スクールカースト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/28 18:41 UTC 版)
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スクールカーストという語の初出については、雑誌『AERA』2007年11月19日号に、スクールカーストという言葉を2年ほど前に初めてインターネット上に登録したと述べている当時29歳の男性への取材記事が掲載されている[2]。 2005年には第二次惑星開発委員会メンバーである評論家の中川大地や宇野常寛が運営していた「週刊野ブタ」内においてすでに使用されており、「はてなダイアリーで一時期話題になった」との記述がある[5]。当初はあくまでネットスラングのような扱いであったが、のちに国会での言及[6]や大手メディアでの報道などが続き、社会に一定の定着をみせた言葉となった。2017年の調査では、大学生のスクールカーストという語の認知度は8割を超え[7]、中学生時代に学校内に序列があったという回答の割合も7割にのぼった[8]。
定義
スクールカーストという言葉は、2012年時点では学術的に十分整理された概念ではないが[9]、教育評論家の森口朗の次の定義によって紹介されることが多い[10][11]。
スクールカーストとは、クラス内のステイタスを表す言葉として、近年若者たちの間で定着しつつある言葉です。従来と異なるのは、ステイタスの決定要因が、人気やモテるか否かという点であることです。上位から「一軍、二軍、三軍」「A、B、C」などと呼ばれます。 — 森口朗『いじめの構造』(2007年)
この定義からスクールカーストがクラス内の、生徒間の人気に基づくステイタスを示すということがわかるが、これまでのスクールカースト研究により、スクールカーストにもう一つの重要な特性があるということも判明しつつある。そのステイタスは個人個人のものではなくそれぞれが所属する交友グループのものであり、グループ間の力関係を示すものであるということである[12][13][14][15]。一方、小学校ではグループではなく特定の個人の児童がスクールカーストの上位や下位に位置づけられるという見解もある[16]。
宇都宮大学准教授で教育学者の小原一馬は、グループの閉鎖性にも着目しており[17]、次のような定義を提案している。
スクールカーストとは、小学校の高学年から中学、高校のクラスにおける、生徒の閉鎖的なグループ間に見られる、人気に基づく上下関係の階層構造である — 小原 2021, p. 150
ただしこのように定義する場合には、グループ間の階層構造はあるが、カースト上位がリーダーシップをとり、下位はそれに喜んで従うという「良いスクールカースト」状態を認めることになる[18]。しかし現実には、そのような上位も下位も相互に認め合うという状態は、比較的少ないとされている[19]。小原は、その第一の理由として、「良いスクールカースト」というものはスクールカーストの一般的イメージには合わないので、そもそもスクールカーストとして認識されないであろうことを挙げているが[20]、第二の大きな理由として、閉鎖的な空間では、上位グループによる下位グループに対する「抑圧」の戦略が最も安定的である結果、ほとんどのスクールカーストにおいて抑圧状態が自然に形成されるためと考察している[21]。
歴史
1990年代後半には一部の個人ホームページ上において「学校カースト」という言葉が使用されている[22]。
2000年代に入ると、スクールカーストものの小説が出版されることが多くなった。
2004年にはスクールカーストをテーマにした小説『野ブタ。をプロデュース』が出版される。
2005年にはスクールカーストがはてなキーワードに登録された。同年、日本テレビ系において、ドラマ版『野ブタ。をプロデュース』が放送される。
その後、2006年には著者が当時現役の高校生であり、スクールカーストをテーマにした小説『りはめより100倍恐ろしい』が出版される。同年11月16日の衆議院「青少年問題に関する特別委員会」では参考人となった教育学者の本田由紀が言及したあと[6]、森口も著書『いじめの構造』で2007年に紹介し、その後教育や文芸批評の文脈で議論の対象とされるようになった。
