シボレー・コルヴェア 世代

シボレー・コルヴェア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/20 17:36 UTC 版)

世代

第1世代(1960 - 1964年)

シボレー・コルヴェア(初代)
概要
製造国 アメリカ合衆国
販売期間 1959年 - 1964年
ボディ
ボディタイプ 2ドアクーペ
2ドアコンバーチブル
2ドアピックアップトラック
4ドアセダン
4ドアワゴン
6ドアバン
8ドアバン
駆動方式 RR
プラットフォーム Y-ボディ
パワートレイン
エンジン 空冷 水平対向6気筒 2,296 cc
空冷 水平対向6気筒 2,375 cc
空冷 水平対向6気筒 2,683 cc
変速機 3速MT/2速AT
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1960年モデルの初期の4ドア・セダンの500と700シリーズは、ベース・モデルの500を2,000 USドル以下の競争力ある価格とするために、快適装備のほとんど無い経済車として考えられていた。

80 hp (60 kW) のエンジンと3速マニュアルトランスミッション(MT)、または2速のパワーグライド(Powerglideオートマチックトランスミッション(AT)を備えたコルヴェアは、小さなエンジンに応じた小型化と軽量化が図られ、加速性能はフルサイズ車シボレー・ビスケインのベーシックな6気筒モデルに比肩するように設計された。スペース効率の面ではリアエンジン車の特徴が活かされ、4ドアセダンモデルの場合、ドア長さで比較すればフルサイズ車と比較してもさほど遜色がない居住スペースが確保されていた。リアエンジン車の多くに共通する傾向として、当初は前部トランクルームにスペアタイヤを搭載しており、1960年1月に導入された2ドア・モデルには荷物の収容能力改善策として折り畳み式後部座席が設えられた。

車室内の暖房用に、荷室内のスペアタイヤ横にガソリン燃焼式ヒーター(gasoline heater)が備えられていたが、これは寒冷時でも水冷エンジン車のような暖機運転なしで即座に温風が出る反面、燃料は走行用のガソリンと共用したため、長い冬や寒い日の燃費が悪化すると感じたユーザーには不評であった。

バリエーションの充実が進められ、実用的なベンチシートのセダンとクーペに加えて、バケットシートを備えた内装のより豪華な「モンザ」こと900が追加された。このモデルは1960年の春にショウルームにお目見えした。モンザには排気効率の良い排気管と合わせ、より鋭敏な設定のカムシャフトにより95 hp (71 kW)の出力を発生する強力エンジンとフルシンクロメッシュ機構付の4速MTという2つのオプションが設定されていた。市場導入が遅かったにもかかわらずモンザは1万2,000台が販売され、最も人気のあるモデルとなった。

コルヴェアは1960年度の『モータートレンド』誌(Motor Trend)のカー・オブ・ザ・イヤー賞に選ばれた。[11]

1961年モデルのモンザは重点的に宣伝され、たびたび「貧者のポルシェ」として言及された。2ドア・クーペに加えモンザ・シリーズは4ドア・セダンにも拡大され約14万4,000台が販売された。

1961年モデル レイクウッド ステーションワゴン

派生モデルとして、水平対向6気筒エンジンを荷室の「下」に押し込んだステーションワゴンのレイクウッド(Lakewood)が1961年に追加された。レイクウッドは車室内に58 ft3と車体前部の「トランク」に10 ft3の合計68 ft3 (1.9 m3) の荷室を確保していた(水平対向エンジンのコンパクトさを利用したこの設計は、ほぼ同時期のフォルクスワーゲン・タイプ3とも類似する)。1961年モデルには4速MTのオプションも追加された。コルヴェアのエンジンは初めてボアを僅かに拡大されて145 cu in となった。モンザに搭載されたベースエンジンはMTとの組み合わせではいまだに80 hp (60 kW)、オプションのATとの組み合わせでは84 hp (63 kW)、高性能エンジン版は98 hp (73 kW)であった。

前部荷室を拡大するため、エアコンを装着していない車のスペアタイヤはエンジンルームに移され、燃焼式ヒーターの不評対策としてシリンダーヘッドから室内へ暖気を導入するダクト・システムに置き換えられたが、燃焼式ヒーターも1964年モデルまでオプションで設定されていた。

