美濃電気軌道の木造単車 美濃電気軌道の木造単車の概要

美濃電気軌道の木造単車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 14:59 UTC 版)

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津保川橋梁を渡るD12号。開業とともに導入された車両だが、後年新京市電に売却された。

美濃電気軌道(美濃電)は1911年明治44年)の路線開業に合わせ、木造車体を備えた4輪単車路面電車車両)を12両導入した。その後の増備で計56両の木造単車が導入されたほか、合併会社から10両の木造単車が美濃電籍に組み込まれている(岐北軽便鉄道から6両、長良軽便鉄道から4両)。これら66両のうち、名岐鉄道を経て名古屋鉄道に引き継がれたのは57両である[1]

美濃電気軌道時代は形式称号がなく、後述する付番体系による車番が割り当てられていただけだった[2]。名鉄合併後も軌道籍の車両[注釈 1]には形式称号がなかったが、1949年昭和24年)の改番で全車両に形式称号が設定され、モ1形モ5形モ10形(2代)・モ25形モ35形モ45形(2代)・モ50形(戦災復旧車)の各形式に区分された[3]

美濃電が発注した車両は基本的に木造ダブルルーフ車体、オープンデッキ構造、客室窓8枚[注釈 2]という車体構造で、大正から昭和初期にかけて各地で見ることのできた普遍的な路面電車そのものであった[5]。主要機器については各車メーカーの差異はあったものの、制御方式は直接制御[6]、制動方式は手ブレーキ(常用)および発電ブレーキ(非常用)[7]、集電装置はトロリーポールで統一されていた[6]。戦後の改造で、前照灯の移設、客用扉新設(モ45形は未実施、モ1形・モ5形は外吊り扉[5])、集電装置のビューゲル化、連結器の撤去などが施工され、一部車両は車体外板に鋼板を張り付けた簡易鋼体車(ニセスチール車)となった[8]

1967年(昭和42年)7月23日全廃[9]

美濃電気軌道の付番体系

美濃電では木造単車に対し、搭載する電気機器によって車番の前にアルファベットを付けることで車両を区別していた[10]

後期増備車にはデッカー搭載車の記号をDDとする例があるが、DとDDの違いについては未だ解明されていない[2]。美濃電導入車両の搭載機器はデッカー製かシーメンス製であり、GE製を搭載したのは被合併会社の車両のみ、三菱製は機器の破損で交換したM2号のみであった[1]。美濃電時代より最大勢力のデッカーに統一する動きがあり[10]、最終的にデッカー製DK-13またはDK-30系統の機器に纏められた[7]

車番のうち9・29・39・42・49・59は欠番である。そのほとんどは末尾9を忌番とする美濃電初期の慣習によるもの(当初存在した9号は34号に改番[12])だが、この慣習は次第に薄れ、岐北軽便鉄道の車両を組み込む際には「19」を使用している[2]

グループ別概要

以下、製造年次や名鉄による形式称号(1949年)を基準に、便宜的に車両を区分して解説する。なお、戦災復旧車については名鉄モ50形電車も参照されたい。

D1-8, 10-12, 34(モ1形)

開業に向けて1911年(明治44年)に新製されたグループで、D1、D2、D3、D4、D5、D6、D7、D8、D10、D11、D12、D34(元D9)の12両が存在した。全車天野工場(後の日本車輌製造東京支店)製[11]。D1、D5、D6、D7、D8、D34は一時期鉄道線に所属していたが、BD505形の投入により1924年(大正13年)に軌道線に戻されている[13]

電気機器としてデッカー製の30馬力モーターを搭載していたが、一部の車両は1925年(大正14年)4月に旧岐北軽便車両の性能向上のため同車のGE製25馬力モーターと交換し、車号をG3、G4、G10、G11、G12に改めている。このほか、1929年(昭和4年)にはモーターが故障したD2が三菱製MB74-A(30馬力)に換装してM2となっている[11]

屋根のダブルルーフ構造は客室部のみであり初期車の特徴であったが、名鉄成立後の1937年(昭和12年)8月に「外観の統一」の名目で運転台まで屋根を延長し、増備車の外観に合わせている[14]

