ホリー・ヴァランス 来歴

ホリー・ヴァランス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 03:07 UTC 版)

来歴

生い立ち

ファッションモデルでありギタリストピアニストでもあるセルビア人の父ライコと、同じくファッションモデルであったイギリス人の母レイチェルとの間に生まれた。ホリーは、イギリスコメディアンであるベニー・ヒル親戚であり、ヒルのいとこは彼女の祖父であった。

モデル・学生時代

12歳の頃からモデルやCMなどで活躍していた。高校はメルボルンのローマカトリック系のスター・オブ・ザ・シー・カレッジで教育を受けた。

その後、知人の紹介によりオーストラリアの連続ドラマネイバーズ』のオーディションを受け3年間の契約を勝ち取り、フェリシティー役で一躍脚光を浴びる。しかし、音楽のキャリアを追求するため2002年にこのドラマを去る。

モデルとして、メルボルンのファッションショーナオミ・キャンベルと一緒に出演したこともある。

歌手時代

イギリスのロンドンレコードと契約し、歌手としての活動を開始。 最初のシングルは、2002年4月29日にリリースされた、トルコ人歌手タルカンのヒット曲「Şımarık(Chu!Chu!は恋の合言葉)英語版」のカバー曲である「Kiss Kiss」。彼女がで踊っているように見えたので、PVのディレクターズ・カットバージョンは非常に注目された[注釈 1]。これが話題を呼んでイギリスでは初週に14万3408枚を記録し、全英シングルチャート初登場1位というデビューを飾った。本国オーストラリアのARIAチャートでも1位となり、アメリカGQ』誌の2002年「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」、『WHO』誌の「最もセクシーな女性」に選ばれた。2002年の第16回ARIAミュージック・アワードにも「Kiss Kiss」が4部門にノミネートされた[1]

2枚目のシングル「Down Boy英語版」 は全英シングルチャートで最高2位、オーストラリアのチャートでは最高3位になった。 2002年10月14日に発売されたデビューアルバムFootprints』は全英アルバムチャートで最高9位に、オーストラリアのアルバムチャートでは最高15位になった。このアルバムからの3枚目のシングルとなった「Naughty Girl英語版」は、全英シングルチャートで最高16位に、オーストラリアでは最高3位になった。この曲は、デビューアルバムからは最後のシングルカットとなった。

日本でも2度プロモーション活動を行い、年末には『ミュージックステーション』や『ポップジャム』に出演した。また『堂本剛の正直しんどい』では堂本剛ロケを行った。その端麗な容姿から日本でも多くの支持を集め、アルバム『ホリー・ヴァランス』は約30万枚もの売り上げを記録した。

この時、「最初の段階から自分のキャリアを選択できていたのなら、私は真っ先に歌手の道に進んでいたと思う。私は音楽が大好きで情熱も持っている。歌を唄うという事は、曲や音楽で人の心に触れることができる素晴らしい経験だと思う」と語っている。

2003年、2枚目のアルバム『State of Mind』からシングルカットされた同名のシングル「State of Mind英語版」が、全英シングルチャートで最高8位、オーストラリアで最高14位になったが、同年11月6日に発売されたアルバム自体はイギリス、オーストラリアともにアルバムチャートで50位以内にも入らないという結果になった。日本では最高12位、ゴールドディスク獲得と健闘したが、 このアルバムからの2枚目のシングルカットとなるはずだった「Desire」のプロモーションは、アルバム自体の売上が伸び悩んだことなどからキャンセルされた。売上の低迷に加えて、彼女の元恋人でもあったマネージャーとの解雇に絡む訴訟問題などもあり、彼女はレコード会社から契約を打ち切られてしまう。しかし、このことについては、「私はリリースされるように頼んだが、ワーナーが拒否したので、契約が期限が切れるまで私は1年間宙ぶらりんの状態だった」と述べながら否定した。後に、男性雑誌で音楽にはもはや興味がないと確信したと告白した。

彼女は自身のシンガーとしてのキャリアについて「長い時間と努力を注ぎ込んだが、上手くはいかなかった。私に多額の報酬をもたらしたのは多くの宣伝とこの容姿で、アルバム自体のセールスから得たものは決して多くはなかった。これは私だけではないと思う。皆少なからず現在の音楽業界のあり方に苦しめられていると思う。楽しいと思えなくなる日まで何とか前進しようとやってきた。そして今の私には、もはや音楽は楽しいものではなくなってしまった[2]」と述べている。

2005年に音楽界に戻り、ハー・マー・スーパースター英語版のアルバム『The Handler英語版』の2曲(「Back the Camel Up」と「Body Request」)に歌い手として参加した[3]

女優時代

女優としては、2004年に『CSI:マイアミ』のゲスト出演から再始動し、『CSI:NY』にも出演した。

2005年からは人気ドラマシリーズ『プリズン・ブレイク』のニカ・ヴォレク英語版の役で出演し、そのままシーズン2まで役を演じ続けた。

2006年には、パリス・ヒルトンと共に、ナショナルランプーン英語版喜劇である『プレッジ・ディス!英語版』に出演。同じ年、人気テレビゲーム脚本の『DOA/デッド・オア・アライブ』にもクリスティ・アレン役で出演し、シャワーシーンなどの演技を披露した。

2008年、『96時間』でリーアム・ニーソンファムケ・ヤンセンと共演。また、CWテレビジョンネットワーク10月に放送された『バレンタイン英語版』にも出演した。

このような映画やドラマで演じる仕事だけでなく、コレクトコールサービス1800リバース英語版や、シュワルツコップのヘアケア製品の広告塔も務めた[4]








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