駒 (将棋) 歴史

駒 (将棋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 08:45 UTC 版)

歴史

近代以前

平安時代から五角形の板に)で字を書くという形式を保ち、ほとんど変化していない。現在発掘されている駒で年代が特定されているもののうち、もっとも古いものは奈良県興福寺旧境内跡から発掘されたものである。駒と同時に、「天喜六年」(1058年)と記された題籤軸が出土しており、駒の製作時期が11世紀頃であることがほぼ断定されている。駒は木簡を切ったものに墨で文字を書いて作られたと見られ、長方形の板の先頭部を尖らせており、すでに現在と同じ五角形をしていた。 駒の発掘品として越前朝倉氏の一乗谷館などからのものがある。 戦国時代には公卿水無瀬兼成が作る将棋駒(書き駒)が最高級品として知られ、足利義昭象牙の駒を注文した記録があり、徳川家康は多数注文して諸大名への進物としていた。

江戸時代には、庶民向けの書き駒(前述の水無瀬兼成による書き駒とは品質・価格とも全くの別物)として「番太郎駒」や「源平駒」が使用された。

近代以後

明治時代に入り、もっぱら実用品であった駒が工芸価値のあるものとなった。東京では駒師の初代豊島龍山が、盛り上げ駒の手法を確立し、それまでに使われていたいくつもの書体をまとめ、洗練させた。「斑」や「」を駒木地に生かしたのも、初代龍山である。

現代、将棋を世界に普及させていく過程で81Dojoが考案した、漢字の判読が困難な外国人に向けてチェスの駒を参考に図案化した「国際将棋駒」がある。

将棋の町・山形県天童市

現在、駒を9割以上生産している山形県天童市では、江戸時代末の元治二年(1865年)に吉田家から伝わったとする資料が有力視されていた[1]が、その後の研究では18世紀には将棋駒の製造方法が天童に伝わっていたと見られている[2]。当時財政状況が悪かった天童藩が、当時流行っていた将棋に着目し、武士に将棋の駒の製造を勧めたのが始まりと言われている[3]。古い天童駒は付近の山から切り出した雑木を斧で割った木地に独自の草書体字が漆書きされたものであり、不揃いで庶民向けの低価格品が主であった。明治時代中期には東京から楷書体の駒が伝わり、大正時代には彫り駒の手法が取り入れられるようになり、また木地は機械で揃ったものが作られるようになって現在に至っている。現在は木地にスタンプで印字する押し駒(スタンプ駒)や、機械彫りの低価格の彫駒が普及したため、伝統的な天童書体の書き駒の職人は少なくなっている。1996年、天童の将棋駒は伝統工芸品に指定された。

近年では漆の代用品としてインドやブラジルのカシュー塗料が用いられることがある[4]

製法

材質・木地

戦国時代には象牙の駒なども制作されていたが、明治以降、高級品はツゲ(本黄楊)で作られる。なかでも、東京都御蔵島産の「島黄楊」と、鹿児島県産の「薩摩黄楊」が一定ランク以上の駒に使われる。

本黄楊の代用として、東南アジア原産のシャム黄楊(学名:Gardenia collinsae 名前に「黄楊」とついているがアカネ科クチナシ属で、ツゲ科の黄楊とはまったく種類が異なる木材である)が普及品として用いられている。また、スタンプ駒など低価格品にはホオノキカエデカバイジュなどを用いることもある。

また、とくに本黄楊の木地には、「」(ふ)あるいは「杢」(もく)と呼ばれる、木地の色が一部違う部分が入っているものがあり、その入り方によって虎斑(虎の斑点のような模様)・根杢・くじゃく杢(孔雀が羽を広げたような模様)などと呼ばれる。斑や杢の入っているものは、見た目が美しいため、工芸的価値も高く、より高級品となる。また、柾目にも種類があって、「赤柾」(柾目が赤いもの)「糸柾」(糸のような柾目のもの)「荒柾」などがある。

木製の駒のうち最廉価なものは「スタンプ駒」だが、アマチュア将棋大会、プロ棋士の指導対局、将棋道場などでは、安価かつ実用性に優れたプラスチック(ユリア樹脂)製の駒が使用されることが多い。

