テキサス (BB-35) 第一次世界大戦

テキサス (BB-35)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 01:57 UTC 版)

第一次世界大戦

第一次世界大戦時の戦艦テキサス。2本の大きな鉄塔はテキサスの籠型マスト。このマストは1925年の近代化改修の際に単一の3脚式マストに変更された。

テキサスは艦隊へ復帰すると、ニューイングランド海岸沖での訓練を再開した。そして、冬の到来と同時にバージニア岬から西インド諸島へ赴き、砲術と艦隊戦術の訓練を行った。訓練はアメリカ合衆国第一次世界大戦に参戦する1917年4月まで、2年以上に渡り行われた。ドイツ帝国への宣戦布告当日である1917年4月6日、テキサスは他の大西洋艦隊戦艦群と共に、ヨーク川河口に停泊していた。その後、テキサスは商船での防衛任務に就く兵員を訓練するため、8月中旬までバージニア岬とハンプトン・ローズ周辺に留まった[29]

同年8月、テキサスは修理のためにニューヨークへ向かい、8月19日に第10番基地に到着後ただちにニューヨーク海軍造船所に入渠した。9月26日に修理が完了するとロングアイランド北部にあるポート・ジェファーソンへと向かう[29]。だが、9月27日の深夜にブロック島の浅瀬に座礁し、その結果乗員達は3日間の無益な日々を過ごす羽目になった。9月30日、艦を浅瀬から引き離すためのタグボートが到着し、艦を後ろへ牽引しようやく浅瀬から脱出することに成功した。しかし、脱出には成功したものの船体へのダメージは大きく、造船所での修理が必要と判断された。また、このために11月にイギリスへ向けて出航する予定だった第9艦隊からテキサスは除かれることとなった[21]。なお、この修理に伴って副武装の12.7cm(5インチ)砲は16門に減らされることになった[28]

同年12月までに修理を終えたテキサスは、演習のためヨーク川から南へ移動した。そして1918年1月中旬にニューヨークで大西洋横断の準備を整えた。1918年1月30日にニューヨークを出港し、2月11日にはスコットランドオークニー諸島スカパ・フローへ到着、第9艦隊に再合流した。この艦隊は後にグランド・フリート第6戦艦戦隊として知られるようになった[29]

テキサスはグランド・フリートと共に輸送船団の護衛を主な任務とし、北海封鎖しているイギリス艦隊に対しドイツ軍が来襲した際には、いつでも支援に駆けつけることができるよう備えた。テキサスの艦隊はスコットランドのフォース湾からスカパ・フローまでの区間を主な根拠地とした。スカパ・フローへ到着してから5日後にテキサスは作戦行動に入った。そして、第4戦艦戦隊支援のために北海での任務に従事した。スカパ・フローへ帰還した翌日から3月8日まで滞在した後、3月13日に帰還するまで輸送艦隊の護衛任務に就いた。テキサスを含む艦隊は、4月12日にフォース湾に入ったが、休む間もなく第17艦隊として再び輸送船団の護衛任務に戻った。4月20日、アメリカの戦艦群は基地へ帰還したが、その4日後にドイツ帝国海軍大洋艦隊が連合軍輸送艦隊に対してジェイド湾からノルウェー沿岸部へ向けて出撃したとの知らせを受け取ると、テキサスは第2戦艦戦隊支援のために再び出撃した。艦隊は4月25日、小規模のドイツ艦隊を発見したが、艦隊戦に持ち込むには互いの距離がかなり離れ、そして戦力的に見てもドイツ側から交戦してくる可能性は全く見受けられなかった。ドイツ艦隊はその日のうちに彼らの基地へと戻り、そしてテキサスおよびグランド・フリートも同様に基地へ戻っていった[29]

フォース湾に帰還したテキサスと艦隊は5月中は出撃任務も無く、翌月までそこで過ごした。6月9日、テキサスは第6戦艦戦隊の他の艦と共に、スカパ・フローの停泊地へ向けて出航し翌日到着した。6月30日から7月2日にかけて、テキサスおよび他の艦隊は、北海域の封鎖強化のために機雷を敷設するアメリカ軍機雷敷設艦の護衛任務に就いた。そして、スカパ・フローへ帰還してから2日後、テキサスはグランド・フリートと共に2日間の戦術訓練と洋上演習を行うために港を出た。7月8日に演習は終了し、艦隊はフォース湾へ帰還した。こうして第一次世界大戦の残りの日々をテキサスと第9艦隊の戦艦は、グランド・フリートの第6戦艦戦隊として働き続けた。だが、ドイツ艦隊はジェイド川かエムス川の河口にある基地からほとんど動く気配も無く、よって、アメリカとイギリスの艦隊はたいした戦闘活動も無く、単調と言える日々を過ごすこととなった。その様な状態が1918年11月11日休戦協定成立によって第一次世界大戦が終結するまで続いた。11月20日の夜、テキサスは降伏するドイツ艦隊に接触するために、グランド・フリートと共に行動を始めた。2つの艦隊はフォース湾の入り口近くにあるメイ島の東64km(40マイル)の地点に集合し、そして共にスカパ・フローにある停泊地へ向かった。その後、アメリカ軍欧州派遣艦隊はイングランドのポートランド港へ移動し、12月4日、同地に到着した[29]


注釈

  1. ^ 戰艦“テキサス Texas[1] 全要目{排水量27,000噸 速力20節 備砲36糎砲10門 13糎砲16門 起工1911年4月 竣工1914年3月 建造所 ニューポートニュース造船會社} これば米國戰艦中でも舊式艦の部に属するものであるが、1926年より約1ヶ年を費して大々的な近代化が行はれて大いに若返つた。全長174.64米、幅32.30米、平均吃水7.92米、軸馬力28,100馬力。兵装は上記の外に7.6糎高角砲を8門備へてゐて魚雷發射管はない。尚この寫眞は“テキサス號”がパナマ運河を通航中のものである。/“アーカンサス Arkansas” 現在米國海軍の保有する戰艦中の最古のもので1912年9月ニューヨーク造船會社で竣工、排水量26,100噸、速力21節、30糎砲12門、13糎砲16門、7.6糎高角砲8門を有するものである。
  2. ^ a b 銀製茶器寄贈[3] テキサス州民は米國海軍の誇りとす可き超努級戰艦がテキサス號と命名せられたるを徳とし七千五百弗が醵金して紀念の銀製茶器一式を作製し之をテキサス號に寄贈する事に決したるが醵金の成蹟思はしからずして只二千四百弗を得たるのみなるを以て止むを得ず古き茶器に新らしき茶器を少しばかり添へて奇贈する事に決したり、テキサス號は茶器の寄贈を受くるため五月中にテキサス州ガルベストン港に回航の筈なり(テキサス州オースチン市發)(記事おわり)
  3. ^ 先代は、アメリカ海軍の最初の戦艦「テキサス (USS Texas) 」[4]。1911年に退役して「サン・マルコス」と改名し、標的艦として処分された[5]
  4. ^ a b テキサス(起工:1911年4月17日、進水:1912年5月18日、竣工:1914年3月12日)、ニューヨーク(起工:1911年9月11日、進水:1912年10月30日、竣工:1914年4月15日)[10]
  5. ^ 戦艦テキサスは最古の戦艦ではない。現存する最古の戦艦としては前弩級戦艦敷島型戦艦三笠」が存在する。
  6. ^ 両世界大戦に従軍した艦船で現存しているもう1つの船はメーディアである。同船は両大戦時にフランス海軍イギリス海軍にて使用された。
  7. ^ a b アメリカ海軍において、最初に航空機を発艦させた軍艦は、軽巡バーミンガム (USS Birmingham, CL-2) 」である(ユージン・バートン・イーリー、1910年11月10日)。
  8. ^ 戦艦テキサスが最初の国定歴史建造物に指定されていることについてはList of U.S. National Historic Landmark ships, shipwrecks, and shipyardsを参照。
  9. ^ ◎日本海軍擴張(米國海軍卿警戒説)[24](中略)メイヤー海軍卿曰く、ニューポートニウスに於る米國の新造戰艦テキサス號の進水式後數時間にして英國造船所に於て優秀なる日本の戰闘巡洋艦(金剛を指す)の進水したる事は見過すべからざる出來事なり、同艦は我がテキサス號に比し六節の高速力を出し十四吋の巨砲實に八門を有す、而も日本は更に同種同型の戰闘巡洋艦三隻を内地造船所に於て建造す可しと傳ふ、此の事實は即ち我がテキサス、ニューヨークの二戰闘艦完成と同時に日本はドレツドノートに匹敵すべき戰闘巡洋艦 ▲四隻を太平洋に 浮ぶる事を意味する者なり、之を武装の点より比較せば四大戰闘闘巡洋艦より成る日本艦隊は十四吋の巨砲三十二門を有するに反し我が米國はテキサス、ニューヨーク兩艦を合して僅かに十四門を出でず(以下略)
  10. ^ ◎新艦金剛威力 ―世界屈指の新鋭― [25] 英國毘社バロー造船所にて客年五月十八日期せずして米國の十四吋主砲の戰艦テキサス號(二萬七千噸 速力二十節半 十四吋主砲十門)と同日を以て進水せる我新巡洋艦金剛は其後着々艤装工事を進め(中略)去る十月呉に進水すべき三萬五百噸の戰艦扶桑並にその姉妹艦の一隊を援けて我洋上國防の第一線に位置すべきものなるがその本邦回航は左記航程を執り十一月七日には横須賀軍港内に其勇姿を現はすべし(以下略)
  11. ^ ●紐育港頭 雪の觀艦式 去廿六日午前觀艦式 同日午后は陸上行列[32] ▲十八ヶ月間 に對し海上偵察の任務に苦闘したる弩級艦アリゾナ號を始めとしペンシルバニヤオクラホマ號、ネバダ號、ユター號、紐育號、テキサス號、アルカンサス號、ウオーミング號及びフロリダ號は去廿五日夜アンブロス運河の紐育市街の見ゆる所に投錨せり降雪ひヽとして市街より其勇を見られざりき/▲去二十六日朝七時半艦隊は錨を揚げ弩級艦アリゾナ號を先頭に十隻の大戰艦は徐々として紐育埠頭自由の神像の前面に進み大統領用快走船五月花號に乗れるダニヱル海軍卿に依つて荘嚴なる觀艦式は行はれ粉々たる降雪の中に海には禮砲轟き陸上よりは群衆の歡呼天をも動かす如かりき(以下略)
  12. ^ 旗艦テキサス艦上に 日本の軍艦旗飜へる 日の本の宮様を奉迎の日 二十一發の皇禮砲天地に轟く[40] 高松宮兩殿下に於かせられて同十八日午前十一時四十五分旗艦テキサス號へ公式訪問遊され同艦メーンマストには大日本帝國海軍々艦旗晴れやかなる五月の風に飜り二十一發の皇禮砲の轟く中に御乗艦、デツキに司令長官チヱース大将を初め諸多の高官将校嚴然と整列御出迎え申上げ、御昼餐を召し遊され御機嫌麗はしく午後一時五分二十一發の砲禮に送られメーリーランド號に向はされたが、同艦と等しく二十一發の皇禮砲を以つて御迎え申上マクナミー・コマンダーの御案内で最新式軍艦設備を御見學遊されたが(以下略)
  13. ^ 1941年の時点で大西洋方面にはアメリカ空母「レンジャー[46]、「ヨークタウン」、「ワスプ 」が配備されていた[47]。1941年6月には護衛空母「ロング・アイランド」が就役して大西洋に配備され[48]、1941年10月には空母「ホーネット」が就役した[49]
  14. ^ 太平大西兩艦隊の現有勢力[50] ◇米大西洋艦隊は主力艦ニューヨーク號、テキサス號(共に二萬七千噸)アンカス號(二萬六千噸)の如き老朽主力艦に加へてノースカロライナワシントン號(共に三萬五千噸)などの新造艦、航空母艦三隻、驅逐艦四十隻乃至六十隻及び潜水艦相當數よりなつてゐるから艦隊勢力としては獨海軍の全體に比肩する一方日本の海軍勢力が我々の豫想以上でない限り米太平洋艦隊の勢力は現在の處日本海軍の現有勢力と略同等である(以下略)
  15. ^ 現在はカナダの州。
  16. ^ 第2次世界大戦において、短距離型の対艦ミサイル(あるいは無線誘導型爆弾)があり、その代表的な例としてはフリッツXが挙げられる。ドイツ空軍はこの兵器を使用して連合国軍の艦船に打撃を与えようと試み、連合国によって無線妨害という対抗策が考案される前にいくつかの大型艦船をこれによって沈没させたか、あるいは被害を与えている。
  17. ^ (昭和20年2月21日)[54] 〔 二一|一、(イ)第二御楯特攻隊硫黄島周邊艦艇攻撃 兵力fc o×一一、fbス×12、fo天×七(fbス×二、fo天×一、fc fo×二 引返ス) 戰果 A×一概ネ撃沈、A×一撃沈ノ算大、B×二轟沈、c×四撃破 炎上、不詳×一沈没 火柱一九(一六〇六~一八五〇)/(ロ)牽制伴動隊 frサ×二、flo×四 父島西方ニ僞瞞紙散布、空中火災墜落flo×一 未歸還flo×一(一一一五~一二三〇木更津發)/(ハ)flo×六硫黄島敵上陸部隊攻撃、二機陸上、二機船舶攻撃、効果不明(一七四五~一八五〇)(以下略)|(情報)|二、硫黄島方面攻撃ノ戰艦ニハ「ニユーヨーク」「テキサス」「ネヴアダ」「アーカンサス」「アイダボ」「テネシー」ヲ含ム(K三情報)(以下略) 〕
  18. ^ 残りの記念艦はノースカロライナマサチューセッツアラバマアイオワニュージャージーミズーリウィスコンシンであり、いずれも第二次世界大戦中に就役した戦艦である。
  19. ^ 海軍料理人ドリス・ミラーキューバ・グッディングJr.)が乗艦していたコロラド級戦艦ウェストバージニア (USS West Virginia, BB-48) 」は、アイオワ級戦艦ミズーリ (USS Missouri, BB-63) 」で撮影された。甲板上ボクシングのシーンで(約44分頃)、50口径16インチ砲三連装砲塔2基が映る。真珠湾攻撃でミラーが対空機銃を操作するシーンでは「ウェストバージニア(ミズーリ)」の隣にノックス級フリゲートウィップル (USS Whipple, FF-1062) 」が停泊している(艦首番号1062が映る)。

出典

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