1939年(昭和14年)にはM2、G3、G4、G10、G11、G12、D34の7両を満州国新京市電に売却し、残存したD1、D5、D6、D7、D8については1941年(昭和16年)の改番で1 - 5に整理された[8]。このうち3は戦災被災により焼失しているが、戦後名古屋造船によって復旧した(以下の戦災復旧車も同様)[15]1949年(昭和24年)の形式付与・再改番で1、2、4、5がモ1形1 - 4となり、戦災復旧車の3はモ50形50となった[8]

廃車は1965年(昭和40年)6月のモ4より開始され、最後まで残存したモ3は二軸単車運用最終日となった1967年(昭和42年)7月23日まで運用された[16]

D13-18

開業直後に増備された車両で、D13、D14、D15、D16、D17、D18の6両が存在した。天野工場製(1912年1月製、京都・丹羽電車製作所製説あり[17])で、仕様は先の車両に準じている。

D18以外の5両は1920年(大正9年)に駿遠電気(後の静岡鉄道)へ売却された。残ったD18も1925年(大正14年)の旧岐北車とのモーター交換でG18となり、1939年(昭和14年)に新京市電に売却された[14]

G13-17, 19(モ25形)

岐北軽便鉄道が導入した木造単車甲形4両、乙形2両が前身である[4]。同社合併後は駿遠電気への売却で空番となった13-17および忌番として空いていた19が割り当てられ、G13、G14、G15、G16、G17、G19となった[11][2]1925年(大正14年)の機器交換でD13、D14、D15、D16、D17、D19となった後、旧乙形のD15、D16が新京市電へ売却され、残る4両がモ15形15 - 18を経てモ25形25 - 28となった[4]

S20-26, 28, 30(モ5形)

13号 (旧S28号)

美濃町線の増発に備えて1912年(明治45年)に増備されたグループで[18]、S20、S21、S22、S23、S24、S25、S26、S28、S30の9両が存在した[8]。基本仕様は前項明治44年製の車両に準じるが、製造会社とモーターが異なり全車京都・丹羽電車製作所製(車体は天野工場製[18])、シーメンス搭載車であった(後年、順次デッカーに換装されている[11])。1937年(昭和12年)8月の外観統一改造も実施されている[8]

1941年(昭和16年)の改番で6 - 14に整理され、このうち6、7が1944年(昭和19年)に仙台市電へ売却された。1949年(昭和24年)の形式付与・再改番で8、10、11、12、14がモ5形5 - 9となり、戦災・復旧を経た9、13はモ50形51、52となった[19]

戦後はモ1形と同様の経緯を辿り、1966年(昭和41年)2月のモ6・モ9を最後に全廃[1]

DD27, 31-33, 35-38, 40, 41, 43, 44(モ10形)

DD33号

笠松線開業に備えて1914年(大正3年)と1918年(大正7年)の二度に渡って増備されたグループで、DD27、DD31、DD32、DD33、DD35、DD36、DD37、DD38、DD40、DD41、DD43、DD44の12両が存在した[20]。製造は名古屋電車製作所で、モーターも同じデッカー製ながら35馬力と従来車より強力であった。この増備車より屋根形状は運転台までダブルルーフの形態で登場している[21]

1941年(昭和16年)の改番では製造年次ごとに整理され、1914年(大正3年)製のDD33 - DD44が19 - 27、1918年(大正7年)製のDD27、DD31、DD32が28 - 30となった。1949年(昭和24年)の形式付与・再改番で19、21-26、28-30がモ10形10 - 19となり、戦災・復旧を経た20、27はモ50形53、54となった[20]

戦後の各種改造についてはモ1形に準じ、モ10、モ11、モ12、モ14、モ16、モ17、モ19の7両が1967年(昭和42年)7月23日まで運用された後に廃車となり、形式消滅した[16]

DD45-48, 50, 55-58, 60(モ35形)

DD56号

1920年(大正9年)に増備されたグループで、DD45、DD46、DD47、DD48、DD50、DD55、DD56、DD57、DD58、DD60の10両が存在した[22]。大正3・7年製の車両とは製造元、寸法ともに同一[注釈 3]だが[18]、モーターが40馬力に増強されていた[22]

