池長孟
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美術品のコレクション
軍隊を退き西洋画の名品をヨーロッパで確かめた池長は、コレクターとして「蒐集は一つの創作」であると念じ、「日本で製作された異国趣味美術品」を1箇所に集める個人コレクションを目指した。公務員から1929年に私立学校の校長に転じると、教育に携わる傍ら南蛮美術の作品を買い求めた[1]。小川安一郎に設計を託してアールデコ建築の「池長美術館」を1938年に建てて収め[27][28]、開設から2年を経た1940年(昭和15年)から、一般に公開することにした[29][30]。
戦局の悪化から同館は1944年(昭和19年)に閉館、幸いにも神戸大空襲の戦災を免れた。第二次世界大戦後、神戸市は1951年(昭和26年)に池長から池長美術館の建物とコレクションを受贈すると、これを元に「市立美術館」と称して一般に開く。1965年(昭和40年)に「市立南蛮美術館」と改称[31]、同市の美術館・博物館の統合計画が進むと、旧池長コレクションは[いつ?]神戸市立博物館に移管されて収蔵品の中核をなす。また旧南蛮美術館は1989年6月には神戸市文書館に転用され、行政の一翼を担っている。
池長コレクションは「秦西王侯騎馬図屏風」「四都図・世界屏風」「フランシスコ・ザビエル肖像」[32]という重要文化財のほか4500点にのぼり、陶磁器や金属製品、民俗資料、記録写真に至る。幼い頃から美術品に関心が高かったとされる[33][出典無効]池長は、版画家の石井柏亭から譲り受けてエドアルド・キヨッソーネの石版画「シーボルト肖像」[注釈 5]、同じキヨッソーネの銅版印刷指導で大蔵省印刷局が製作した大久保利通の肖像「勲一等贈正二位右大臣大久保公(像)」(1879年)[35]、洋画家田村宗立が描いた原画を京都画学校がリトグラフに加工した有栖川熾仁親王の石版画肖像をコレクションに加えた[36]。
銅版画
銅版画という新しいメディアを手がけた亜欧堂田善(1748年-1822年)とその一派は、〈小形江戸名勝図〉という人気シリーズを残した。伝世する絵柄は25種、そのうち19種を神戸市立博物館が所蔵する。池長が入手した「三ツ俣真景」を含む16点は1951年に神戸市に寄贈された作品群に含まれ、1982年以降は神戸市立博物館が所蔵する[38][45]。
注釈
- ^ 3月11日付で文部省から、3月より資産家の[15]武井尹人への設立者変更の認可が下りる[16][17]。
- ^ 現代の貨幣価値で約2240万円[11]。
- ^ 池長植物研究所があった会下山小公園は、地域で「牧野公園」と通称される[22]。
- ^ 現代の貨幣価値で数億円の支援金の中から数百万円を持ち出した[26]。
- ^ 石版画に署名「E Chiossone Tokei Giappone 1875」があり、明治8年の作品とわかる。57.6×37.8 cm。た池長孟は、1951年に市立神戸美術館に寄贈、神戸市立博物館に移された[34]。
- ^ 早稲田大学図書館に9枚収蔵され、内訳は「東都名所全図」「真洲先稲荷隅田川眺望」「桜田馬場射御之図」「三囲眺望之図」「自上野望山下」「今戸尾焼之図」「新吉原夜俄之図」「自道権山望鴻台之図」。11×15-12×16 cm[37]。
- ^ 「山塘普済橋中秋夜月」(さんとう ふさいきょう ちゅうしゅう やげつ)は清時代の木版画に筆で彩色した画面である。作風は西洋画の描き方(泰西筆法)に習った。陳仁桑店版。
- ^ 取材した資料がニーホフ著『東西海陸紀行』(地理書)であると明らかにされ、「バタヴィアの町の役人と職人の家」を描いた銅版の挿絵であるという[52]。
- ^ 1帖25枚の版元は以下の資料による [55]。
- ^ 『三県道路完成記念帖』は、郡山市立美術館に貸し出された。1885年(明治18)石版、絹、玄々堂(製造)「開館30周年記念展 1:記録する眼:豊穣の時代明治の画家 亀井至一、竹二郎兄弟をめぐる人々
- ^ 青空文庫の底本:『牧野富太郎自叙伝』第1刷(講談社〈講談社学術文庫〉、2004(平成16)年4月10日)。底本の親本:『牧野富太郎自叙伝』(長嶋書房、1956(昭和31)年12月)。
脚注
- ^ a b c 池長 1942, pp. 12–13, 『美術新報』
- ^ 『黒船』 1941g, p. 34
