池長孟 家族・親族

池長孟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 16:03 UTC 版)

家族・親族

池長は生涯に3回結婚し、最初の妻・正枝は荒木村重の末裔と言われる家系の出身であった。2男1女を儲けたが[4]、二男の出産時(同14年9月生まれ)に体調を崩して死去。後添えの富子は淀川長治の姉で、結婚2年目に家を出たため籍を抜く。3番目の妻・とし子との間に2子がある[11]

池長は少年期を過ごした神戸市内兵庫区門口町の屋敷に正枝と暮らし[57]、その没後、小川安一郎の設計した「紅塵荘」(葺合野崎通)に移り住む[57]。美術館を構える時はやはり小川に委託し、熊内町に展示施設と収蔵施設(附属倉庫)、自邸を構える。戦後、コレクションと館を手放すと、東灘区本山町森で余生を送った。1955年8月25日、胃潰瘍のため[10]65歳で永眠[57]

長男は倫理学者・池長澄[4](元摂南大学教授、1920-2001年)。長女は、池長のヨーロッパ視察の1922年12月に生まれ澪と名付け[4]、二男の廣は池長しまの養子に出された[4]。三男の池長潤カトリック大阪大司教区の第7代大司教を務めた。

著作

ブロムホフ家族図(アムステルダム国立美術館[60]
  • 『荒つ削りの魂 戯曲集』(弘文社、1929年)
  • 『開国秘譚 戯曲 別名・ラシヤメンお蘭一代記』(弘文社、1930年)
  • 『「狂ひ咲き」 戯曲集』(福音社、1933年)
  • 『邦彩蛮華大宝鑑 池長蒐集品目録』(創元社、1933年)全2巻、doi:10.11501/8798436[61]。革製の表紙(帙)に2冊を収め、付録は年表、「池長美術館陳列目録」[62][63]と袋入りの英文解説。
  • 『南蛮堂要録』(池長美術館、1938年)doi:10.11501/1686970[64]

寄稿

  • 「第二次海外文化に伴ふ日本的藝術:わが蒐集について」『美術新報』26号(6月上旬号)、日本美術新報社、1942年6月、12-13頁、doi:10.11501/1579272 。この号は「南蛮美術」を特集し、写真は池長コレクションの陳列品。
  • 『黒船』、黒船社、1940年。 1941年に連載。
書誌情報 リンク
01 第17巻第6号、1940年6月。 
  • 写真版・口絵「池長美術館全景と泰西王族騎馬図の前に於ける池長孟氏」
  • 石黒敬七「池長美術館を観る」p2-4。
  • 「池長美術館陳列目録」p5-12。
doi:10.11501/1473098
02 第17巻第9号、1940年。 
  • 写真版・口絵「おらんだ男女珈琲飮用図」
  • 「南蛮堂要録」p2-10。
doi:10.11501/1473101
03 第17巻第12号、1940年12月。 
  • 「池長美術館蒐蔵品解説(2)」p24-28。
doi:10.11501/1473103
04 第18巻第1号、1941年1月。 
  • 写真版・口絵「紅毛舟の図」
  • 「池長蒐集美術余譚」(2)p26-28。
doi:10.11501/1473104
05 第18巻第2号、1941年2月。 
  • 写真版・口絵「ヂアナ号備砲」
  • 山西喜一郎「デアナ号備砲の凾館渡来の由来」p2-6。
  • 森斧水「ヂアナ号乘組人員」p7-8。
  • 永見德太郎「長崎洋画家考の一部(二)」p9-11。
  • 池長孟「池長蒐集美術余譚」(3)p41-44。
doi:10.11501/1473105
06 第18巻第3号、1941年2月。 
  • 池長孟「池長蒐集美術余譚」p8-11。
doi:10.11501/1473106
07 第18巻第4号、1941年3月。 
  • 写真版・口絵「池長美術館」
  • 池長孟「池長蒐集美術余譚(4)」p30-33
doi:10.11501/1473107
08 第18巻第5号、1941年5月。 
  • 口絵「魯艦建造絵巻」
  • 文倉平次郎「『魯舩建造絵巻』を観て(其1)」p5-12
  • 池長孟「池長蒐集美術余譚(5)」p31-34
doi:10.11501/1473108
09 第18巻第6号、1941年2月。 
  • 文倉平次郎「『魯舩建造絵巻』を観て(其2)」p9-14
  • 池長孟「池長蒐集美術余譚(6)」p31-35
doi:10.11501/1473109
10 記者「世界の植物学者牧野富太郎博士と池長孟氏の美談」第18巻第12号、1941年2月。  doi:10.11501/1473115

編集

参考文献

  • 育英高等学校『夢の彩り : -育った力 一世紀-(育英 100年の歩み)』武井育英会育英高等学校、1999年。 NCID BA46599024OCLC 675594062国立国会図書館書誌ID:000002841885 
    • 「第一部 育英百年の歩み 第二章 成長期へ(池長 孟時代) : 商業学校時代」pp30-31, 34
    • 「第一部 育英百年の歩み 第三章 新生(武井尹人時代) : 苦難を越えて」p46
    • 「育英高等学校略年表」pp177-178, 180
  • 『池長孟関係写真』昭和時代前期/1930年代、全4冊、神戸市博物館収蔵。写真73枚を掲載。
  • 「南蛮堂コレクションと池長孟」『平成15年度 神戸市立博物館年報』第20号、神戸市立博物館、2005年(平成17年)3月31日、6-12頁。 本展では、未公開資料を通して池長孟のコレクター像を初めて回顧した。
    • 「1 事業概要(平成15年度)特別展示」平成15年(2003年)7月19日-8月31日、神戸新聞社とNHK神戸放送局との共催。後援はサンテレビジョンAM神戸
    • 「出品目録」p8-
      • 「I. 池長孟の生涯:身上つぶして南蛮狂い」p8- 「池長孟肖像写真(美術館前、泰西王侯騎馬図前)」合計2葉。1940年(昭和15年)撮影の池長の肖像写真を展示。
      • 「II. 池長美術館オープン」p11-
      • 「III. 散逸するコレクション」p11-
      • 「IV. 池長孟お気に入り名品選」p11-
  • 兵庫区総務部地域協働課 編『G.「湊川新開地・会下山 植物学者・牧野富太郎ゆかりの地を訪ねて」』(PDF)神戸市〈兵庫区歴史さんぽ道〉、2024年2月6日。"明治時代後期、旧湊川の付け替えによって誕生し、市民の台所として栄えた湊川エリアと、「東の浅草、西の新開地」と謳われた新開地エリア。この散策マップでは、日本の植物分類学の基礎を築き、「植物学の父」と呼ばれた牧野富太郎ゆかりの会下山小公園と、神戸らしい眺望景観10選に選ばれた会下山公園周辺をめぐる。"。 
  • 小松左京堺屋太一立花隆 企画委員 編『20世紀全記録 クロニック』講談社、1987年9月21日、237頁。 
  • 東京文化財研究所文化財情報資料部(編)『美術研究』、国立文化財機構東京文化財研究所 
    • 1935年3月、第4巻第3号(通号39)「図版7 信方筆人物図 池長孟氏蔵」、「図版13 信方筆人物図 池長孟氏蔵」。doi:10.11501/7964141
    • 1937年5月、第6巻第5号(通号65)「(2)慶賀筆ブロムホフ家族図 池長孟蔵」
  • 牧野富太郎「§池長植物研究所」『牧野富太郎自叙伝』https://www.aozora.gr.jp/cards/001266/files/55789_52788.html2024年2月20日閲覧 副題は『第1部 牧野富太郎自叙伝』[注釈 11]

関連資料

脚注に使っていない資料。発行年順。

  • 杉森哲也『描かれた近世都市』山川出版社 日本史リブレット044。
  • 高見澤たか子『金箔の港 コレクター池長孟の生涯』(神吉敬三「美術の本棚Book Review:高見澤たか子著『金箔の港-コレクター池長孟の生涯』」『季刊みづゑ』第952号、p140-141(美術出版社、1989年9月)NDLJP:2255323
  • 三隅貞吉「池長さんとの三十年」日本美術工芸社 編『日本美術工芸』第206号、p15-16(日本美術工芸社、1955年11月)doi:10.11501/2281417。この号は「故池長孟氏記念・南蛮美術特集」を企画。
  • 『池長孟旧蔵写真帖』明治時代後期〜大正時代/20世紀初期、全1冊。写真写真65枚を掲載。13.0&nbhp;cm×18.6&nbhp;cm。

注釈

  1. ^ 3月11日付で文部省から、3月より資産家[15]武井尹人への設立者変更の認可が下りる[16][17]
  2. ^ 現代の貨幣価値で約2240万円[11]
  3. ^ 池長植物研究所があった会下山小公園は、地域で「牧野公園」と通称される[22]
  4. ^ 現代の貨幣価値で数億円の支援金の中から数百万円を持ち出した[26]
  5. ^ 石版画に署名「E Chiossone Tokei Giappone 1875」があり、明治8年の作品とわかる。57.6×37.8 cm。た池長孟は、1951年に市立神戸美術館に寄贈、神戸市立博物館に移された[34]
  6. ^ 早稲田大学図書館に9枚収蔵され、内訳は「東都名所全図」「真洲先稲荷隅田川眺望」「桜田馬場射御之図」「三囲眺望之図」「自上野望山下」「今戸尾焼之図」「新吉原夜俄之図」「自道権山望鴻台之図」。11×15-12×16 cm[37]
  7. ^ 「山塘普済橋中秋夜月」(さんとう ふさいきょう ちゅうしゅう やげつ)は清時代の木版画に筆で彩色した画面である。作風は西洋画の描き方(泰西筆法)に習った。陳仁桑店版。
  8. ^ 取材した資料がニーホフ英語版著『東西海陸紀行』(地理書)であると明らかにされ、「バタヴィアの町の役人と職人の家」を描いた銅版の挿絵であるという[52]
  9. ^ 1帖25枚の版元は以下の資料による [55]
  10. ^ 『三県道路完成記念帖』は、郡山市立美術館に貸し出された。1885年(明治18)石版、絹、玄々堂(製造)「開館30周年記念展 1:記録する眼:豊穣の時代明治の画家 亀井至一、竹二郎兄弟をめぐる人々
  11. ^ 青空文庫の底本:『牧野富太郎自叙伝』第1刷(講談社〈講談社学術文庫〉、2004(平成16)年4月10日)。底本の親本:『牧野富太郎自叙伝』(長嶋書房、1956(昭和31)年12月)。

