スペランツァ大阪
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スペランツァ大阪 | |
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原語表記 | スペランツァ大阪 |
愛称 | スペ大阪 |
クラブカラー | ブルー、 ブラック |
創設年 | 1990年 |
所属リーグ | 日本女子サッカーリーグ |
所属ディビジョン | なでしこリーグ1部 |
ホームタウン | 大阪府河内長野市、高槻市 |
ホームスタジアム |
高槻市萩谷総合運動公園サッカー場 高槻市立総合スポーツセンター陸上競技場ほか |
収容人数 |
3,000(高槻萩谷) 3,000(高槻総合) |
運営法人 | 株式会社スペランツァ大阪 |
代表者 | 芋縄孟紀 |
監督 |
![]() |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
概要
1990年に大阪高槻レディースサッカークラブとして創設され[1]、1991年に松下電器産業(現:パナソニック)の企業チームとなり松下電器LSC・バンビーナと改称[1](「バンビーナ」はイタリア語で「少女」の意)、同年より日本女子サッカーリーグに参加する。1994年シーズンにリーグ初優勝。
松下電器の撤退に伴って、2000年にスペランツァF.C.高槻(「スペランツァ」はイタリア語で「希望」)へ名称を変更して市民クラブ化された[1]。
2012年、旧運営会社とよしもとクリエイティブ・エージェンシーとの共同出資にて運営会社「スペランツァFC大阪高槻株式会社」を設立[2]、それに伴いチーム名がスペランツァFC大阪高槻に変更された[2]。エンブレムは2012年のチーム改名に合わせてリニューアルされ、3つの「S」が並ぶデザインとなった。左から「高槻の土と郷土愛(橙)」「芥川(水色)」「北摂連山(緑)」を表す。
2015年には経営危機が明らかになり、一時は存続が危ぶまれていたが、2016年シーズンよりユニフォーム胸スポンサーであるコノミヤとの命名権契約締結によりコノミヤ・スペランツァ大阪高槻として活動することになり[3][4]、運営会社も「株式会社スペランツァ大阪」に移された[5]。
2019年1月22日付でチーム名をスペランツァ大阪高槻に変更した[6]。
下部組織としてラガッツァFC高槻スペランツァ(育成系下部組織)とUSED FC高槻スペランツァ(普及系下部組織、OGチームも兼ねる)が存在した。2005年にラガッツァFC高槻スペランツァが「FC VITORIA」として分離独立した。その後新規にスペランツァFCラガッツァが育成系下部組織チームとして立ち上げられている。また、U-12のスペランツァFC高槻ピンキーズも存在する。
2021年12月17日、大阪府下のより広い地域に根差したクラブ運営を目指し、チーム名をスペランツァ大阪に変更することが発表された[7]。
歴史
- 1990年
-
- 大阪高槻レディースサッカークラブ創部。関西女子サッカーリーグ3部に加盟する
- 1991年
-
- 松下電器レディースサッカークラブ(LSC)・バンビーナ創設。松下電器産業株式会社をスポンサーとして日本女子サッカーリーグ(JLSL:当時の略称)に加盟
- 創設の際に8名が移籍した大阪高槻レディースサッカークラブは下部組織となる。以下、トップチームを中心に記述。
- 1992年
-
- 中国人選手3名加入
- 第4回JLSL 4位 (10チーム)
- 第13回全日本女子サッカー選手権大会 2回戦敗退
- 1993年
-
- 第5回JLSL 9位 (10チーム)
- 第14回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト8
- 1994年
-
- 第12回アジア競技大会に日本代表として門原かおる、埴田真紀が選出される
- 中国人選手1名加入
- 第6回L・リーグ(JLSL改め)総合優勝
- 第15回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト4
- 大阪高槻レディースサッカークラブは「大阪高槻レディースサッカークラブラガッツァ」に名称変更
- 1995年
-
- 地域密着を目指し「松下電器パナソニック バンビーナ」に改称
- 大阪高槻レディースサッカークラブラガッツァも「松下パナソニック ラガッツァ」に
- 第2回世界選手権に門原かおる、埴田真紀が選出
- 中国人選手2名、オーストラリア人選手2名加入
- 第7回L・リーグ 4位 (10チーム)
- 第16回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト8
- 1996年
-
- アトランタオリンピックに門原かおる、埴田真紀が選出
- 中国人選手1名・オーストラリア人選手3名加入
- 第8回L・リーグ 5位 (10チーム)
- 第17回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト8
- OKI L・リーグカップ 4位 (10チーム)
- 1997年
-
- オーストラリア人選手2名、デンマーク選手2名加入
- 第9回L・リーグ 6位 (10チーム)
- 第18回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト8
- OKI L・リーグカップ 3位 (10チーム)
- 1998年
-
- デンマーク人選手3名加入
- 第10回L・リーグ 5位 (10チーム)
- 第19回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト8
- OKI L・リーグカップ 準優勝 (10チーム)
- 1999年
-
- 第12回アジア女子選手権に高倉麻子、木村理恵、鳥越恵、相澤舞衣が選出
- 第11回L・リーグ 5位 (8チーム)
- 第20回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト8
- L・リーグカップ 西日本地区予選リーグ敗退
- 下部組織として「ラガッツァ'99 USED FC」創部
- 2000年
-
- 松下電器産業がスポンサーから撤退し、市民クラブチーム「スペランツァF.C.高槻」に
- 下部組織も「ラガッツァFC高槻スペランツァ」と「ラガッツァ'99USED FC高槻スペランツァ」に
- パン・パシフィック大会に木村理恵、鳥越恵、U-18日本代表に庭田亜樹子が選出
- 第12回L・リーグ 5位 (9チーム)
- 第21回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト4
- 2001年
-
- 第13回アジア女子選手権に木村理恵が、ユニバーシアード日本代表選出に坂口恵子、下小鶴綾、相澤舞衣が選出
- 第13回L・リーグ 7位 (10チーム)
- 第22回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト4
- 2002年
-
- アジア競技大会に相澤舞衣が、U-19日本代表に庭田亜樹子が選出
- 第14回L・リーグ 6位 (11チーム)
- 第23回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト8
- 2003年
-
- ユニバーシアード日本代表に相澤舞衣、庭田亜樹子、下小鶴綾が選出
- 第15回L・リーグ 6位 (13チーム)
- 第24回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト8
- 2004年
-
- アテネオリンピックに日本代表(なでしこジャパン)として下小鶴綾が、U-19日本代表選出に奥田亜希子、阪口夢穂が選出
- 第25回全日本女子選手権 ベスト8
- 2004 L・リーグ1部(L1) 7位 (8チーム)
- 第26回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト16
- 2005年
-
- ユニバーシアード日本代表に庭田亜樹子、奥田亜希子が選出 (銅メダル)
- 高倉麻子が引退により、下小鶴綾がTASAKIペルーレFCへ移籍(田崎真珠へ就職)により退団
- ラガッツァFC高槻スペランツァが独立し「FC VITORIA」となり、下部組織登録選手の阪口夢穂、上辻佑実が離脱
- 2005 L・リーグ1部(L1) 7位 (8チーム)
- 第27回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト8
- 2006年
-
- AFC女子選手権U-19日本代表選出に松田望が選出
- mocなでしこリーグ2006ディビジョン1 7位 (8チーム)。なでしこリーグ2部2位の大原学園JaSRA女子サッカークラブとの入れ替え戦で敗退しディビジョン2降格が決定詳細は「2006 日本女子サッカーリーグ#なでしこリーグ入れ替え戦」を参照
- 第28回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト16
- 2007年
-
- ワールドカッププレーオフ、北京オリンピック予選日本代表に海堀あゆみ選出
- なでしこジャパンプロジェクトに海堀あゆみ、奥田亜希子選出
- mocなでしこリーグ2007ディビジョン2 4位 (8チーム)
- 第29回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト8
- 2008年
-
- なでしこジャパンプロジェクトに奥田亜希子選出
- プレナスなでしこリーグ2008ディビジョン2 2位 (8チーム)。なでしこリーグ1部8位の伊賀フットボールクラブくノ一との入れ替え戦で勝利しディビジョン1昇格が決定。
- 第30回全日本女子サッカー選手権大会 ベスト16詳細は「2008 日本女子サッカーリーグ#なでしこリーグ入れ替え戦」を参照
- 2009年
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- 入れ替え戦で福岡J・アンクラスに敗れ、チャレンジリーグに降格。詳細は「2009 日本女子サッカーリーグ#なでしこリーグ入れ替え戦」を参照
- 入れ替え戦で福岡J・アンクラスに敗れ、チャレンジリーグに降格。
- 2010年
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- なでしこリーグ/チャレンジリーグ入れ替え戦で伊賀フットボールクラブくノ一に敗れ、チャレンジリーグに残留。
- 2011年
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- チャレンジリーグWESTは2位の成績ながら、規定によりなでしこリーグへ昇格(詳細は2011_日本女子サッカーリーグ#入れ替え戦を参照)。
- 2012年
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- クラブ名を「スペランツァFC大阪高槻」へ変更[8]。
- 2013年
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- リーグ戦未勝利で最下位となり、日本女子サッカーリーグで最多の3度目のチャレンジリーグ降格が決定。
- 2014年
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- チャレンジリーグ16勝5分1敗で優勝、1年でのなでしこリーグ復帰を果たす。
- 2015年
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- リーグ戦9位となったため、ノジマステラ神奈川相模原との入れ替え戦に回る。2戦合計2-2で引き分けたものの、アウェーゴール数で上回ったため、1部リーグに残留。
- 2016年
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- クラブ名を「コノミヤ・スペランツァ大阪高槻」へ変更[9]。
- リーグ戦9位となったため、ちふれASエルフェン埼玉との入替え戦に回る。2戦合計1-5で敗れ、2部降格となった。
- 2017年
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- リーグ戦は1勝17敗で最下位となりチャレンジリーグ降格。2年連続の降格となった。
- 2019年
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- クラブ名を「スペランツァ大阪高槻」へ変更[6]。
- 2022年
-
- クラブ名を「スペランツァ大阪」へ変更[7]。
- 2023年
- ^ a b c 矢内由美子 『なでしこの遺伝子―世界頂点へ。日本女子サッカー30年の戦い』、学研パブリッシング、2011年、10頁。
- ^ a b 『【重要】チーム運営会社発足並びにチーム名変更のお知らせ』(プレスリリース)コノミヤ・スペランツァ大阪高槻、2012年2月16日 。2017年11月3日閲覧。
- ^ “サッカー女子:「大阪高槻」チーム名変更し存続”. 毎日新聞. (2016年1月29日) 2017年11月3日閲覧。
- ^ “【サッカー女子】プレナスなでしこリーグの大阪高槻 「コノミヤ」の支援でチーム存続”. 産経ニュース. オリジナルの2016年1月30日時点におけるアーカイブ。 2017年11月3日閲覧。
- ^ 『「コノミヤ・スペランツァ大阪高槻」チーム運営会社変更のお知らせ』(プレスリリース)コノミヤ・スペランツァ大阪高槻、2016年3月14日 。2017年11月3日閲覧。
- ^ a b 『チーム名称変更のお知らせ』(プレスリリース)スペランツァ大阪高槻、2019年1月25日 。2019年3月13日閲覧。
- ^ a b “チーム名変更について”. スペランツァ大阪高槻 オフィシャルサイト (2021年12月17日). 2021年12月19日閲覧。
- ^ 【重要】チーム運営会社発足並びにチーム名変更のお知らせ スペランツァFC大阪高槻 プレスリリース 2012年2月12日閲覧
- ^ プレナスなでしこリーグの大阪高槻、「コノミヤ」の支援でチーム存続 産経ニュース
- ^ “種田 佳織氏 2024シーズン 強化育成統括兼アカデミーダイレクター就任のお知らせ”. スペランツァ大阪高槻 オフィシャルサイト (2023年10月13日). 2023年10月13日閲覧。
- ^ “大野 忍氏 2024シーズントップチーム監督就任のお知らせ”. スペランツァ大阪高槻 オフィシャルサイト (2023年10月13日). 2023年10月13日閲覧。
- ^ “2020プレナスなでしこリーグ1部/2部リーグ開催延期 および 2020プレナスなでしこリーグカップ中止のお知らせ”. 2021年2月28日閲覧。
- ^ “2024シーズン ユニフォームスポンサー決定のお知らせ”. スペランツァ大阪高槻 オフィシャルサイト (2024年2月2日). 2024年2月4日閲覧。
- ^ “PLAYER & STAFF”. スペランツァ大阪オフィシャルサイト (2024年2月16日). 2024年2月18日閲覧。
- ^ “スペランツァ大阪”. 日本女子サッカーリーグ オフィシャルサイト. 2024年3月15日閲覧。
- ^ “大野 忍氏 2024シーズントップチーム監督就任のお知らせ”. スペランツァ大阪オフィシャルサイト (2023年10月13日). 2024年2月18日閲覧。
- ^ “家崎 幹哉氏 トップチーム コーチ就任のお知らせ”. スペランツァ大阪オフィシャルサイト (2024年2月6日). 2024年2月18日閲覧。
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