志野宗信とは? わかりやすく解説

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しの‐そうしん【志野宗信】

読み方:しのそうしん

室町中期香道家。志野流の祖。磐城(いわき)の人。通称三郎右衛門三条西実隆香道学び足利義政(あしかがよしまさ)に仕えた生没年未詳


志野宗信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/06 03:12 UTC 版)

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志野 宗信(しの そうしん、嘉吉3年(1443年)? - 大永2年3月18日1522年4月14日)?)は、室町幕府足利将軍家6代足利義教から8代足利義政まで仕えた同朋衆であり、志野流香道の祖である。通称三郎左衛門といい号は松隠軒。陸奥国白河信夫(現・福島県)の生まれで上洛しては四条に住んだ。

生涯

宗信を取り巻く人物として牡丹花肖柏村田珠光宗祇法師、帰牧庵玄清、相阿弥、咲山軒大喝、二階堂行二といった当時文人、連歌師、また茶人としてその才能が天下に認められていた人達がいる。当時、宗信は、名物の茶入他、数々の茶道具や、義政公より拝領の名香「蘭奢待」、御物青磁の香炉「都鳥」などを所持し、家宝としていた。宗信の業績として先ず挙げられるのは、香木の分類と炷香の作法の確立である。彼は、足利義政の命により、将軍家所持(佐々木道誉蒐集)の百八十種の名香を分類すると共に、三条西実隆所持の六十六種を更に精選、追加、入れ替え等を行い、「六十一種名香」を定めた。そして、その選定過程で、全ての香木を「六国五味」で判別、鑑賞することを極めていく。なお、宗信が草創した流儀の一切は、現在も途切れることなく志野流香道20世家元幽光斎宗玄が継承している。

没年月日は大永2年(1522年)3月18日[1]、大永3年(1523年)8月1日[2]など諸説あり、享年も79歳、82歳などとされる。

脚注

  1. ^ 流祖 志野宗信(松隠軒) 志野流茶道 松風会
  2. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus(コトバンク)

参考文献

  • 西山松之助『家元ものがたり』秀英出版 1971年
  • 『香りの世界』平凡社 1979年
  • 『香道入門』淡交社 1993年
  • 『香の文化』徳川美術館 1996年
  • 『かぐわしき日本の香り』広島県歴史民族博物館 2014年

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