高橋名人 経歴

高橋名人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 01:39 UTC 版)

経歴

生い立ち

札幌市西区生まれ。生家は金物[1]札幌市立琴似小学校を経て 市立琴似中学校に入学[1]

東海大学付属第四高等学校卒業後、北海道自動車短期大学に進学するが、スーパーマーケット札幌フードセンター」でのアルバイトに熱中しすぎて3か月で短期大学を中退。最高月収で17万円(当時の金額)を稼ぐほどの働きぶりだったため[1]、社員から誘われて正社員としてそのまま入社した[注 1]

3年間働いて[注 2]青果部の主任に昇格した1981年春、仕入れや在庫の管理、伝票整理のわずらわしさから逃れるため、たまたま入ったマイコンショップでシャープのMZ-80Bを購入したのがゲーム業界に関わる切っ掛けとなった[注 3]。当時のパソコンは使う側にかなりの知識を要求するもので、特に知識もなかったため放置していたが、毎月手元に届くローンの返済請求額を見て一念発起し、BASICのコマンドを30程度覚えたところで札幌フードセンターを退職。

その後、カルチャーセンターの講師に就き、教える側になる。生徒から浴びせられる様々な質問に応えるために、自身も知識を深めていった[9]

ハドソンへ入社

そうして培った技能を元に1982年8月、豊平区に本社を置いていたハドソン[注 4]に友人の影響で面接を受け入社[注 5]。当初は営業部に所属していたが、上司に命じられて東京支店勤務となった後、ハドソンのファミリーコンピュータ参入をきっかけに宣伝部に移る[注 6]

1984年7月にハドソンが『ナッツ&ミルク』と『ロードランナー』を発売してから、『ロードランナー』の販促を担当。子供向け雑誌で同ソフトの宣伝をさせてもらおうと各出版社を回って交渉した結果、小学館の『コロコロコミック』から快諾をもらった[1]。以後、月刊コロコロコミック編集部との親密な関係が始まり、週の内五日は同編集部に通うという状態が一年間は続いた。当時コロコロはすがやみつる原作の『ゲームセンターあらし』の連載が終了し、次の人気連載となる作品を模索していたところ、ほどなくしてそれがすがやの元アシスタントであったあさいもとゆき原作の『ファミコンロッキー』などに代わり同社の作品が作中で使われることが多かったため、ハドソンと名人が絡んで行くことになる[13]

1985年に『チャンピオンシップ・ロードランナー』の宣伝を担当。発売前に子供たちの反応を見るため、同年3月15日、東京・松坂屋銀座店の屋上で行われた月刊コロコロコミックの催し「コロコロまんが祭り」にハドソン社員として参加[注 7]。各面を出すためのパスワードは伏せるために身体で画面を隠しながらの入力では、お客様を不快にさせることになる。そこで子供たちの方を向きながら後ろ手にコントローラーを操る技術を披露した。そして、ロードランナーの10面を2回の失敗でクリアした。[15]1000人ほどの親子連れの前でファミコンの『チャンピオンシップロードランナー』を実演したところ、2~300人が残ってサインをねだる事態となった[14][注 8]

この催しの成功を受けて、ハドソンはハドソン全国キャラバンなどの立ち上げを急遽決定。ゲームの実演役として高橋が指名され、また将棋や囲碁に倣い「名人」という呼称を使うことになった[注 9][注 10]。ここに「高橋名人」が誕生し、5月3日の「コロコロまんがまつり・スターフォース発売前ファミコン大会」にて名人として初登場した[14][注 11][注 12]

高橋名人としてイベントで活躍

同年に行われた全国キャラバン(『スターフォース』)では、事前の企画内容や当日会場(スーパー「ダイエー」のチェーン店)を回るためのキャラバンカーの手配、スポンサー探し(交渉の末TDKに決定)、各会場の機器の配線まで全てをこなした[1]。このキャラバンで「16連射」を披露し、これがコロコロコミックで取り上げられると一躍子供たちのヒーローになった。

また、ハドソンでは直後に後輩の毛利名人が登場し、他社からも橋本名人を筆頭に続々と名人が名乗りを上げ、ファミコン名人という流行を作り出すことになった[18]

その中でも本家本元の高橋名人は人気が別格であり、8月14日にはTV出演[19]、晴海国際貿易センターに四千人を集めた12月22日の「クリスマスファミコンフェスティバル」は翌日の東京新聞[20]で特集され、さらにフライデー、週刊文春でも取り上げられることで、ファミコンが一大現象になっていることを一般社会に知らしめた[21]。1985年から1986年まで出演していた平日朝放送のテレビ東京のテレビ番組「おはようスタジオ」では、高橋名人が出演すると視聴率が上がり、高橋名人の出演コーナーを見て学校へ遅刻する子供が続出したため、出番を早くするという措置がとられるほどであった[22]

翌1986年にはこども電話相談室準レギュラーに就任した[23]のを始め、CDデビュー、漫画化、映画化、ゲーム化など積極的にメディアミックスを図り、キャラクターとしても愛される存在になっていく。同年には、赤塚不二夫も新聞連載漫画『いじわる時事』の中でネタにするなど[24]、「高橋名人」の名は大人たちの間にも浸透していった。

当時、テレビ番組出演時の実演ではゲームの序盤を紹介するだけで良く、面クリア型のアクションやシューティングでは3面ぐらいまでをビシッとクリアできれば大丈夫だった[1]。ただし、ゲームをプレイしながら画面を見ずに解説する必要があったため、3面程度の攻略の仕方や敵キャラについての情報を身体に記憶させるため、日々ゲームの鍛錬に磨きをかけた[1]。また当時は、ハドソンの社員として働きながら、高橋名人としてテレビ出演などをこなしたため、朝6時から夜中の12時頃まで忙しく働いた[注 13]

しかし、翌1987年にハドソンがNECホームエレクトロニクスと共同開発したPCエンジンが発売されると、PCエンジンソフトの宣伝に回され、ファミコン業界から離れることになる。煽りを受けることになったのはコロコロコミックで連載されていた漫画『ファミコンランナー高橋名人物語』(河合一慶原作)で、表題に「ファミコン」の名称が使われていたため途中打ち切りとなり、最終巻が発売されなかった[25][注 14]

ブーム後の活動

その後は、後進の指導などにあたった。トレーディングカードゲームにハマったハドソンの工藤浩社長(当時)がカード販売を決めたことから、1998年から2000年にかけてハドソンの子会社「未来蜂歌留多商会」へ営業部部長として出向[1]。トレーディングカードの制作販売を監督し、同社のアイディアを印刷会社に説明する仕事などを担当した[1]。ハドソン大阪支社を経た後、2001年、コナミがハドソンの筆頭株主になり、ハドソンが自社流通事業から撤退したことを機に東京支社へと復帰。

2000年代初頭に起きた新世代テクノポップバンドの盛り上がりの中で、高橋名人再評価の機運が高まり[注 15]、2001年に宇宙ヤングと楽曲を発表。2002年5月から2003年11月にかけて3回行われた宇宙ヤング主催の『高橋名人のBugってナイト』では、かつて発表した楽曲の歌唱はもとより、16連射スイカ割りなども披露した。この直後からレトロゲームが再評価されるようになり、再び高橋名人として媒体に登場するようになった。

2004年12月6日、営業職から宣伝部へ異動[26]。2006年11月には、ハドソン内での役職名も「名人」となる[27]など、名人推しは続いた[注 16]。2006年にレトロゲーム絡みで取材を受けた直後、本人のブログ「16連射のつぶやき」に一日160万以上のアクセスとなった[1]

ハドソン退社後

2011年5月31日、ハドソンを退社し、同年6月1日にゲッチャ・コミュニケーションズに入社。退社の理由として、ハドソンの業務からコンシューマーゲームが消えたことを挙げている。なお、ハドソンとの交渉により「高橋名人」の名は引き続き使用できることになった[28][注 17]

ある日グッズのイベントで13歳年下の女性と出会い、後日交際に発展[1]。その後2011年12月9日夜、自身がMCとして出演するニコニコ生放送の番組『ゲッチャ!』において、同日入籍したことを発表した。記念日を忘れないようにとの考えから、妻の誕生日に入籍した[1]

2012年10月、ゲッチャ・コミュニケーションズの買収に伴い、ゲームプレゼンテーターとして株式会社MAGES.に移籍[31](現任)。

ドキドキグルーヴワークス設立

2014年6月、企画、開発、運営まで、ゲームに関わるすべての業務を行う株式会社ドキドキグルーヴワークスを設立し、代表取締役名人に就任[32][33](現退任)。

2016年6月7日、一般社団法人e-sports促進機構代表理事に就任[34](他団体と統合して一般社団法人日本e-sports連合となった際に退任)。

2022年5月、情報バラエティ番組『ラヴィット!』にゲスト出演したことが話題となり、直後にSNSでトレンド1位になった[1]


注釈

  1. ^ 一族の本家に生まれたため、簿記の習得を命じられたが、やりたいことではなかったため中退。アルバイトで経験を積んでいたため、入社当初から責任者扱いという立場にあった[6]
  2. ^ アルバイトから含めれば四年、正社員では三年[7]
  3. ^ 手取りの給料が10万[8]の時期に、本体27万8000円、フロッピーディスクドライブ29万8000円、メモリー4万円、ドットプリンタ10万円、合計70万円以上の額をローンで購入。当時名人が買った中古の自動車45万円を遥かに越える金額だった[9]
  4. ^ 当時はアマチュア無線機器とパソコン用ゲーム関連事業が主だったが、後者が8割程度の売上を占めた[9]
  5. ^ 採用の決め手はプログラミングの技術だけではなく、面接前に偶然名人が勤める店を当時社長であった工藤裕司が訪れた際、屋外で果物などを販売していた名人の声の大きさに「こんな声がデカくて八百屋みたいなやつがこの業界に入ってきたら面白い」と思い、その印象が強く残っていたところに、面接に来た名人を見た社長は一発で採用した[10][11]
  6. ^ そもそもハドソンに入社した動機の一つは「家から近いこと」だったが、入社四日後に「東京に行け」と命じられ、出張のつもりであったのにそのまま東京に住むことになった。宣伝部に移っての最初期の仕事はファミリーベーシックの説明書作成[12]
  7. ^ 「看板に「ハドソンの高橋利幸さん来たる。『チャンピオンシップロードランナー』をどうのこうの」と書いてあるんですよ。」とすでに大物扱いだった[14]
  8. ^ 当時はただの宣伝部員でサインなどはなかったため、この時は本名の「高橋利幸」を漢字やローマ字にして書いた[1]
  9. ^ 最初はラジオ体操の先生みたいなものとして考案された[16]
  10. ^ なお、「名人」の呼称の範を取った日本の囲碁界および将棋界では「高橋」姓の名人は1人もいない。将棋では「高橋名人」誕生後の1992年に高橋道雄が名人位獲得まであと1勝と迫ったが、果たせずに終わった。
  11. ^ 当時ハドソンの宣伝部でファミコン担当は名人一人で、催しの内容も自身で考え出した[17]
  12. ^ また、それまでコロコロコミックに本名で登場していたが、この決定を受けて、翌月発売の号から名義を「高橋名人」に変更した。
  13. ^ 具体的には宣伝部員としてCM制作の立ち会いやパッケージデザインもこなし、土日はイベント出演。本人にとって週末となる水曜日は『おはようスタジオ 』(テレビ東京系)に出演した後にようやく休みという1週間を送った[1]
  14. ^ ただし、同作は名人と札幌に関係づけて出鱈目な創作を繰り広げた作品であった。なお、ゲーム『高橋名人の冒険島』シリーズはその後もファミコン、スーパーファミコンで発売されている。『高橋名人の冒険島IV』は、ファミコン最終作品として1994年6月24日に発売された。
  15. ^ 電子音楽であるテクノゲームミュージックはその距離が近く、欧米ではデモシーンを通じてクラブなどで格好のいい音楽として子供だけでなく若者に受けていた。その流れはチップチューンとして花開いていく。
  16. ^ なお、名人という役職だが、事実上はコンシューマコンテンツ事業本部宣伝部部長
  17. ^ ハドソン自体は半年後にコナミに吸収され消滅した[29]。その際には以下のように述べ、元同僚達の身を案じている。「ところで、昨日、ハドソンが吸収というニュースが入ってきました。私たちリストラ組がやめる直前に開催した飲み会で、そんなことになるんだろうなぁと話してましたがまさにそうなったんだなぁという感触です。今後、ブランドが残るかどうかわかりませんが、昨年末までには、東京のメンバー全員がコナミに転籍していた様なので、あまり驚く程のことではないと思います。ブランドを残すのも大事ですが、それ以上に、働いていたみんながどうなるのか?が大事だと思います。会社あっての社員ですが、社員あっての会社でもありますから…とにかく、残った社員の方には、頑張って貰いたいなと思います。」[30]
  18. ^ 当時の陸上三種は、幅跳び、砲丸投げ、中距離走[1]
  19. ^ 髪を後ろで束ねるようになったのは、1990年に入ってからで、メイクの人が面倒臭いと縛ったのが気に入ったため[37]
  20. ^ なお、実際はファミコンの処理速度の問題があり、16回ボタンを押したからといって確実に16発の弾が出るわけではない[40]
  21. ^ 夏休みの催しとして行われたシューティングキャラバンでは、『スターソルジャー』を基に連打回数の測定のみを目的としたソフトも登場した(ただし展示のみであり、市販はされていない)。
  22. ^ 『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』で最も早い連射のフィルムをコマ送りで数えた結果[42]
  23. ^ 2005年12月8日テレビ朝日の深夜番組『やぐちひとり』に出演した際には、12連射であった。その後「あぁ…全然駄目だ恥ずかしい」との発言を残している。のちの2006年8月にPodcastによるインターネットラジオ内で行った10秒間の連打数計測では、1回目が127回、2回目は125回(12.5 - 12.7連打/秒)の記録であった。また、2008年3月28日Wiiウェアで配信された『スターソルジャーR』の記念イベントで連打に挑戦し、12.3連打/秒を記録している。2011年7月4日にニコニコ生放送内でシュウォッチで計測した際には121回(12.1連打/秒)だった。2022年12月11日のイベント「高橋名人のブックオフ冒険島in枚方」では連打対決を行い、シュウォッチで129回(12.9連打/秒)を計測している様子が確認できる[45]。同月31日放送の日本テレビ系『笑って年越し!世代対決 昭和芸人vs平成・令和芸人』に生出演した際には、30秒や60秒というシュウォッチでの通常の計測より長い時間での連打対決が行われたが、30秒で332回(11.07連打/秒)、60秒で666回(11.1連打/秒)という記録を残している[46][47]
  24. ^ 2017年5月28日放送『しくじり先生』によると指を突いた瞬間に圧搾空気が出るようにしたもの
  25. ^ 原人は果物で体力回復し、ミルクで体力が全て回復する。本人も果物は好きであるが、牛乳はお腹を壊してしまうため飲めない(ラクターゼのない体質と考えられる[誰によって?])そうである。なお、パワーダウンアイテムに設定されているナスは、「こすり合わせたときの音が嫌い」なだけで平気で食べることができる。
  26. ^ なお、この日は大阪で商談があったため、私服である普段とは違いスーツ姿で出勤していた。
  27. ^ この件でインターネットでのアクセスが百万越えたため、会社のサーバーが落ちてしまったとのこと[35]
  28. ^ 「「みんながこれから覚えなきゃいけない遊びはもっといっぱいあるのに、テレビゲームしか遊んでなくていいの?」という点が重要なんです。例えば小学生だと、かくれんぼや鬼ごっことかいう遊びがあるわけです。」「子供たちが成長する過程で、鬼ごっこで外を走ったり、かくれんぼでどこかに隠れたりと、いろんな遊びで知恵をつけてほしいのですが、そういう時期にテレビゲームだけというのは良くないと思うのです。」[52]
  29. ^ 1985年7月26日、福岡のダイエー香椎店にて行われたゲーム大会「ゲームキャラバン」で、高橋名人が即興で語ったのが最初である。
  30. ^ 先述の『しくじり先生』出演時の発言によれば、その時はイベントがあったことから役員会に呼び出しされなかったものの今後の処遇をどうするかという話が出てたとのこと
  31. ^ 「レベルX」展(2003〜4年に東京都写真美術館で展示)については、[55][56]を参考。対談は展示企画者とのもの。
  32. ^ 「今回このようにゲームの展覧会として開催し、多くの人が見に来たということは、それなりにゲームが文化としてある程度認知されてきていると思うんですよ。僕は昔から「ゲームは1日1時間」と言い続けてきましたが、その真意はゲームを文化にしたかったからなんですよ。一時のブームで終わってしまわないように、長く続けて行きたかったが為にポンッと出た標語みたいなもんだったんですが、今となっては意味深い標語になったなと我ながら思っています(笑)。でもこうして改めて「レベルX」展を見て、少しはゲームを文化として認めてもらうのに役に立ったのかななんて思います。そう言った意味で今回の「レベルX」展はゲーム文化を再認識させてくれたんじゃないかなと思います」[54][注 31]
  33. ^ 昔、私は「テレビゲームは文化になる」と言って笑われましたが、今、ゲームはまさに日本が発信する文化になりました。80年代半ばの創成期から、子供たちと「テレビゲーム」という遊びを共有し続けてこられたことが私の宝です。この宝物をこのままで終わらせたくないと思っています。」[12]
  34. ^ 番組のマスコットキャラクター「わくちん」(の着ぐるみ、中の人はアナウンサー横井健一)とWiiで対決し、名人は2連敗してしまった。その後、札幌のスタジオに登場しFC「忍者ハットリくん」の裏技を披露した。
  35. ^ 「アグレッシブであいましょう」という憧れの人と対面する企画で小坊師秀暁(あかぼし☆こぼし)が会いに行った。

出典

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