2012年には映画『桐島、部活やめるってよ』が公開され話題となり、同年末にはスクールカーストを表題とした書籍も発売され[23]、また2013年にはドラマ『35歳の高校生』でもテーマとされる(リンク先を参照)などした。
なお、スクールカーストという言葉が流通するようになる前の1990年代から学校内に序列があること自体は研究者から指摘されている[24]。
注釈
- ^ ただし本田は、後述するアンケート調査で「いつも一緒の友だちグループ以外の人とは、特に仲良くしたいと思わない」という質問への否定的な回答が全体の3/4を超えたことを根拠として、自身の所属するグループの外へのコミュニケーション接続の志向も残ってはいることを指摘している[30]。荻上は、(インターネット環境の普及を背景として)全体としてある程度の棲み分けが進行する一方で、個人は単一の島宇宙にとどまるのではなく複数の島宇宙に帰属して常時接続することが求められるとして、これを「コミュニケーションの網状化」と呼んでいる[28]。
- ^ 精神科医の斎藤環は、若者の傾向をコミュニケーション能力は低いが自己像が安定的な「引きこもり系」とコミュニケーション能力は高いが自己像が不安定な「自分探し系」に大別した[37]。
- ^ 一般に社会で人間に対する評価指標がコミュニケーション能力・人間力といった抽象的なものにシフトしているということは、例えばハイパー・メリトクラシーという用語でも論じられている。
- ^ これらは「優しい関係」[57][58]・「マサツ回避の世代」[59]と表現されたりするもので、哲学者のアルトゥル・ショーペンハウアーの寓話であるヤマアラシのジレンマに相当するともいえる[60]。
- ^ いじめを「モラルの低下・混乱によるもの」「社会的偏見・差別による排除的なもの」「閉鎖的な集団内で発生するもの」「特定の個人への暴行・恐喝を反復するもの」の4つに分類した。詳細はいじめ#分類を参照。
- ^ これは森口の著述による。後述する本田の統計調査によれば、一緒に行動する友人の固定性が強いことはカースト上位を得ることにプラスの影響があるとされる[64]。
- ^ インターネット上ではなく現実の空間で行われるいじめのこと。
- ^ 「選抜総選挙」と呼ばれる人気投票(序列化)によって、「おっさんキャラの大島優子」「ギャルキャラの板野友美」といったキャラの分化が促進され、実質的には(個々のアイドルの身体性というより)それらキャラクター性がファンから消費の対象となっている[81]。詳細はAKB48#キャラクター消費を参照。
- ^ キャラ (コミュニケーション)#キャラとアイデンティティを参照。
- ^ 宇野常寛によると、いわゆる空気の読めない人は自己のアイデンティティを「…である」という固定的な自己像に対する承認によって獲得しようとするが、現実には「…した」という具体的な行動によって他者からの人物像が形成されるのであり、現代社会の流動性の高いコミュニティにおいてキャラクターは自身のコミュニケーションによって書き換え可能であるという[88]。
- ^ 荻上チキは、一般に個人が複数のキャラを持っており場面に応じてそのどれかひとつを決めてそれを演じる「キャラ分け」が行われているとしている[87][89]。
- ^ 例えば、中学時代にいじめられていた子供が、中学卒業・高校入学を機会にキャラを変更して(いわゆる「高校デビュー」)カーストの上昇を試みて成功したかに見えても、ひとたび過去の自分の姿を暴露されれば(抑圧が解放されれば)再びカースト最下層への転落を余儀なくされる、ということ[91]。
- ^ 「人気がある」「馬鹿にされている」という一見すると相反する評価を周囲が受けている「いじられキャラ」のことで、道化のように、からかわれる(=いじられる)ことによって人気を得ている[96]。「いじり」はコミュニケーション操作系いじめにつながりかねない否定的な側面も持っており、例えばスクールカーストものとして頻繁に引用される小説『りはめより100倍恐ろしい』のタイトルにある“りはめ”は、意味不明の単語ではなく、「いじり」は「いじめ」よりも恐ろしいという意味である[97]。森口朗は、スクールカーストを規定するコミュニケーション能力の3要素のうち、「同調力は高いが共感力と自己主張力が低い」ものがいじられキャラのポジションにおさまるとしている[98]。
出典
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