで5位入賞。
  • 8月2日同大会 男子200m平泳ぎで4位入賞。
  • 8月4日同大会 男子400mメドレーリレーはアメリカオーストラリアに割って入る初の銀メダルを獲得。北島は第2泳者として58秒64で泳ぎ、アメリカのブレンダン・ハンセンを抜き2位から1位へと押し上げる会心の泳ぎで有終の美を飾った[12]。この銀メダル獲得で日本競泳史上初のオリンピック3大会連続メダル獲得を果たす。また、メドレーリレーの3大会連続メダル獲得、銀メダル獲得、同一大会男女メダル獲得は日本競泳史上初である。このレースでの銀メダル獲得により北島はオリンピックのメダルを金・銀・銅すべての色を獲得したことになる。レース後のインタビューでバタフライの松田丈志が「(北島)康介さんには言ってなかったんですけど、3人で康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかないぞと話していました」と長年日本競泳界を引っ張ってきた北島に対する後輩達の思いを語り、この年の新語・流行語大賞にノミネートされ、トップテンに選ばれた。

2013年

  • 4月11日JAPAN SWIM 2013 男子100m平泳ぎは1分00秒78で200m平泳ぎ世界記録保持者山口観弘を破り優勝。
  • 7月28日第15回世界水泳選手権競泳競技 29日の男子100m平泳ぎは59秒98で6位入賞。最終日8月4日の男子400mメドレーリレーは1位のアメリカが失格となり、繰り上げでフランスとオーストラリアに次ぐ銅メダル獲得。

2014年

  • 日本選手権とジャパンオープンがこの年の主要国際大会の代表選考会をかねていたが、どちらの大会でも選考基準を満たすことができず代表権を獲得することができなかった。なお、北島が国内の主要国内大会で優勝できなかったのは(休養していた2009年を除くと)1999年以来のことである。2000年のシドニーオリンピック以来13年間にわたって日本のトップ選手であり続けたことを考えるといかに北島が長期にわたって前線で活躍しているかが覗える。この敗戦をうけて北島は引退する気はなく、2015年の日本選手権に向けて強化することを表明した。

2015年

  • 世界選手権の代表選考会を兼ねた日本選手権では100m平泳ぎのみエントリー。0.14秒差で代表権獲得とはならなかった。

2016年

  • 2016年4月5日に行われた日本選手権兼リオデジャネイロオリンピック代表選手選考会の男子100メートル平泳ぎで59秒93のタイムで2位に入ったが、日本水泳連盟が定めた派遣標準記録(59秒63)を突破できず、この種目での代表入りを逃す。続く8日の200メートル決勝で5位となり、5大会連続の五輪出場を逃した。レース後に北島は「(真剣勝負は)これが最後。この興奮を2度と味わうことはない」と語り、引退を表明した[8]。中学2年生の時から北島を指導してきた平井伯昌コーチは、レース終了後に「ずっと日本のトップで世界のトップで、誰もが憧れる選手になってくれた。速くて、強くて、人の面倒見もいい。(年齢的に)練習では1番苦しいはずなのに、1番楽しそうに練習をしてくれた。すごい選手になってくれた」と語り、教え子である北島をねぎらっている[13]

注釈

  1. ^ この大会は長年「日本短水路選手権」と呼ばれてきた大会であり、近年では「JAPAN OPEN」という呼称が採用された年もあったが、主催者である日本水泳連盟は発表の中で、2010年度のこの大会の正式名称を「第52回日本選手権水泳競技大会 競泳競技(25m)」、大会呼称を「JAPAN SWIM (25m)」と定めている。

