己斐 歴史

己斐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 09:33 UTC 版)

歴史

1880年の廣島市地図
1930年頃の広島市地図 / 太田川放水路はまだなく、ほぼ同じ位置に己斐川が確認できる。
原爆による火災消失分布図 / 己斐川で火の手が止まり、己斐地区の全域が被爆火災による消失から免れたことがわかる。
1945年アメリカ軍作成の広島市地図 / 前述の己斐川がこちらではYAMATE-GAWAとなっている。

地名の由来

「己斐」は鎌倉時代以来の歴史ある地名で、その由来についてはいくつかの説がある。一つは神功皇后長門熊襲族征討に際してこの地に立ち寄ったとき、県主が大きなを献上したので「村」と称したというもの(国郡志下調書出帳)、「山間の村」を意味する「村」(かひむら)が変化したというもの(秋長夜話)、古くは「許斐」とも書いたことから筑前宗像の「許斐神社」と何らかの関係を有するというもの(芸藩通志)、などである。

沿革

広島市への編入合併前の詳細については「己斐町」を参照

以下の通り[3]

人口の変遷

総数 [戸数または世帯数: 、人口: ]

1980年昭和55年)12月[4] 9,325世帯
26,118人
1990年平成2年)12月[4] 11,296世帯
30,364人
2000年(平成12年)12月[4] 11,743世帯
28,215人
2010年(平成22年)12月[4] 12,573世帯
27,119人
2013年(平成25年)10月[5] 12,698世帯
26,773人



  1. ^ 国土地理院発行2万5千分の一地形図
  2. ^ a b c Google map
  3. ^ a b c d e f g h west21.gr.jp2013年9月7日閲覧。
  4. ^ a b c d 1980,1990,2000,2010年12月末、住民基本台帳調査による。広島市調べ。”. 2013年12月11日閲覧。
  5. ^ 住民基本台帳調査による。広島市調べ
  6. ^ 広島電鉄ホームページ 広電バス路線図2013年9月7日閲覧。
  7. ^ 広島バスホームページ 広島バス25号線路線図2013年9月7日閲覧。
  8. ^ エイチ・ディー西広島ホームページ ボン・バス路線図2013年9月7日閲覧。
  9. ^ それいけ!ズッコケ三人組ホームページ2013年9月7日閲覧。
  10. ^ 石井直人宮川健郎編『ズッコケ三人組の大研究II』p.139(ポプラ社2000年
  11. ^ a b c d e f g h i 『日本紳士録 第44版』広島1-28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月7日閲覧。
  12. ^ a b c 『日本紳士録 第35版』広島1-28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月4日閲覧。
  13. ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p73
  14. ^ 広島県教育委員会ホームページ 広島県の文化財 - 紺紙金泥宝篋印陀羅尼経2013年9月8日閲覧。
  15. ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p76
  16. ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p74
  17. ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p75
  18. ^ NHKホームページ 己斐調整場送水ポンプ室2013年9月10日閲覧。
  19. ^ 『テレビ・タレント人名事典(第5版)』日外アソシエーツ、2001年7月、727頁。ISBN 4-8169-1677-6 





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「己斐」の関連用語

己斐のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



己斐のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの己斐 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS