トリスタンダクーニャ 気候

トリスタンダクーニャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 14:28 UTC 版)

気候

気温と降水量

海洋性気候で、昼夜・夏冬の温度変化は大きくはない。エディンバラの平均年降水量は1675mm[9]

歴史

ヨーロッパとインド洋を喜望峰回りで結ぶ航路において、トリスタンダクーニャは途中の補給地として利用された。図は、19世紀のクリッパー(快速帆船)の航路である。

発見

1506年に、ポルトガルの探検家トリスタン・ダ・クーニャによって発見された。ただし、海が荒れていたために彼は島に上陸することはなかった。島の名称は、この探検家にちなんだものである。

1643年、オランダ東インド会社の船 Heemstede の乗組員によっておこなわれたのが、島への最初の上陸の記録である。喜望峰回りでヨーロッパとインド洋を往復する船や、大西洋を横断しようとする船によって、この島は補給地・避難港として利用された。17世紀後半には、セントヘレナから派遣されたイギリス東インド会社の船が、島への定住の可能性を報告しているが、実行には移されなかった。

島の本格的な調査は、1767年フランス王国フリゲート L’Heure du Berger によって行われたものが最初である。大まかな海岸線の測量が行われるとともに、Big Watron の大滝や北海岸にある湖の存在が確認された。調査結果はイギリス海軍の水路部によって1781年に公刊された。18世紀後半には、イギリス人商人が一時的に島に居住しているが、定住には至らなかった。

定住

ジョナサン・ランバートは「リフレッシュ諸島」の領有を宣言し、旗を制定した。

最初の定住の試みは、アメリカマサチューセッツ州セーラム市出身の船員ジョナサン・ランバート (Jonathan Lambert) によって行われた。1810年12月、数人の部下とともに上陸したランバートは、1811年にトリスタンダクーニャ諸島をリフレッシュ諸島  (Islands of Refreshment と名付けて領有を宣言し、付近を航行する船舶に水や野菜や麦や肉、ゾウアザラシの油などを供給して対価を得た。しかし、ランバートは1812年3月17日にボート事故によって死亡した。この年、米英戦争が勃発し、島は両国の艦船によって基地として利用された。1815年3月23日には、アメリカ海軍のブリッグ「ホーネット」 (USS Hornet (1805 brig) とイギリス海軍の大型スループ「ペンギン」 (HMS Penguinが、島付近で交戦している。

1816年に、イギリスはこの島を正式に併合し、ケープ植民地の管理下に置いた。これは、前年セントヘレナ配流されたナポレオンを奪回するための基地としてフランスがトリスタンダクーニャを使用することを防ぐためであり、島にはイギリス陸軍の部隊が進駐した。この部隊は翌1817年には撤退するが、伍長のウィリアム・グラス(1787年–1853年)が軍を除隊し、家族とともに島に残り、島の長となった[10]。島に寄港・漂着した船員の中には島に残留する者もあり、人口も次第に増え、多いときで100人前後が暮らした。

1867年、ヴィクトリア女王の次男であるエディンバラ公アルフレッドが、世界周航の途中この島に立ち寄った。この島唯一の集落であるエディンバラ・オブ・ザ・セブン・シーズ(略称エディンバラ)の名は、この訪問を記念して命名された。

孤立と接触

人口の推移 (1821–1923)

この島は、南大西洋を航行する船の補給基地や、捕鯨船の拠点として利用された。しかし、南北戦争に伴ってアメリカの捕鯨業が打撃を受けたことや、スエズ運河の開通(1869年)、帆船から蒸気船への転換により、アジアへの航海の途中にこの島に寄港する船は少なくなった。島は孤立を深めたが、宣教師が訪れたり、難破船の救助活動が行われたりしているため、外界との交渉が完全に絶たれたわけではない。1885年には漁船の事故により、島の成年男性18人のうち15人が死亡するという悲劇にも見舞われた[11]。これ以降も、島が困難に陥った際に、ケープ植民地に移住するよう提案が行われたものの、島民はこれを拒否し続けた。島を出た人々が家族を連れて帰島したり、新たな定住者を得たりすることによって、島のコミュニティは維持された。なお、1880年代に聖公会イングランド国教会)宣教師兼教師としてこの島に滞在した人物に、ルイス・キャロルの末弟であるエドウィン・ドジソン (Edwin H. Dodgsonがいる。

島が最も孤立した時期は第一次世界大戦前後であり、この時期にはイギリス海軍が毎年1回行っていた物資の補給が途絶えた。1919年7月に軽巡洋艦ヤーマスが大戦終結のニュースをもたらしたが、それまでの10年間、島は1通の郵便物も受け取らなかったという。1922年5月20日には、シャクルトン=ローウェット遠征隊が南極遠征からの帰途トリスタンダクーニャに立ち寄って5日間滞在した。

1938年1月12日、この島はセントヘレナに所属することとなった。第二次世界大戦中の1942年にはイギリス海軍の秘密基地(コードネーム「HMS Atlantic Isle」)として無線・気象観測拠点が建設され、南大西洋を航行するUボートなどのドイツ艦船の監視が行われた。施設の建設には島民が従事したが、当時の島には通貨がなかったため、労賃は現物(木材、ペンキ、茶)で支払われた。

第二次世界大戦中に建設された重要な施設は、戦後もイギリスによって維持された。1949年にはトリスタン開発会社 (Tristan Development Corporation) が設立され、島にロブスター加工工場が建設された。1950年からはイギリス政府から行政官 (Resident British Administrator) が派遣されるようになり、貨幣が導入されるようになった。新聞「トリスタン・タイムス」が発行されるようになったのもこの頃である。

1956年、アメリカ合衆国による大気圏内核実験(アーガス作戦)がトリスタンダクーニャ島の南西115kmの地点で行われた。1957年には、エリザベス2世の夫であるエディンバラ公フィリップが王室所有の船でこの島を訪問している。

全島避難

1961年8月6日から、エディンバラ付近で地震活動が活発化し、10月10日に最初の噴火が起こった。当時居住していた住民全員(島民264名と一時滞在者25名)は島から脱出し、島民たちはイギリス本土に避難した。

避難した住民に対して行われた健康調査により、喘息が非常に多いことが判明した[12]

1962年初頭に、王立協会は島の調査を行い、噴火の被害は少なかった旨を報告した。イギリス政府は島民を対象に帰還するかどうかの投票を行わせた結果、島民のほとんどが島への帰還を選んだ。1963年、島民たちは2回に分けてトリスタンダクーニャ島に帰還した。

世界でも有数の孤島にあった自給自足的なコミュニティが物質文明社会のただ中に移動したこと、彼らが再び島へと戻る選択した事は注目を集め、この出来事を題材に複数の文学作品が創作された。

21世紀

トリスタンダクーニャが地理的に隔絶した環境にあることに変わりはないが、通信技術の発展は情報における孤立を解消している。2001年には衛星放送によってテレビが受信できるようになった。島ではインターネットを利用することもできる。

2002年にトリスタンダクーニャは、ロブスターやアホウドリを描いた紋章とを制定した。それまでは主島であるセントヘレナの旗と紋章を用いていた。

2005年にはイギリスの郵便番号「TDCU 1ZZ」が与えられた。これにより、島で暮らす人々がオンラインで商品を購入することが容易になった。

2007年12月には、ウイルス性の気管支喘息の爆発的な流行が報告された。島に適当な医薬品がなかったため、イギリス沿岸警備隊が国際的な協力をとりまとめ、対策にあたった。

2008年2月12日夜から翌日にかけて、ロブスター加工工場が火災で焼失した。工場にあった2機の発電機は島全体に電力を供給していたため、7月17日に工場が再建されて新しい発電機が稼動するまで、島は深刻な電力不足に陥った[13][14]

2009年7月、それまでの「セントヘレナとその属島」の憲法(1988年制定)が改められ、「セントヘレナ・アセンションおよびトリスタンダクーニャ」の新しい憲法が制定された。新憲法は、セントヘレナ島・アセンション島とトリスタンダクーニャの地位が対等であると規定している。

自然

トリスタンダクーニャのキバナアホウドリ

トリスタンダクーニャは、アホウドリの大型近縁種の営巣地としても知られ、英語名に島の名を冠するゴウワタリアホウドリ (Tristan Albatrossのほか、ニシキバナアホウドリ (Atlantic Yellow-nosed Albatrossワタリアホウドリが生息する。

ほかにズキンミズナギドリ (Atlantic Petrel、ズグロミズナギドリ (Great Shearwaterや、ナンキョクアジサシ (Antarctic Ternイワトビペンギンなども生息する。イナクセシブル島とゴフ島は、ゴフ島野生生物保護区として、ユネスコ世界遺産の自然遺産に指定されている。

トリスタンダクーニャには多くの植物・動物相が見られるが、それらは南大西洋・南太平洋に広く周極的に分布している。このため、多くの種は遠くニュージーランドの種と共通である。

島内には工場が1カ所と産業が少なく風が強いことから空気は極めて清浄である[12]


  1. ^ Governor's three-day visit to a sombre Tristan da Cunha”. 2023年3月29日閲覧。
  2. ^ a b The current Chief Islander is James Glass”. The Tristan da Cunha Website. the Tristan da Cunha Government and the Tristan da Cunha Association. 2021年11月7日閲覧。
  3. ^ Saint Helena, Ascension and Tristan da Cunha”. Citypopulation (2023年8月19日). 2023年8月27日閲覧。
  4. ^ visits - トリスタンダクーニャ公式サイト
  5. ^ 「トリスタン-ダ-クーナ」、三省堂編集所編『コンサイス外国地名辞典 改訂版』(三省堂、1985年)
  6. ^ Tristan da Cunha Island Group and Gough Island”. North Dakota State University. 2012年3月27日閲覧。
  7. ^ 「トリスタン-ダ-クーナ群島」、三省堂編集所編『コンサイス外国地名辞典 改訂版』(三省堂、1985年)
  8. ^ Fairhead, J. D.; Wilson, M. (2005). “Plate tectonic processes in the South Atlantic Ocean: Do we need deep mantle plumes?”. In Foulger, G. R.. Plates, Plumes, and Paradigms, Issue 388. Geological Society of America. pp. 537–554. ISBN 9780813723884. https://books.google.com/books?id=0z74GC0rA5kC&pg=PA539&lpg=PA539&dq=tristan+hotspot+walvis+ridge&source=web&ots=f4f-g7Z-Wl&sig=SXbPXUvnKiO72Ey2fBYj7T2380s&hl=en#PPA538/M1 2015年5月閲覧。 
  9. ^ a b c (英語) "Tristan da Cunha"Commonwealth Secretariat内。2009年11月21日閲覧。
  10. ^ 「島の地理学 小さな島々の島嶼性」p112 スティーブン・A・ロイル 中俣均訳 法政大学出版局 2018年8月30日初版第1刷発行
  11. ^ 「島の地理学 小さな島々の島嶼性」p121 スティーブン・A・ロイル 中俣均訳 法政大学出版局 2018年8月30日初版第1刷発行
  12. ^ a b c “Worldwide search for asthma clue” (英語). (2008年12月9日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/7766656.stm 2021年9月21日閲覧。 
  13. ^ Factory Fire on 13th February 2008、2009-09-19閲覧。
  14. ^ News of the building of a 21st Century Tristan Fishing Factory、2009-09-19閲覧。
  15. ^ administrator administrator”. The Tristan da Cunha Website. the Tristan da Cunha Government and the Tristan da Cunha Association. 2021年11月7日閲覧。
  16. ^ a b Island Council”. The Tristan da Cunha Website. the Tristan da Cunha Government and the Tristan da Cunha Association. 2015年4月25日閲覧。
  17. ^ 「島の地理学 小さな島々の島嶼性」p233 スティーブン・A・ロイル 中俣均訳 法政大学出版局 2018年8月30日初版第1刷発行
  18. ^ 世界のイセエビ|静岡県 浜松市、イセエビの加工販売|株式会社サンク”. イギリス産ボイルイセエビ. 2023年2月8日閲覧。 “殻のカラーは濃朱で、見た目は国産伊勢海老に似ていて「トリスタン」とも呼ばれています。”
  19. ^ 核実験監視に係る放射性核種監視の現状 - 日本原子力研究開発機構
  20. ^ Millington, Peter. “Tristan da Cunha Website” (英語). www.tristandc.com. 2021年9月21日閲覧。
  21. ^ 「島の地理学 小さな島々の島嶼性」p299 スティーブン・A・ロイル 中俣均訳 法政大学出版局 2018年8月30日初版第1刷発行
  22. ^ (英語) Shipping Schedule、トリスタンダクーニャ公式サイト内、2010年3月31日閲覧
  23. ^ Tristan da Cunha Transport News
  24. ^ 最果ての地より さらに遠く”. 文学座. 2014年9月23日閲覧。
  25. ^ NHKアーカイブス”. 日本放送協会. 2014年9月23日閲覧。






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