出典

  1. ^ a b PROFIFE”. 北島康介 オフィシャルウェブサイト. 2018年7月23日閲覧。
  2. ^ “北島康介結婚!交際2年、ガルネク千紗と”. SANSPO.COM (サンケイスポーツ). (2013年1月1日). オリジナルの2013年1月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130118102635/http://www.sanspo.com/sports/news/20130101/swi13010109010000-n1.html 2013年1月1日閲覧。 
  3. ^ “競泳の北島が結婚を発表 婚約中の「ガルネク」千紗さんと”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2013年9月23日). https://web.archive.org/web/20130923182949/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130923/ent13092314430006-n1.htm 2013年9月23日閲覧。 
  4. ^ 元ガルネク千紗、第1子を出産 北島康介がパパに”. モデルプレス (2014年5月12日). 2023年11月5日閲覧。
  5. ^ 北島康介が都水泳協会理事に 「力になれれば」 日本オリンピック委員会
  6. ^ ““取締役スイマー”北島「冷静な経営者の目を持っている」”. スポーツニッポン. (2010年11月15日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/11/15/kiji/K20101115Z00001010.html 2015年3月11日閲覧。 
  7. ^ “北島 トライアスロン界進出!運営クラブが北京五輪代表と契約”. スポーツニッポン. (2013年3月29日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/03/29/kiji/K20130329005497930.html 2015年3月11日閲覧。 
  8. ^ a b “北島康介が引退表明 200平で5位、五輪逃す”. 朝日新聞. (2016年4月8日). http://www.asahi.com/articles/ASJ474D4VJ47UTQP01B.html 
  9. ^ 北島康介氏が水泳協会副会長「身の引き締まる思い」 日刊スポーツ
  10. ^ 北島康介氏が水泳殿堂入り 平泳ぎで五輪連続2冠”. 日本経済新聞 (2023年3月15日). 2023年11月5日閲覧。
  11. ^ Mr.サンデー』2010年11月14日放送分
  12. ^ 北島ラスト飾った!日本、男子400混継で銀” (2012年8月5日). 2012年8月5日閲覧。
  13. ^ “北島引退 平井コーチ涙「北島ロスに」”. DailySportsONLINE (デイリースポーツ). (2016年4月8日). https://www.daily.co.jp/newsflash/general/2016/04/08/0008971901.shtml 2016年4月7日閲覧。 
  14. ^ “紫綬褒章の受章者”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年11月2日). オリジナルの2013年5月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130516114555/http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008110101000817.html 2023年3月5日閲覧。 
  15. ^ “市村正親 森光子さんからの激励に卒業撤回!?「条件付きの賞ですね」”. スポーツニッポン. (2016年11月10日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/10/kiji/K20161110013697890.html 2016年11月10日閲覧。 
  16. ^ 創業77年 北島康介さん実家の精肉店が今月末で閉店へ「本当に感謝」北島さんも販売手伝う”. 日刊スポーツ (2023年1月29日). 2023年1月30日閲覧。
  17. ^ “蛙王”北島:中国メディアも「4枚目の金、不動」
  18. ^ 好きなスポーツ選手1位は北島康介 オリコン
  19. ^ 「アスリートイメージ評価調査」2008年総括特別編を実施
  20. ^ 北島康介、2000年代の最優秀選手ランキング第3位に
  21. ^ news every.』2012年4月13日放送分
  22. ^ 思い出に残る五輪“名言&名場面”ランキング『五輪選手たちの語り継がれる名言&名シーンをプレイバック!』 オリコン
  23. ^ 過去の夏季五輪で記憶に残っている日本人選手ランキング
  24. ^ ロンドン地下鉄がメッシ駅、ワンバック駅などアスリート一色に
  25. ^ アベマリオ、土管から登場!安倍首相がリオ五輪閉会式で東京PR
  26. ^ “今平周吾が初優勝 著名人は北島康介さんが独走V”. ゴルフダイジェスト. (2018年5月6日). https://news.golfdigest.co.jp/news/article/73920/1/ 2022年3月16日閲覧。 
  27. ^ “独走Vの北島康介さん「ほかの競技で優勝できて幸せ」”. ゴルフダイジェスト. (2018年5月6日). https://news.golfdigest.co.jp/news/article/73923/1/ 2022年3月16日閲覧。 
  28. ^ “北島康介杯・東京都選手権が開幕「ぜひ世界へ」”. 日刊スポーツ. (2017年1月28日). https://www.nikkansports.com/sports/news/1771307.html 2017年2月21日閲覧。 
  29. ^ 中日スポーツ新聞』(2008年5月19日)
  30. ^ “【いだてん】北島康介、“フジヤマのトビウオ” 古橋廣之進役で“大河俳優”デビュー”. ORICON NEWS (oricon ME). (2019年8月9日). https://www.oricon.co.jp/news/2142001/full/ 2019年8月9日閲覧。 


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