このグループは軌道籍・鉄道籍の変更が激しく、1923年(大正12年)にDD45、DD46、DD47、DD48の4両が旧長良軽便車の売却に備えて高富線所属(鉄道籍)となった他[22]鏡島線所属(鉄道籍)だったDD55、DD56、DD57、DD58のうちDD55はBD505形投入に伴い1925年(大正14年)に[13]、残る3両も1928年(昭和3年)に軌道籍に移された[1]

1941年(昭和16年)の改番で31 - 40に整理されたが[22]、この時点で鉄道籍(高富線)に属していた31 - 34にはモ31形の形式称号が与えられた[9]1949年(昭和24年)の形式付与・再改番でモ31形31、モ31形33、35、39、40がモ35形35 - 39となり、戦災・復旧を経たモ31形32、モ31形34はモ65形65、66に、36 - 38はモ50形55 - 57となった(モ65形は後にモ50形に統合されている)[24][25]

戦後の各種改造についてはモ10形(2代)に準じる。その後1965年(昭和40年)より廃車が開始され、最後まで残存したモ39が1967年(昭和42年)7月23日まで運用された後に廃車となり、形式消滅した[16]

G51-54

長良3号 (後のG53号)

長良軽便鉄道が1913年(大正2年)に導入した木造単車1-4号が前身である。日本車輌製造製、GE製25馬力モーター搭載車で、制御器もGE製のK10-Aであった。同社合併後はG51、G52、G53、G54となったが、1924年(大正13年)に岡山電気軌道に売却された。うち1両は更に米子電車軌道に譲渡されている[22]

DD61-63(モ45形)

市内線千手堂 - 忠節橋間延長に備え1925年(大正14年)に増備されたグループで、DD61、DD62、DD63の3両が存在した[22]。製造は日本車輌製造で、モーターは40馬力であった(デワ600形603 - 605からの台車流用説あり[26][3])。DD61は美濃町線で使用され、DD62、DD63は一時期蘇東線に転出していたことがあった[27]

1941年(昭和16年)の改番で45 - 47に整理され、1949年(昭和24年)の形式付与・再改番で46、47がモ45形45、46となり、戦災・復旧を経た45はモ50形58となった[28]

T101-104

T101号

1912年(大正元年)に新製された天野工場製の付随車であり、T101、T102、T103、T104の4両が存在した。車体は初期車両に準じており、ブレーキは手ブレーキのみであった。情勢の変化で美濃電時代より放置気味であり、1939年(昭和14年)4月に全車廃車された[29]


注釈

  1. ^ 1941年の改番当時に鉄道籍だった車両はこの時点で形式称号が与えられている。
  2. ^ 岐北軽便鉄道甲形(G13・14・17・19)の客室窓は10枚[4]
  3. ^ 昭和初期の改造を経た後の両形式の外観上の違いはほとんどなかった[23]

出典

  1. ^ a b c d 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.12
  2. ^ a b c d 『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』 p.118
  3. ^ a b 『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』 p.255
  4. ^ a b c 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.19
  5. ^ a b 「私鉄車両めぐり 名古屋鉄道」 p.150
  6. ^ a b 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.46
  7. ^ a b 「名古屋鉄道の車両前史」 p.169
  8. ^ a b c d e 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.15
  9. ^ a b 「私鉄車両めぐり 名古屋鉄道」 p.151
  10. ^ a b 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.13
  11. ^ a b c d e f 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.14
  12. ^ a b 『名古屋鉄道車両史 上巻』 p.39
  13. ^ a b 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.36
  14. ^ a b 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 pp.14-15
  15. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.42
  16. ^ a b c 「美濃町線・岐阜市内線の昨日,今日」 pp.122-123
  17. ^ 『写真が語る名鉄80年』 p.189
  18. ^ a b c 「名鉄“岐阜線”歴代車両ガイド」 p.112
  19. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 pp.15-16
  20. ^ a b 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.16
  21. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 pp.16-17
  22. ^ a b c d e f 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.21
  23. ^ 『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』 p.121
  24. ^ a b 『名鉄岡崎市内線』 p.33
  25. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.44
  26. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.23
  27. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.22
  28. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 pp.21-22
  29. ^ 『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』 p.25
  30. ^ 『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』 p.254


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