コルヴェアは工場装着のエアコンを提供した初めてのコンパクトカーであり、1961年モデルの途中から全天候型エアコン(All Weather Air Conditioning)がオプション設定された。大型のコンデンサーが水平のエンジンファンの上に寝かせて配置され、大きな緑色に塗装された標準のGMフリッジデアー(Frigidaire)・エアコンディショニング・コンプレッサーの逆回転版が使用された。エヴァポレーター本体はダッシュボードの下に備えられ、吹き出し口はラジオの周りに配された。全天候型エアコンは搭載空間が干渉するためワゴン、グリーンブライア/コルヴェア95や後に導入されたターボチャージャー付のモデルには装着できなかった。

さらにシボレーは、コルヴェアのコンパクトな駆動系を利用し、フォルクスワーゲン・タイプ2と同様に運転手が前輪の上に座るキャブオーバー型の小型トラック「コルバン95」シリーズを導入した。

グリーンブライア

「グリーンブライア・スポーツワゴン」(Greenbrier Sportswagon)」は「コルバン95」パネルバンと同じボディに側面ウインドウ・オプションを付けたものを使用していたが、市場ではステーションワゴンとして販売され、内装や塗装のオプションは乗用車と類似のものが提供された。この車は米国で最初のミニバンとして語られている。「コルバン95」にはピックアップトラック版も生産され、この「ロードサイド」(Chevrolet Loadside)は、リアエンジン、キャブオーバーと荷台の中間にある窪みを除けば当時の典型的なピックアップであった。人気のあった「ランプサイド」(Chevrolet Rampside)は、その名称から連想されるようにピックアップの荷台の側面に大きな作り付けのランプドアを備えていた。ランプサイドは荷台から電話線のリールの積み降ろしがし易いことからベルシステムで使用された。

しかしコルヴェアベースの商用車の事業者向け販売は、競合するフォード車よりも約100 USドル高い価格のため、概して振るわなかった。フォードはコルバンに競合する車種として、やはりキャブオーバー式で「ファルコン」系6気筒エンジンを流用した新しいフロントエンジン商用車「エコノライン」を1960年に市場に送り出していた。フロントシート下エンジンのエコノラインは、リーフスプリング支持の固定軸装備、量産規模の大きな大小の水冷直列6気筒エンジン(ファルコン用とフルサイズ車用の流用)の選択が可能で、商用車としてはコルバンより割安だった。もし同じ予算で25台のコルバントラックを購入した場合、フォード・エコノラインであればもう1台を余分に買える計算になった。この問題のために、最終的にコルヴェア系の商用車は1965年で廃止されることになる。

コルヴェア スパイダーのターボチャージャー付きエンジン

1962年、コルヴェアは同じ年のオールズモビル・F85(Oldsmobile F-85)「ターボ・ジェットファイアー」(Turbo Jetfire)と共に、工場装着オプションとしてターボチャージャーを装着した、最初の2台の量産モデルの一方となった。シボレーは150 hp (112 kW)のターボチャージャー・エンジン「モンザ・スパイダー」オプションを、まずモンザ・クーペ、さらに62年の半ばにコンバーチブルに導入した。モンザ・スパイダーは、タコメーターシリンダーヘッドの温度計と吸気管の圧力計を備えたマルチゲージ計器盤を持ち、高性能エンジン版にはフェンダー上に「Spyder」の文字とエンジン・フード上に「Turbo」のロゴが追加された。

ただしコルヴェアにターボチャージャーが採用された背景には、オールズモビル同様な先行的実験要素のほか、「専用の空冷水平対向6気筒エンジンを基本としたパッケージングのため、後から採り得るパワーアップ手段が限られていた」事実があったことも否めない。当時における通常のアメリカ製水冷フロントエンジン車のような「廉価・実用モデル=直列6気筒」「ハイパフォーマンスモデル=大排気量のV型8気筒」というエンジンラインナップを活かした作り分けが、コルヴェアはリアの狭いエンジンルームと前後重量バランスの問題から採用できなかった。またコルヴェアエンジンの大幅な排気量増大や8気筒化なども現実的でなく、パワーアップには若干の排気量拡大以外、大容量キャブレターや過給機の搭載などの追加的チューンアップしか手立てがなかったのである。

500 ステーションワゴンはモンザ・ワゴンが導入されると同時に廃止されていたが、コンバーチブルやシェビーII(同じ工場で生産された)といった新しいモデルが導入されたため、全てのステーションワゴンは年の半ばに廃止された。1962年モデルでは自動隙間調節式ブレーキが新しく装着された。焼結ブレーキ・ライニングと前輪のアンチロールバー付きのヘビーデューティ仕様のサスペンション、リアアクスル・リミット・ストラップ、スプリング・レートの見直しと再適正化されたショックアブソーバーといったものがオプション装備として設定された。 モンザ・クーペは最も人気のモデルとなり、1962年モデルでは総生産台数29万2,531台のコルヴェア中15万1,738台がモンザ・クーペであった。