書体

一舟作 巻菱湖(まきのりょうこ)
駒と盤。画像の駒は略字体(表黒彫・裏中彫)。

将棋駒の基本書体を上彫という。それに対して、普及品の彫り駒には中彫・並彫・黒彫(その順に簡素化されていく)と呼ばれる画数や曲線を減らした簡素で無骨な書体が使われる。スタンプ駒にも黒彫などを再現したものもある。

中級品から高級品には、駒の書体として工夫を重ねたものが使われ、書体の名称が王将(もしくは玉将)の駒尻に記される。

代表的な書体として、後水尾天皇の筆跡を基にした錦旗(きんき)、昇龍斎の書を基にした昇龍(しょうりゅう)、水無瀬兼成の筆跡を基にした水無瀬(みなせ)や、源兵衛清安(げんべえきよやす)などに、近代の書家の筆跡を基にした巻菱湖(まきりょうこ)、鵞堂などがあげられる。

駒師

底に彫られた「巻菱湖書(菱湖と同じ)」と「月山作」の文字。駒師によって値段の違いがある。駒師は、王将(または玉将)の駒尻に名前を彫る(もう一方には書体名を彫る)。

プラスチックの駒やスタンプ駒、印刷駒などの普及品は工業的に生産されるが、中級品以上になると、手作りのものがほとんどで、駒師(こまし)と呼ばれる専門職人の手作業によって工芸的に制作されている。

彫り駒の一般的な製法として、原料となる木を駒の大きさに切って整えたあと、書体に合わせて木地を彫っていく。その表面に漆を塗り、サンドペーパーで研ぎ出して駒となる。

彫り方と漆の使い方によって、書き駒・彫り駒・彫り埋め駒・盛り上げ駒に分けられる。

書き駒
木地の表面に直接漆で駒字を描いたもので、最も古い形態の駒である。現在ではほとんど生産されていない。粘りがある漆の物性により、木地の表面に漆が盛り上がる。著名な駒師が価格を抑えられる「普及版の盛り上げ駒」として制作している例がある[5]
彫り駒
木地に印刀で駒字を彫り、切削面に漆を塗って仕上げたもの。コンピュータ制御の機械で彫った比較的安価なものから、著名な駒師が丹念に仕上げた高級品まで、価格帯が広い。
彫り埋め駒
彫り駒の状態から、砥の粉と漆を調合したもので切削面を埋め、表面を磨き上げて完全な平面に仕上げたもの。一見すると、木地に駒字が毛筆で書いてあるように見える。高級品で、著名な駒師の作品であるのが通常。
盛り上げ駒
彫り埋め駒の状態から、漆を木地より高く「盛り上げ」たもので、見た目は書き駒に近似する。最高級品で、著名な駒師の作品であるのが通常。プロ(棋士女流棋士)の公式戦は、テレビ棋戦等の特別の事情がある場合を除き、盛り上げ駒を使用するのが原則。

以下に、駒師の雅号を載せる(一部)

  • 宮松影水(東京駒)
  • 恵山(伝統工芸士)(天童駒)
  • 天竜(伝統工芸士)(天童駒)
  • 淡月/月山(伝統工芸士)(天童駒)
  • 久徳(労働大臣・現代の名工-山形県天童市)(天童駒)
  • 大竹竹風(新潟県三条市)
  • 富月(富士駒の会所属)
  • 寉峯(富士駒の会所属)
  • 駒権 大阪の駒師。肉太な独自書体の彫駒を得意とし「坂田好み」や「蜀錦」が著名
  • 掬水(伝統工芸士)(天童駒)
  • 秀峰(伝統工芸師)(天童駒)
  • 蜂須賀(将棋駒研究会会友)(東京駒)
  • 雅峰(元・将棋駒研究会会友)(東京駒)

  1. ^ 佐々木忠蔵 編『勤王家吉田大八先生』吉田大八伝刊行会、1933年10月。 NCID BB24740090 
  2. ^ 斎藤 & 堀 2003.
  3. ^ 『常識なのに!大人でも答えられない都道府県のギモン』(2019年12月5日、村瀬哲史著、宝島社発行)121ページ。
  4. ^ 原田 2004, p. 41.
  5. ^ 増山雅人 (2014年7月). “酔棋流書き駒1―「書き駒教室」用の書き駒”. 駒の詩. 酔棋制作駒. 2018年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月15日閲覧。
  6. ^ 原田 2004, p. 58. 森内俊之の証言。





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