古河銀行の破綻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:10 UTC 版)
東京古河銀行(1922年(大正11年)に古河銀行と改称、現・みずほフィナンシャルグループ)は1917年(大正6年)に設立され、第一次世界大戦特需と古河財閥傘下企業の好調な発展に支えられ、預金・貸出ともに急成長したが、その時に発生したのが古河商事の大連事件であり、また、深刻な第一次世界大戦後の反動恐慌であった。 大連事件の一時的な善後処理は乗り切ったが、その後、預金の大幅減少が続き、これも第一銀行(のち第一勧業銀行、現・みずほフィナンシャルグループ)の援助を受けながら凌いだ。そして、恐慌沈静後は預金が増勢に転じ、関東大震災の発生後も順調に回復した。 しかし、その後、関東大震災に伴う震災手形処理問題の難航から、鈴木商店の破綻に代表される全国の銀行を巻き込んだ1927年(昭和2年)の金融恐慌が発生し、引き続いて1929年(昭和4年)の世界恐慌とそれに基づく翌年からの昭和恐慌に直面した。 そして、銀行業務と支店の移管について第一銀行と東京貯蓄銀行(のち協和銀行、現・りそなホールディングス)との合意を得て、1931年(昭和6年)に大蔵大臣に解散認可願を提出し、認可された。
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