コルヴェアの1963年モデルでは燃料消費率を改善するために3.08の高いギア比が選べたが、その反面、内装と技術的な変更はごく僅かで、大部分は前年モデルから引き継いだものであった。「ロードサイド」ピックアップはこの年を最後に廃止された。

1964年モデルでは顕著な機構上や安全装備の変更が行われた一方で、ボディや提供されるモデルは前年と同じであった。1964年モデルイヤーは、エンジンがストロークを延ばしたために145から164 cu in (2.3 から 2.7 L) へ排気量を拡大、ベースエンジンの出力は80から95 hp (60から70 kW) へ、高性能版は95から110 hp (70から80 kW) へ強化された。スパイダーのエンジンは排気量が拡大されたにもかかわらず150 hp (112 kW)のままであった。

この1964年モデルでは後輪のスイングアクスル式サスペンションに改良が加えられ、横置きのリーフスプリングが追加されて、後輪のロールを減らし、ニュートラルな操縦性を高めることに貢献、エンジン重量による高い重心位置に対処した。以前のモデルに比べて前後輪のバネレートを柔らかくすることができた。ヘビーデューティ仕様のサスペンションはオプションから落とされたが、全てのモデルで前輪のアンチロールバーが標準装備とされた。ブレーキは後輪が放熱フィン付きドラムブレーキに改良された。残されていたピックアップトラックのランプサイドはこの年のモデルイヤーで廃止された。

第2世代(1965 - 1969年)

シボレー・コルヴェア(2代目)
1965年モデルのコルヴェア
1969年モデルのコルヴェア モンザ
コルヴェア モンザ コンバーチブル
概要
製造国 アメリカ合衆国
販売期間 1964年 - 1969年
ボディ
ボディタイプ 2ドアクーペ
2ドアコンバーチブル
4ドアクーペ(1965-1967年)
6ドアバン(1965年)
駆動方式 RR
プラットフォーム Z-ボディ
パワートレイン
エンジン 空冷 水平対向6気筒 2,683 cc
変速機 2速AT/3速MT/4速MT
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1965年モデルでコルヴェアには劇的なデザイン変更が施された。新しいボディスタイルはシボレー・コルベット スティングレーと1963年モデルのビュイック・リヴィエラBuick Riviera)の影響を受けた形状で、大人しい「コークボトル・スタイリング」("coke bottle styling")は続く15年の間GM車のデザイントレンドとなるものであり、続いて1967年モデルとして出現するシボレー・カマロを示唆するものであった。第2世代のスタイリングは登場した時点で時代とは隔絶していると評価され、第1世代と比較して現在でも通用すると考えられている。オリジナルの後輪スイングアクスル式サスペンションは、コルベットの物に似た完全独立懸架式に換えられた。

カー・アンド・ドライバー』誌のデービッド・E・デービス・ジュニア(David E. Davis Jr.)は1964年10月号の中で1965年型コルヴェアへの熱狂的な愛好振りを示した。 「そしてここでも我々は、コルヴェアが(我々の意見では)'65年モデルとして発表された全ての車の中で最も重要な新型車であり、第二次世界大戦以降にこの国に現れた中で最も美しい車であるということを公式に表明しなければならない。」、「'65年モデルのコルヴェアの写真が我々の編集部に届くと、その封筒を開いた人物は最初にその車の姿を見た喜びと驚きで大きな雄叫びをあげ、30秒の間に全スタッフの各々が自分こそが誰かにそれを最初に見せようとしたがり、それを見た人からの歓声を聞きたがって群がった。」、「実際に車を運転するまでには我々の熱狂も幾分治まっていたが、運転してみるとその熱狂がぶり返した。新しい後輪サスペンション、柔らかくなった前輪のスプリング・レート、大型化されたブレーキ、幾分増強された出力、これら全ての要素が我々を狂ったようにさせて、しぶしぶ試乗車を他に参加しているジャーナリストの手に引き渡さなくてはならなくなるまで我も我もとテストコースに出たがり・・・'65年モデルのコルヴェアは傑出した車である。そうそう速い車とは言えないかもしれないが、我々はこの車を気に入った。」

ベースの95 hp (71 kW) とオプションの 110 hp (82 kW) エンジンは1964年モデルから引き継がれた。新しいコルサ用には以前の150 hp (112 kW) スパイダー用エンジンが140 hp (104 kW) の自然吸気型エンジンに代替された。このエンジンは4連装のシングルスロート型キャブレターを装備した点が通常とは異なり、加えて大径バルブと2本出し排気管を備えていた。ターボチャージャー版の180 hp (134 kW) エンジンはコルサにオプションで設定され、標準が3速、オプション(92 USドル)で4速MTに提供された[12]。140 hp (104 kW) エンジンはMTかパワーグライドAT付きで500とモンザにオプションで設定された。

美しい[13]1965年モデルのコルヴェアには数多くの洗練された装備が備わっていた。コルサには標準でリセット可能なトリップメーター付き140 mph (230 km/h) 目盛りの速度計、6,000 rpm 目盛りの回転計、シリンダーヘッド温度計、秒針付きのアナログ時計、吸気管負圧/圧力計と燃料計を備えた計器盤を持っていた。大幅に改善された暖房システム、シェヴェルから流用してきた大径ブレーキ、強化されたデフの歯車、「デルコトロン・オルタネーター」(Delcotron、ジェネレーター[要曖昧さ回避]に替えて)を装備し、シャーシの大幅な改良が図られた。AM/FMステレオラジオ、ダッシュボード内蔵の全天候対応エアコン、伸縮調整式ステアリングコラムや特製高性能サスペンション、速いギア比のステアリングボックスから成る特製シャーシ装備("Z17")ハンドリング・パッケージ等が1965年モデルの目新しいオプション装備であった。

この時点でステーションワゴン、パネルバンとピックアップトラックといったボディは全て廃止され、1965年モデルは主に事業者ユーザーからの注文に支えられて1,528台が生産されたグリーンブライアの最後の年となった。1965年モデルのコルヴェアは結局23万5,528台が生産された[14]。 シボレーはコルヴェアをベースにしたバンをシェヴィー IIの駆動系を流用した前エンジン/後輪駆動のシボレー・スポーツバン/GMC・ハンディバン(Chevrolet Sportvan/GMC Handi-Van)に代替した。

1966年モデルは本質的には1965年モデルから変更は無かったが、注目すべき唯一の変更点は他のGMの6気筒車が使用していたものよりも高い3.11:1 のギヤ比を持つ標準のサギノウ(Saginaw)製歯車を使用したより頑丈な4速シンクロメッシュMTを備えたことであった。新しい3速と4速のトランスミッションはより大きなトルクに対応しており、古い3速MTは1速にシンクロ機構が付けられ大幅に改良された。前輪サスペンションとボディ下部を覆い、横風の影響を減じるために柔軟プラスチック製エアダム(スポイラー)が車体前部の下に装着された。'66 - '69年モデルのテールライトのレンズはベゼルよりも突き出し、バックライトは内側のテールライトの中で目立たなくなった。車体前部では「ロックドア」エンブレム(トランクの施錠機構を覆っていた)が赤色から青色に変わり、幅が狭まったバーは尖った形状から先端まで曲線状につながるものとなった。「Corvair」のネームプレートはトランクリッド上から運転手側のヘッドライト・ベゼル横に移設された。

この頃、ラルフ・ネーダーの著書の影響と、最高出力が180 hp (130 kW) のコルヴェアに対して最高271 hp (202 kW) までのV8エンジンを搭載する新型マスタング[15]とマスタングの直接競合車となるGM自身の新型車「パンサー」(後に発売されるカマロのコードネーム)の登場の噂でコルヴェアの販売数は下降し始めた。コルヴェアに対する更なる開発の打ち切りが決定され、このモデルイヤーの生産台数は10万3,743台に減少した[16]

1967年モデルではコルヴェア シリーズは500とモンザのハードトップ・クーペとハードトップ・セダン、モンザ・コンバーチブルが用意された。このモデルイヤーで初めて衝撃吸収式のステアリングコラムが装着された。警告灯付き2重回路式マスターシリンダー(Master cylinder)、強化ナイロン製ブレーキホース、強化鋼製(アルミ製に替えて)ドアヒンジ、「マッシュルーム」形の計器盤スイッチとプラスチック製枠の昼夜切り替えバックミラーが全てのモデルで標準装備となった。テールライトのレンズの形状は1966年モデルと同じであったがレンズ内部にあるクロームの輪("wedding band")が厚くなり(このディテールは博識なコルヴェア「マニア」のほとんどでさえ知らない)、この変更は生産終了のモデル末期まで続いた。シボレーはコルヴェアを含む全ての車種に5万-ml (8万 km) までのエンジン保証を導入した。1967年モデルではシボレーはまだカラー版ポスターやディーラーでの「I Love My Corvair」と書かれたバンパーステッカーの配布といった能動的な宣伝活動を行っていたが、生産数と販売数は激減し続けた。1967年モデルは僅か2万7,253台が生産されただけであった[17]

1968年モデルで4ドアのハードトップ・セダンが廃止され、500とモンザのハードトップ・クーペ、モンザ・コンバーチブルの3モデルのみが残された。今や標準装備となったエア・インジェクション・リアクター(「スモッグ・ポンプ」)の追加による熱負荷を考慮して、全天候エアコンがオプションから落とされたことでメーカーオプションのカーエアコンが一般的になりつつあった当時の時勢下での販売に悪影響を与えたかもしれない。GMマルチプレックス・ステレオシステム(GM multiplex stereo system)も新しい接続アダプターの形状が変更されたことによりコルヴェアの9ピンコネクターに接続できなくなったことで廃止された。ボディ側面のマーカーライト、屋根付きモデルのショルダーベルトといった追加の安全装備が各々の連邦規制に則り装着された。全ての宣伝活動は事実上停止され、1968年モデルの販売数は1万5,400台へ下降した。

最後のモデルイヤーの1969年モデルのコルヴェアは生産開始当初から組み立てられているミシガン州のウィローラン工場(Willow Run)でノヴァと共に生産された。6,000台生産されたコルヴェアのうち、モンザ・コンバーチブルは僅か521台であった。ノヴァの受注が好調なことから、1968年11月にはノヴァを優先し、コルヴェアの組み立てを「コルヴェア・ルーム」と呼ばれる工場内の生産ラインから外れた特別の区画で行う決定が下され、これ以降1969年5月14日までコルヴェアの生産は専業チームの手で実質的なハンドメイドで行われた。組み立てられたボディがフィッシャー・ボディ(Fisher Body)から届き、生産ラインから外れた区画で組み立てられるのを待った。

幾人かのコレクターとGM幹部が、最後のコルヴェア(6000番)の購入に強い関心を示していたが、GM経営陣はオリンピック・ゴールド塗色のモンザのハードトップ・クーペを売却しないことに決めた。最終艤装が施された6000番車が(ノヴァと共に)生産ラインから離れ、ディーラーへ送られる輸送貨車に載せられる時に催された小さな式典に、報道陣の代表者がGM幹部と共に出席した。しかし、この車は輸送貨車には載せられなかった。幾つかの記事ではこの車が工場の屋上まで運ばれ、テスト用に保管されている幾台かのコルヴェアと並べて駐車され、後にスクラップにされたと報じられた。この車がGMの重役の元へ行き、公表されていないという説もある。

コルヴェアの終焉に対する反応は、このような素晴らしい車が市場で生き延びられなかったことへの悲しみや後悔から、(ネーダーによる告発以降も)この「欠陥車」を造り続けたシボレーへの厳しい批判まで、様々であった。GMの社則では部外者による工場内における写真撮影は如何なる場合も禁止されていたが、コルヴェアだけは例外でCBS・テレビが最終生産車の短編番組を撮り、レポーターのマイク・パパス(Mike Pappas)は最後の6,000番車が生産ラインから出てくる模様をウィローラン工場で報じた。

日の目を見なかったコルヴェア

1973年モデルのポンティアック・グランダム

シボレーが提案した1970年モデル以降のコルヴェアは、本質的には1965-69年モデルに新しい外装パネルを持った車であった。日の目を見なかったコルヴェアの全体的な外観は、1973年モデルのGM製Aボディのインターミディエート車、特に1973年モデルのポンティアック・グランダムGrand Am)に酷似していた。このコルヴェアは、ガラス面積の広い屋根から先細りの車体後部まで続く曲線に溢れるボディに固定式のクォーターウインドウを持ち、それまでのコルヴェアのプロポーションを受け継いだものであった。この開発計画は1968年初めに破棄されるまでに実物大のクレイモデル作成の段階を終了するところまで進んでいた。

GMでの興味深い開発に、1968年モデルのカマロやそれ以降のほぼ全てのシボレー車に搭載されたターボ・ハイドラマティック(Turbo Hydra-Matic)350トランスミッションがある。ターボ・ハイドラマティック400とは異なり、350はコルヴェアでも使用できる搭載方法を採用していた。1970年モデル以降のコルヴェアが製造されていたら、このトランスミッションがコルヴェアにも搭載できることが分かったであろう。


  1. ^ The Corvair Decade
  2. ^ Flory, p. 23.
  3. ^ Flory, J. "Kelly", Jr. American Cars 1960-1972 (Jefferson, NC: McFarland & Coy, 2004), p. 23.
  4. ^ Fifty years of Corvette
  5. ^ Wallen, Dick. