千羽鶴 (小説)
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登場人物
- 三谷菊治
- 26 - 28歳くらい。会社員。東京に在住。4年前に父を亡くし、その後に内気な母も死去。兄弟はいない。茶道が趣味だった父には外にも女がいた。幼い頃の菊治はそのことで義憤を感じ苦しめられた。父は楽器会社の株主。
- 太田夫人
- 45歳前後。未亡人。菊治の父親の不倫相手で、三谷に終生愛された女。鎌倉市円覚寺の茶会で成長した菊治と出会う。色の白い長めな首と、それに不似合いな円い肩。恰好のいい小さな鼻と、小さなやや受け口の唇。年上の女という感じがしない。しなやかな受身。
- 栗本ちか子
- お茶の師匠。独身。茶会の用で三谷家に出入り、半ば世話人のようになっている。左の乳房に掌ほどの黒紫の痣がある。菊治の父親の情婦だった時期がある。菊治は8歳か9歳の頃、父に連れられて栗本の家を訪れ、その醜い痣に生えた毛を切っているちか子を見たことがある。現在は中性化しているが、太田夫人をまだ憎んでいる。
- 太田文子
- 22歳。太田夫人の一人娘。母より黒目がちな目。10歳の時に父親が死去。戦時中は生活力のない母親の代りに、空襲で危ない中、少女ながら新潟まで米や食料を買い出しに行った。父親の故郷は九州の竹田市久住町。
- 稲村ゆき子
- 菊治の見合い相手。桃色のちりめんに白の千羽鶴の風呂敷を持っていた。のち菊治と結婚する。四人姉妹の賑やかな明るい家庭で育った令嬢。父親は株をやり、娘たちにもやらせている。
- 女中
- 三谷家の女中。菊治の父の代からいる老女。
作品背景・エピソード
千羽鶴
『千羽鶴』に見られる「茶器」や風呂敷の「千羽鶴」の絵模様などへの川端の関心やこだわりには、日本の伝統美に対する造詣の深さがうかがわれ、こういった題材を盛り込んだ作品は、川端にしか成し得ないものだとされている[10]。
作中で妖しさを見せる美しい夫人の象徴であり、『千羽鶴』で重要な役割を演じている志野焼は、尾張・美濃に産した陶器で、室町時代の茶人・志野宗信が美濃の陶工に命じて作らせたのが始まりであるとも、今井宗久が始めたとも伝わり、文禄・慶長を盛期とする。茶器が多く、白釉を厚く施し、釉下に鉄で簡素な文様を描いた絵志野をはじめ、鼠色の鼠志野、赤志野、紅志野、無地志野などがあり、それぞれ雅趣豊かで独創性に富む[3]。
波千鳥
続編『波千鳥』の作品背景としては、1952年(昭和27年)10月に、続きを書きたいと考えていた川端の元へ、当時大分県在住の画家・高田力蔵が偶然、大分県の案内役をかって出て、諸所をめぐる旅の機会が与えられたことが大きいという[8]。
しかし作品の核心が迫ってきた最終段階で取材ノートが紛失し、中断を余儀なくされた。当初この事件は旅行中に鞄ごと紛失したことになっていたが、川端没後の6年経った1978年(昭和53年)、実は東京の仕事部屋として使っていた旅館で、執筆中のほんのわずか席を立った合間に、盗難にあったものだったことが、川端夫人により公表された[11]。
これは川端がいつも世話になっていた旅館に迷惑が及ぶのを慮って、川端が秘密にしたのだという[11]。盗まれた取材ノートには、「写生」がつぶさに記されてあったため、9回目以降の執筆を不可能にし、断念させるほどであった[8]。
未完に終ってしまった続編『波千鳥』は、川端の構想の中では、結婚した菊治とゆき子はうまく行かなくなり離婚し[12]、文子が鉱山の売店で働いているところに菊治がやってきて、2人が再会するところで結末を迎えることになっていたという[11]。川端はその部分について、〈あそこの山の中で心中させることを考えていたんです〉とも述べている[13][14]。
作品評価・研究
『千羽鶴』は『山の音』と並ぶ川端の戦後の代表的作品の一つであるが、文学的評価は、圧倒的に絶賛された『山の音』と比べると、倫理的な面や現実感のない女性の造型から低い評価も散見され、林房雄や川嶋至が辛口の評価をしている作品である[15][16][17]。
作中には随所に日本の伝統美の古雅が見られるが、後年、川端自身は『千羽鶴』について、以下のように語っている。
しかしある意味、川端独自の目線で〈日本の茶の心と形〉を小説として表現していると保昌正夫は解説している[10]。
三島由紀夫は『千羽鶴』を「川端の擬古典主義様式の一つの完成品であり、谷崎潤一郎でいうなら、『盲目物語』や『蘆刈』の作品系列に該当する」と評し[4]、悪役のちか子に「性わるな命婦」、主人公の菊治に「光源氏」の面影が見られ、菊治の婚約を知り服毒自殺をする太田夫人や、夫人の娘が母の罪を背負って菊治に抱かれた後、身を隠して生死不明となる結末など、全般的に王朝の物語の人物や物語的情趣の風味があると解説している[4]。
そしてそれと同時に、『千羽鶴』の面白さは、「日本的風雅の生ぐささの諷刺になっているところ」でもあると三島は述べ[4]、「俗悪な女茶人」ちか子が催す茶会で披露される美しい茶道具は、ちか子の「俗な職業的知識」の関心でしかなく、その道具の一つ一つが、「醜い情事を秘めて伝承され」、太田夫人の志野茶碗にも、口紅のあとが罪のように染みついているところなどが、「小説の小道具として生ぐささにおいて申し分ない」としながら、以下のように解説している[4]。
山本健吉は、主人公・菊治には、『禽獣』の主人公や『雪国』の島村と共通したものが見られ、「その実生活は完全に捨象された存在であり、美に対する感受性だけが生きて動いている」存在で、シテである「太田夫人のあでやかな舞姿」を、「ワキとして、見所を代表する者として眺めている非行動人」だとし、以下のように『千羽鶴』を解説している[3]。
梅澤亜由美は、『千羽鶴』の終局近くに、菊治が処女の文子と結ばれることで、〈純潔そのものの抵抗〉を知り、太田夫人の〈女の波〉から解放され、父の〈不潔〉との同化や、ちか子の〈あざ〉に象徴される過去の負の記憶からも解放されて、そこで「菊治の自己浄化の物語」は完結するはずであったとし[18]、成就しかけた菊治の物語を破綻させたのが、「文子の失踪」であるとしている[18]。
そして、なぜ川端が『千羽鶴』の結末を壊さなければならなかったのかについて梅澤は、続編『波千鳥』に挿入されている文子の長い手紙の中で綴られる、母の不倫による少女時代の文子の「罪の意識」と、母を死なせてしまった悔恨と悲しみ、また自分も菊治を愛し関係を持ってしまった文子の苦悩の心情に焦点を当てながら[18]、文子は、ゆき子と結婚する菊治の幸せのために、母と文子自身の情念の象徴である「志野の湯呑み」を割って全てを終らせ、遁走するしかなかったと解説している[18]。
さらに梅澤は、未完となった『波千鳥』の川端の構想の中に、「菊治と文子の再会」や「心中」があったことを鑑み、「川端は、菊治と文子二人の救済、できることなら二人の再会による救済の成就という形を目指して、『波千鳥』の執筆へと向かったのだ」とし[18]、それまでの川端作品に見られるような男性のみの自己浄化の形でないものを川端が考えていたが、今度はゆき子が不幸になり、その自責を菊治が再び負うことになってしまうことに気づいた川端が、菊治と文子の心中という方向に構想を変化せざるをえなくなり、やがて書き継ぐ意思もなくなり、未完となったのではないかと考察している[18]。
- ^ a b 「あとがき」(『川端康成全集第15巻 千羽鶴・山の音』新潮社、1953年2月)。独影自命 1970, pp. 258–273に所収
- ^ a b c d e f 「解題」(小説12 1980, pp. 543)
- ^ a b c d e f 山本健吉「解説」(千羽鶴文庫 1989, pp. 282–287)
- ^ a b c d e f 「解説」(『日本の文学38 川端康成集』中央公論社、1964年3月)。作家論 1974, pp. 84–102、三島32巻 2003, pp. 658–674
- ^ 「作品年表――昭和24年(1949)から昭和26年(1951)」(雑纂2 1983, pp. 546–553)
- ^ 「著書目録 一 単行本――86」(雑纂2 1983, p. 604)
- ^ 「作品年表――昭和28年(1953)から昭和29年(1954)」(雑纂2 1983, pp. 555–560)
- ^ a b c d 郡司勝義「解題」(千羽鶴文庫 1989, pp. 288–292)
- ^ 「翻訳書目録――千羽鶴」(雑纂2 1983, pp. 662–665)
- ^ a b 「『ただ一つの日本の笛』を吹く」(保昌 1964, pp. 65–73)
- ^ a b c 川端秀子「川端康成「波千鳥』未完の秘話」(朝日新聞夕刊 1978年8月28日号)。千羽鶴文庫 1989, p. 291
- ^ 川端康成「名作『千羽鶴』の映画化を語る会」(婦人倶楽部 1952年12月号)。梅澤 1998, p. 52に抜粋掲載
- ^ 川端康成(武田勝彦との対談)「川端康成氏へ聞く…」(國文學 1970年2月号)。梅澤 1998, p. 52に抜粋掲載
- ^ 「第七章 豊饒の季節――通奏低音〈魔界〉 第七節 贖罪と浄化の旅『波千鳥』」(森本・下 2014, pp. 94–110)
- ^ 「第七章 豊饒の季節――通奏低音〈魔界〉 第五節 夢魔の跳梁『千羽鶴』」(森本・下 2014, pp. 52–77)
- ^ 林房雄・北原武夫・中村好夫「創作合評―川端康成―」(群像 1949年11月号)。森本・下 2014, p. 55に抜粋掲載
- ^ 「美への耽溺―『千羽鶴』から『眠れる美女』まで―」(川嶋 1969)
- ^ a b c d e f 梅澤 1998
- ^ “九重町 - 川端康成文学碑”. 九重町公式サイト. 2015年3月10日閲覧。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)96頁
- ^ 志村三代子「川端康成原作映画事典――12『千羽鶴』」(川端康成スタディーズ 2016, pp. 237–238)
- ^ a b 志村三代子「川端康成原作映画事典――32『千羽鶴』」(川端康成スタディーズ 2016, p. 254)
- ^ 恒川茂樹「川端康成〈転生〉作品年表【引用・オマージュ篇】」(転生 2022, pp. 261–267)
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