古河鉱業と帝国大学とは? わかりやすく解説

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古河鉱業と帝国大学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 13:56 UTC 版)

古河機械金属」の記事における「古河鉱業と帝国大学」の解説

1906年明治39年)、京都帝国大学(現・京都大学)の設置尽力高等教育機関設置前向きな西園寺公望首相とする第1次西園寺内閣成立すると、1907年度(明治40年度)予算東北帝国大学(現・東北大学)および九州帝国大学(現・九州大学)の設置予算組み込んだ。しかし、日露戦争後不況期入ったことを理由大蔵大臣によって予算削減され設立絶望的となった。このとき、古河鉱業(現・古河機械金属副社長であった原敬内務大臣が、古河財閥3代目当主古河虎之助説得し、両帝国大学設立のための資金提供させることを取り付け予算削減から17日目に両帝国大学設置閣議決定された。 1907年明治40年6月東北帝国大学本部設置され同年9月札幌農学校東北帝国大学農科大学(現・北海道大学)に昇格した1911年1月には、東北帝国大学理科大学新設され九州帝国大学本部設置および九州帝国大学工科大学新設なされた同年4月には、九州帝国大学福岡医科大学移管されて九州帝国大学医科大学となった。これらの大学設置には、地元からの寄付金等も用いられたが、1907年度から5年間で約106万円上った古河財閥寄付金用いられた(内訳建築費が987,739円、事務費69,137円)。古河財閥からの校舎建設資金は、東北帝国大学分が、農科大学135,519円、理科大学244,170円、九州帝国大学分が工科大学608,050であった北海道大学には現在、これらの名残建築物ともいえる「古河記念講堂」が現存している。

※この「古河鉱業と帝国大学」の解説は、「古河機械金属」の解説の一部です。
「古河鉱業と帝国大学」を含む「古河機械金属」の記事については、「古河機械金属」の概要を参照ください。

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