己斐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 09:33 UTC 版)
歴史
地名の由来
「己斐」は鎌倉時代以来の歴史ある地名で、その由来についてはいくつかの説がある。一つは神功皇后が長門の熊襲族征討に際してこの地に立ち寄ったとき、県主が大きな鯉を献上したので「鯉村」と称したというもの(国郡志下調書出帳)、「山間の村」を意味する「峡村」(かひむら)が変化したというもの(秋長夜話)、古くは「許斐」とも書いたことから筑前宗像の「許斐神社」と何らかの関係を有するというもの(芸藩通志)、などである。
沿革
- 広島市への編入合併前の詳細については「己斐町」を参照
以下の通り[3]。
- 1889年:町村制発足により佐伯郡己斐村が発足
- 1911年:町制施行により佐伯郡己斐町と改称
- 1929年4月1日:広島市への編入合併
- 1950年:ノートルダム清心中学校が開校
- 1961年:ノートルダム清心女子大学短期大学部(1964年ノートルダム清心女子短期大学に改称)が開学
- 1964年:広電ストア己斐店(ひろでん会館)が開業
- 1969年:己斐駅を西広島駅に改称
- 1972年:広島市立己斐中学校が開校
- 1973年:広島音楽高等学校が小町より移転
- 1975年:広島市立己斐東小学校が開校
- 1978年:花満花市場跡地にスーパーいづみ己斐店(現・ゆめマート己斐)が開業、広島市己斐公民館が開館
- 1982年:広島市立己斐上小学校が開校
- 1987年:広島市立己斐上中学校が開校
- 2001年:広島高速4号線が開通
人口の変遷
1980年(昭和55年)12月末[4] | 9,325世帯 26,118人 |
1990年(平成2年)12月末[4] | 11,296世帯 30,364人 |
2000年(平成12年)12月末[4] | 11,743世帯 28,215人 |
2010年(平成22年)12月末[4] | 12,573世帯 27,119人 |
2013年(平成25年)10月末[5] | 12,698世帯 26,773人 |
五月が丘 | 山手町 | |||
高須台 | 福島町 | |||
己斐 | ||||
高須 | 庚午 | 観音 |
- ^ 国土地理院発行2万5千分の一地形図
- ^ a b c Google map
- ^ a b c d e f g h west21.gr.jp2013年9月7日閲覧。
- ^ a b c d 1980,1990,2000,2010年12月末、住民基本台帳調査による。“広島市調べ。”. 2013年12月11日閲覧。
- ^ 住民基本台帳調査による。広島市調べ。
- ^ 広島電鉄ホームページ 広電バス路線図2013年9月7日閲覧。
- ^ 広島バスホームページ 広島バス25号線路線図2013年9月7日閲覧。
- ^ エイチ・ディー西広島ホームページ ボン・バス路線図2013年9月7日閲覧。
- ^ それいけ!ズッコケ三人組ホームページ2013年9月7日閲覧。
- ^ 石井直人・宮川健郎編『ズッコケ三人組の大研究II』p.139(ポプラ社、2000年)
- ^ a b c d e f g h i 『日本紳士録 第44版』広島1-28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月7日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第35版』広島1-28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月4日閲覧。
- ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p73
- ^ 広島県教育委員会ホームページ 広島県の文化財 - 紺紙金泥宝篋印陀羅尼経2013年9月8日閲覧。
- ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p76
- ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p74
- ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p75
- ^ NHKホームページ 己斐調整場送水ポンプ室2013年9月10日閲覧。
- ^ 『テレビ・タレント人名事典(第5版)』日外アソシエーツ、2001年7月、727頁。ISBN 4-8169-1677-6。
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