- ^ a b 〈池長孟関係写真〉“昭和時代前期/1930年代”. 文化遺産オンライン. 2024年2月19日閲覧。 “写真 / 昭和以降、池長孟”
- ^ a b c d e f “『人事興信録』データベース 池長孟”. 名古屋大学大学院法学研究科 (昭和3年(1928年)7月). 2023年11月1日閲覧。
- ^ a b 「【須磨区】須磨ニュータウンで神戸ゆかりの人物シリーズ歴史講座」『神戸新聞』、2015年2月26日。2024年2月19日閲覧。
- ^ a b 2015年2月、須磨区北須磨文化センターで「池長と神戸」を解説する市民講座が開かれた[5]。
- ^ 育英高等学校 1999, p. 180
- ^ a b c d 育英高等学校 1999, p. 30
- ^ a b c d 育英高等学校 1999, p. 31
- ^ a b “池長孟 :: 東文研アーカイブデータベース”. 東京文化財研究所. 2023年12月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “荒っ削りのコレクター「池長孟(いけながはじめ)」”. ナガジン!. 特集:発見!長崎の歩き方. 長崎市. 2021年5月30日閲覧。
- ^ 岩田照彦: “みなと元町タウンニュース第302号” (PDF). みなと元町タウン協議会. p. 2 (2017年10月1日). 2024年5月2日閲覧。
- ^ a b 育英高等学校 1999, p. 178
- ^ 育英高等学校 1999, p. 34
- ^ “武井尹人 (第8版)”. 『人事興信録』データベース. 名古屋大学大学院法学研究科. 2024年5月16日閲覧。
- ^ 日本、大蔵省印刷局(編)、1942、「文部省告示第167号」、『官報』1942年03月14日 本号 第4552号、日本マイクロ写真 doi:10.11501/2961054 p. 400
- ^ 育英高等学校 1999, p. 46
- ^ 育英高等学校 1999, p. 177
- ^ a b c d 牧野 1956
- ^ 「『南蛮堂コレクションと池長孟』出品目録」より。『年報』 2005, p. 8, 大正7年「写真焼き付け・池長植物研究所開館式」
- ^ a b 神戸市 2024, 「〈東の浅草、西の新開地〉と謳われた新開地エリア」
- ^ “会下山小公園”. www.shintetsu.co.jp. 神戸電鉄. 2024年2月19日閲覧。
- ^ 『20世紀全記録 クロニック』 1987, p. 237
- ^ 『黒船』 1941g, p. 34, 「世界の植物学者牧野富太郎博士と池長孟氏の美談」
- ^ 堀江宏樹 (2023年9月5日). “研究費を「女遊び」で使い込む!植物学者・牧野富太郎の「ヤバすぎる倫理観」”. 歴史人WEB. ABCアーク. 2024年5月15日閲覧。
- ^ a b 「メイドに手を付け、女郎屋で散財も……朝ドラには描かれない牧野富太郎の人生が「激ヤバ」すぎた」『プレジデントオンライン』、プレジデント社、2023年10月15日、2頁、 オリジナルの2023年10月26日時点におけるアーカイブ、2023年12月23日閲覧。
- ^ 『黒船』 1940a, pp. 5–12, 「池長美術館陳列目録」
- ^ a b “池長美術館recollection:美への想いがつなぐもの”. www.kobecitymuseum.jp. 神戸市立博物館. 2024年2月19日閲覧。 “会期は2023-07月22日 ~ 2023年9月10日。”
- ^ 『黒船』 1940a, 写真版・口絵「池長美術館全景と泰西王族騎馬図の前に於ける池長孟氏」
- ^ 『黒船』 1940a, pp. 2–4, 石黒敬七「池長美術館を観る」
- ^ 1965市立南蛮美術館→1982神戸市立博物館
- ^ 「聖ザビエル像は神戸市立博物館所蔵」『神戸新聞』(夕刊)2015年2月24日。
- ^ 日本経済新聞 2012年4月17日付。
- ^ “Denkmal Siebold Wurzburg”. 文化遺産オンライン. 2024年2月19日閲覧。
- ^ キヨッソーネ(原画)「勲一等贈正二位右大臣大久保公(像)」大蔵省印刷局、銅版墨摺、明治12年(1879年)。63.7×47.0 cm×37.8 cm、左下にサイン「E Chiossone Tokio 1878」。
- ^ 田村宗立(原画)、京都画学校(石版刷り) (明治14年(1881年)). “有栖川熾仁親王像”. 文化遺産オンライン. 2024年2月19日閲覧。30.3×22.2 cm。画面右下の署名は「S. Tamura」、下の余白の画題は「明治十四年十月京都画学校製」。
- ^ a b c d e f g “亜欧堂田善江戸名所図 / 亜欧堂田善 [画]”. 早稲田大学図書館. 2024年2月20日閲覧。
- ^ a b “三ツ俣真景”. 神戸市立博物館. 小形江戸名勝図シリーズ. 2024年2月19日閲覧。
- ^ 『黒船』 1940a, pp. 8–11
- ^ 『黒船』 1941a, pp. 26–28, (2)
- ^ 『黒船』 1941b, pp. 41–44, (3)
- ^ 『黒船』 1941d, pp. 30–33, (4)
- ^ 『黒船』 1941e, pp. 31–34, (5)
- ^ 『黒船』 1941f, pp. 31–35, (6)
- ^ 池長は蒐集美術に関するエピソード6編を「余譚」として雑誌『黒船』に記した [39] [40] [41] [42] [43] [44]。
- ^ 『年報』 2005, p. 7
- ^ “吉原楼中図”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年2月20日閲覧。 “美人画をあまり残さなかった北斎には珍しく続き物5枚組である。”
- ^ “生人形浅草奥山”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年2月20日閲覧。
- ^ “大日本金龍山之図”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年2月20日閲覧。
- ^ “摺物 紅毛銅版画”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年2月20日閲覧。
- ^ “UKIE(浮絵):江戸を魅了した、吸い込まれる空間(会期:2022年12月24日-2023年2月12日)”. www.kobecitymuseum.jp. 美術. 神戸市立博物館. 2024年2月19日閲覧。
- ^ “忠臣蔵十一段目夜討之図”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年2月20日閲覧。
- ^ “コレクターたちの片鱗―池長孟・南波松太郎・秋岡武次郎(会期:2022年10月15日-同年12月4日)”. www.kobecitymuseum.jp. 美術. 神戸市立博物館. 2024年2月19日閲覧。
- ^ “西国名所之内”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年2月20日閲覧。
- ^ 神戸市立博物館特別展『神戸開港150年記念特別展:開国への潮流、開港前夜の兵庫と神戸』図録、2017年。神戸市立博物館特別展『よみがえる兵庫津』図録、2004年[54]。
- ^ “英国からはじまる明治日本のスケッチ巡り(会期:2022年8月23日-同年9月25日)”. www.kobecitymuseum.jp. 美術. 神戸市立博物館. 2024年2月19日閲覧。
- ^ a b c “「生粋の神戸人間 池長 孟 の足跡:建物の記憶をたどって」の開催”. 神戸市. 神戸市:文書館企画展. 2024年2月20日閲覧。
- ^ Collection Iquenaga, Osaka, 1933, Vol. I, p. 54.
- ^ 東京文化財研究所 1937, 「(2)慶賀筆ブロムホフ家族図 池長孟蔵」『美術研究』、doi:10.11501/7964167。
- ^ 画像ファイルの注記[58]より『邦彩蛮華大宝鑑 池長蒐集品目録』第2巻p54掲載の作品[59]か(1933年)。
- ^ 東京文化財研究所 1937, 「(2)慶賀筆ブロムホフ家族図 池長孟蔵」『美術研究』1937年5月、第6巻第5号(通号65) doi:10.11501/7964167
- ^ 『黒船』 1940a, pp. 5–12
- ^ 『黒船』 1940c, pp. 24–28, 「池長美術館蒐蔵品解説(2)」
- ^ 『黒船』 1940a, pp. 2–10, 「南蛮堂要録」
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