脚注

  1. ^ a b c 池長 1942, pp. 12–13, 『美術新報』
  2. ^ 『黒船』 1941g, p. 34
  3. ^ a b 〈池長孟関係写真〉昭和時代前期/1930年代”. 文化遺産オンライン. 2024年2月19日閲覧。 “写真 / 昭和以降、池長孟”
  4. ^ a b c d e f 『人事興信録』データベース 池長孟”. 名古屋大学大学院法学研究科 (昭和3年(1928年)7月). 2023年11月1日閲覧。
  5. ^ a b 【須磨区】須磨ニュータウンで神戸ゆかりの人物シリーズ歴史講座」『神戸新聞』、2015年2月26日。2024年2月19日閲覧。
  6. ^ a b 2015年2月、須磨区北須磨文化センターで「池長と神戸」を解説する市民講座が開かれた[5]
  7. ^ 育英高等学校 1999, p. 180
  8. ^ a b c d 育英高等学校 1999, p. 30
  9. ^ a b c d 育英高等学校 1999, p. 31
  10. ^ a b 池長孟 :: 東文研アーカイブデータベース”. 東京文化財研究所. 2023年12月25日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h 荒っ削りのコレクター「池長孟(いけながはじめ)」”. ナガジン!. 特集:発見!長崎の歩き方. 長崎市. 2021年5月30日閲覧。
  12. ^ 岩田照彦: “みなと元町タウンニュース第302号” (PDF). みなと元町タウン協議会. p. 2 (2017年10月1日). 2024年5月2日閲覧。
  13. ^ a b 育英高等学校 1999, p. 178
  14. ^ 育英高等学校 1999, p. 34
  15. ^ 武井尹人 (第8版)”. 『人事興信録』データベース. 名古屋大学大学院法学研究科. 2024年5月16日閲覧。
  16. ^ 日本、大蔵省印刷局(編)、1942、「文部省告示第167号」、『官報』1942年03月14日 本号 第4552号、日本マイクロ写真 doi:10.11501/2961054 p. 400
  17. ^ 育英高等学校 1999, p. 46
  18. ^ 育英高等学校 1999, p. 177
  19. ^ a b c d 牧野 1956
  20. ^ 「『南蛮堂コレクションと池長孟』出品目録」より。『年報』 2005, p. 8, 大正7年「写真焼き付け・池長植物研究所開館式」
  21. ^ a b 神戸市 2024, 「〈東の浅草、西の新開地〉と謳われた新開地エリア」
  22. ^ 会下山小公園”. www.shintetsu.co.jp. 神戸電鉄. 2024年2月19日閲覧。
  23. ^ 『20世紀全記録 クロニック』 1987, p. 237
  24. ^ 『黒船』 1941g, p. 34, 「世界の植物学者牧野富太郎博士と池長孟氏の美談」
  25. ^ 堀江宏樹 (2023年9月5日). “研究費を「女遊び」で使い込む!植物学者・牧野富太郎の「ヤバすぎる倫理観」”. 歴史人WEB. ABCアーク. 2024年5月15日閲覧。
  26. ^ a b メイドに手を付け、女郎屋で散財も……朝ドラには描かれない牧野富太郎の人生が「激ヤバ」すぎた」『プレジデントオンライン』、プレジデント社、2023年10月15日、2頁、 オリジナルの2023年10月26日時点におけるアーカイブ、2023年12月23日閲覧 
  27. ^ 『黒船』 1940a, pp. 5–12, 「池長美術館陳列目録」
  28. ^ a b 池長美術館recollection:美への想いがつなぐもの”. www.kobecitymuseum.jp. 神戸市立博物館. 2024年2月19日閲覧。 “会期は2023-07月22日 ~ 2023年9月10日。”
  29. ^ 『黒船』 1940a, 写真版・口絵「池長美術館全景と泰西王族騎馬図の前に於ける池長孟氏」
  30. ^ 『黒船』 1940a, pp. 2–4, 石黒敬七「池長美術館を観る」
  31. ^ 1965市立南蛮美術館→1982神戸市立博物館
  32. ^ 「聖ザビエル像は神戸市立博物館所蔵」『神戸新聞』(夕刊)2015年2月24日。
  33. ^ 日本経済新聞 2012年4月17日付。
  34. ^ Denkmal Siebold Wurzburg”. 文化遺産オンライン. 2024年2月19日閲覧。
  35. ^ キヨッソーネ(原画)「勲一等贈正二位右大臣大久保公(像)」大蔵省印刷局、銅版墨摺、明治12年(1879年)。63.7×47.0 cm×37.8 cm、左下にサイン「E Chiossone Tokio 1878」。
  36. ^ 田村宗立(原画)、京都画学校(石版刷り) (明治14年(1881年)). “有栖川熾仁親王像”. 文化遺産オンライン. 2024年2月19日閲覧。30.3×22.2 cm。画面右下の署名は「S. Tamura」、下の余白の画題は「明治十四年十月京都画学校製」。
  37. ^ a b c d e f g 亜欧堂田善江戸名所図 / 亜欧堂田善 [画]”. 早稲田大学図書館. 2024年2月20日閲覧。
  38. ^ a b 三ツ俣真景”. 神戸市立博物館. 小形江戸名勝図シリーズ. 2024年2月19日閲覧。
  39. ^ 『黒船』 1940a, pp. 8–11
  40. ^ 『黒船』 1941a, pp. 26–28, (2)
  41. ^ 『黒船』 1941b, pp. 41–44, (3)
  42. ^ 『黒船』 1941d, pp. 30–33, (4)
  43. ^ 『黒船』 1941e, pp. 31–34, (5)
  44. ^ 『黒船』 1941f, pp. 31–35, (6)
  45. ^ 池長は蒐集美術に関するエピソード6編を「余譚」として雑誌『黒船』に記した [39] [40] [41] [42] [43] [44]
  46. ^ 『年報』 2005, p. 7
  47. ^ 吉原楼中図”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年2月20日閲覧。 “美人画をあまり残さなかった北斎には珍しく続き物5枚組である。”
  48. ^ 生人形浅草奥山”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年2月20日閲覧。
  49. ^ 大日本金龍山之図”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年2月20日閲覧。
  50. ^ 摺物 紅毛銅版画”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年2月20日閲覧。
  51. ^ UKIE(浮絵):江戸を魅了した、吸い込まれる空間(会期:2022年12月24日-2023年2月12日)”. www.kobecitymuseum.jp. 美術. 神戸市立博物館. 2024年2月19日閲覧。
  52. ^ 忠臣蔵十一段目夜討之図”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年2月20日閲覧。
  53. ^ コレクターたちの片鱗―池長孟・南波松太郎・秋岡武次郎(会期:2022年10月15日-同年12月4日)”. www.kobecitymuseum.jp. 美術. 神戸市立博物館. 2024年2月19日閲覧。
  54. ^ 西国名所之内”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年2月20日閲覧。
  55. ^ 神戸市立博物館特別展『神戸開港150年記念特別展:開国への潮流、開港前夜の兵庫と神戸』図録、2017年。神戸市立博物館特別展『よみがえる兵庫津』図録、2004年[54]
  56. ^ 英国からはじまる明治日本のスケッチ巡り(会期:2022年8月23日-同年9月25日)”. www.kobecitymuseum.jp. 美術. 神戸市立博物館. 2024年2月19日閲覧。
  57. ^ a b c 「生粋の神戸人間 池長 孟 の足跡:建物の記憶をたどって」の開催”. 神戸市. 神戸市:文書館企画展. 2024年2月20日閲覧。
  58. ^ Collection Iquenaga, Osaka, 1933, Vol. I, p. 54.
  59. ^ 東京文化財研究所 1937, 「(2)慶賀筆ブロムホフ家族図 池長孟蔵」『美術研究』、doi:10.11501/7964167
  60. ^ 画像ファイルの注記[58]より『邦彩蛮華大宝鑑 池長蒐集品目録』第2巻p54掲載の作品[59]か(1933年)。
  61. ^ 東京文化財研究所 1937, 「(2)慶賀筆ブロムホフ家族図 池長孟蔵」『美術研究』1937年5月、第6巻第5号(通号65) doi:10.11501/7964167
  62. ^ 『黒船』 1940a, pp. 5–12
  63. ^ 『黒船』 1940c, pp. 24–28, 「池長美術館蒐蔵品解説(2)」
  64. ^ 『黒船』 1940a, pp. 2–10, 「南蛮堂要録」





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