ネリー・フーパーとは? わかりやすく解説

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ネリー・フーパー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/03 04:44 UTC 版)

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ネリー・フーパー
出生名 Paul Andrew Hooper
生誕 1963年
出身地 イングランド ブリストル
ジャンル トリップ・ホップエレクトロニカ
職業 DJ音楽プロデューサーリミキサー作曲家
共同作業者 Wild Bunch
ソウル・II・ソウル

ネリー・フーパー(Nellee Hooper、1963年 - )は、イングランド音楽プロデューサー作曲家リミキサー。1980年代末期よりソウル・II・ソウルのメンバーとして活動し、その後、多くのアーティストの作品をプロデュースした。

来歴

ブリストル出身。マッシヴ・アタックの前身ユニットであるワイルド・バンチに参加して[1]、その後ジャジー・Bらと共にソウル・II・ソウルを結成。1990年にはソウル・II・ソウルのセカンド・アルバム『Vol. II: 1990 - A New Decade』が大ヒットするが、フーパーはその後間もなくソウル・II・ソウルを離れた[2]。そして、フーパーは1990年代前半にはシネイド・オコナービョークマドンナ等の作品にプロデューサーとして参加した。また、シャーデーの日本企画EP『リミックス・デラックス』(1993年)では、収録曲「フィール・ノー・ペイン」のリミックスを担当している[3]

1995年2月20日に開催されたブリット・アワードで、フーパーはベスト・ブリティッシュ・プロデューサー賞を受賞[4]。同年にはティナ・ターナーが歌唱した映画『007 ゴールデンアイ』の主題歌「GoldenEye」をプロデュースした[5]

1996年アメリカ映画ロミオ+ジュリエット』の音楽を担当。同作のサウンドトラックは高く評価されて、フーパーは英国アカデミー賞 作曲賞を受賞した[6]。2000年代に入ってからも、ノー・ダウトU2等の作品に参加している。

プロデュース作品

バンド名またはミュージシャンの姓の五十音順。共同プロデューサーとして参加したものも含む。

脚注

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