小梁川遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/29 13:21 UTC 版)
展示
七ヶ宿町「水と歴史の館」[10]の常設展示に、出土土器の一部は展示されている。2016年(平成28年)6月28日から2017年(平成29年)2月26日には東北歴史博物館でテーマ展示を行っている[11]。七ヶ宿町「水と歴史の館」では、2017年(平成29年)4月25日~6月25日に「七ヶ宿ダム湖に沈んだ小梁川・大梁川展」[12]を開催している。
脚注
調査報告書
- 宮城県教育委員会 「小梁川遺跡」『宮城県文化財発掘調査略報(昭和56年度分)』宮城県文化財調査報告書第90集、1982年。
- 宮城県教育委員会「小梁川遺跡・古代編」『七ヶ宿ダム関連遺跡発掘調査報告書I』宮城県文化財調査報告書第107集、1985年。
- 宮城県教育委員会『小梁川遺跡遺物包含層土器編 七ヶ宿ダム関連遺跡発掘調査報告書II』宮城県文化財調査報告書第117集、1986年。
- 宮城県教育委員会『小梁川遺跡 七ヶ宿ダム関連遺跡発掘調査報告書III』宮城県文化財調査報告書第122集、1987年。
- 宮城県教育委員会『大梁川・小梁川遺跡 七ヶ宿ダム関連遺跡発掘調査報告書IV』宮城県文化財調査報告書第126集、1988年。
関連項目
外部リンク
- 縄文土器 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- 名久井文明, 「トチ食料化の起源 民俗例からの遡源的考察」『日本考古学』 13巻 22号 2006年 p.71-93, 有限責任中間法人日本考古学協会, doi:10.11215/nihonkokogaku1994.13.22_71
- 渡辺誠, 「縄文文化の発達とブナ帯」『ブナ帯文化』 87-106, 1985, 思索社, NAID 10003858064
- 剱持行史「中期大木式土器の編年」東北芸術工科大学
- 相原淳一, 古川一明, 鷹野光行 ほか, 「東北歴史博物館研究紀要」 第19号, 東北歴史博物館 2018, NCID AA11458673
- 新庄屋元晴, 平沢英二郎, 村田晃一 ほか, 宮城県教育委員会 1986, 「小梁川遺跡」『小梁川遺跡』宮城県文化財調査報告書117, doi:10.24484/sitereports.10101
座標: 北緯37度58分13.27秒 東経140度29分58.41秒 / 北緯37.9703528度 東経140.4995583度
- ^ 伊東信雄1957「古代史」『宮城県史』第1巻
- ^ 佐藤庄吉1960『刈田郡全域土器石器調査表』不忘郷土研究所
- ^ 佐藤庄吉1969『郷土の変遷』不忘郷土研究所
- ^ 縄文文化発達とブナ帯[リンク切れ]
- ^ 相原淳一2014「宮城県の埋設土器・埋設遺構集成」『北日本縄文時代埋設土器・埋設遺構集成』北日本縄文文化研究会叢書2(北日本縄文文化研究会)
- ^ 相原淳一2001「宮城県における縄文時代集落の諸様相」『列島における縄文時代集落の諸様相』第1回研究集会基礎資料(縄文時代文化研究会)
- ^ 相原淳一1999「仙台湾周辺 早期〜中期」『縄文時代』第10号 縄文時代文化研究会
- ^ 相原淳一 2008「編年研究の現状と課題 東北地方」『歴史のものさし 縄文時代研究の編年体系』 縄文時代の考古学第2巻 同成社
- ^ 相原淳一2013「宮城県登米市糠塚貝塚出土の北陸系土器」『興野義一著作集 時を語る』
- ^ 七ヶ宿町「水と歴史の館」
- ^ 「修復された被災文化財-小梁川・大梁川遺跡-」 東北歴史博物館テーマ展示室1 [リンク切れ]
- ^ 平成29年度春の特別展「七ヶ宿ダム湖に沈んだ小梁川・大梁川展~時空を越えて縄文文化が語りかけるものとは~」
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