古河財閥 古河家当主

古河財閥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 01:38 UTC 版)

古河家当主

  • 初代 - 古河市兵衛(天保3年(1832年) - 1903年(明治36年))
  • 2代目 - 古河潤吉(1870年(明治3年)) - 1905年(明治38年))
    • 陸奥宗光の次男だが、古河家の養子となった。
    • の照子(1903年(明治36年) - 1976年(昭和51年))が、小田川達朗(1890年(明治23年) - 1945年(昭和20年))[注釈 1]である芳朗(1895年(明治28年) - ?)と結婚。一方、達朗は小石川三井家7代当主三井高喜(文政6年(1823年) - 1894年(明治27年))のである美佐雄(1895年(明治28年) - ?)と結婚。潤吉と三井家に姻戚関係ができた[1]
  • 3代目 - 古河虎之助(1887年(明治20年) - 1940年(昭和15年))
  • 4代目 - 古河従純(1904年(明治37年) - 1967年(昭和42年))
    • 西郷従道の子である西郷従徳の子。妻は古河市兵衛の孫娘・幸子。男爵。
    • 娘の富美子(1941年(昭和16年) - )は、岩崎隆弥の子である東一(1933年(昭和8年) - )と結婚[1]
  • 5代目 - 古河潤之助(1935年(昭和10年) - 2018年(平成30年))
  • 6代目 - 古河潤一(1968年(昭和43年) - )
    • 潤之助の長男。

古河従純の長男・古河潤之助は元・古河電気工業社長。次男・古河久純(1937年(昭和12年)東京府生れ、学習院大学卒業)は古河林業会長。3男・古河正純(1938年(昭和13年)東京府生れ、学習院大学卒業)は元・古河産業社長。4男・古河建純は元・ニフティ社長(元・富士通常務)。5男・古河直純(1944年(昭和19年)東京都生れ、慶應義塾大学卒業)は日本ゼオン社長。

古河従純の子息は、全て古河グループ各社へ入社し役員となるが、これは財閥系企業では珍しいことで、理由としては、従純が第二次世界大戦敗戦直後の古河財閥の大混乱下において、米国ハーバード大学留学時の人脈を活かし財閥解体公職追放の影響を最小限に抑えようとしたことが挙げられる。


注釈

  1. ^ 京都大学で採鉱学第2講座を担当していた。(京都大学百年史編集委員会『【部局史編 2】第9章: 工学部』京都大学後援会、1997年9月。hdl:2433/152973https://hdl.handle.net/2433/152973 

出典

  1. ^ a b 広瀬隆『持丸長者 : 日本を動かした怪物たち』ダイヤモンド社、2007年、系図6頁。ISBN 9784478920442NCID BA81384649全国書誌番号:21176521 






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