己斐 史跡

己斐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 09:33 UTC 版)

史跡

通称「己斐ロープウェイ」。電電公社己斐無線中継所専用のロープウェイで現存せず。
1955年頃の己斐無線中継所。中央がロープウェイの発着所。
鎌倉時代中期から戦国時代山城
  • 己斐古城(己斐西町、旭山)
築城年、城主は不明。鎌倉時代中期の城と推定されている[3]
広島では1599年に伝道されたキリスト教であるが、豊臣秀吉1587年に出したバテレン追放令1596年に出した禁教令、および江戸幕府1612年および1613年に出した禁教令により迫害された。1616年山手川(現在の太田川放水路)の河原にて処刑が行われた。時は流れ、付近にカトリックの学校(ノートルダム清心中学校・高等学校)ができるなど、迫害は過去のものとなった。そして1984年2月、己斐の歴史研究会の有志によってキリシタン殉教の碑が設置された[3]
通玄山という文字が彫られた岩。通玄という語には禅の極地という意味がある。浅野長晟の家臣の子として広島に移り住み、晩年を己斐の地で過ごした広島藩士、寺西織部信之が、黄檗宗の開祖である隠元禅師の通玄山という書を禅門の師を通じて得て、岩に彫刻したものであると言われている[3]
通玄岩(己斐)
旧送水ポンプ室は、1945年(昭和20年)の原爆に耐えた被爆建物である[18]
  • 原爆被爆給水塔(己斐本町、前述の己斐ガーデンスクエア内)
赤レンガ積みの給水塔であり、1辺が約4m、高さ約10mの大きさの被爆建物。軍服を製造していた日本麻紡績株式会社が所有していた[3]



  1. ^ 国土地理院発行2万5千分の一地形図
  2. ^ a b c Google map
  3. ^ a b c d e f g h west21.gr.jp2013年9月7日閲覧。
  4. ^ a b c d 1980,1990,2000,2010年12月末、住民基本台帳調査による。広島市調べ。”. 2013年12月11日閲覧。
  5. ^ 住民基本台帳調査による。広島市調べ
  6. ^ 広島電鉄ホームページ 広電バス路線図2013年9月7日閲覧。
  7. ^ 広島バスホームページ 広島バス25号線路線図2013年9月7日閲覧。
  8. ^ エイチ・ディー西広島ホームページ ボン・バス路線図2013年9月7日閲覧。
  9. ^ それいけ!ズッコケ三人組ホームページ2013年9月7日閲覧。
  10. ^ 石井直人宮川健郎編『ズッコケ三人組の大研究II』p.139(ポプラ社2000年
  11. ^ a b c d e f g h i 『日本紳士録 第44版』広島1-28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月7日閲覧。
  12. ^ a b c 『日本紳士録 第35版』広島1-28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月4日閲覧。
  13. ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p73
  14. ^ 広島県教育委員会ホームページ 広島県の文化財 - 紺紙金泥宝篋印陀羅尼経2013年9月8日閲覧。
  15. ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p76
  16. ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p74
  17. ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p75
  18. ^ NHKホームページ 己斐調整場送水ポンプ室2013年9月10日閲覧。
  19. ^ 『テレビ・タレント人名事典(第5版)』日外アソシエーツ、2001年7月、727頁。ISBN 4-8169-1677-6 





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「己斐」の関連用語

己斐のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



己斐のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの己斐 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS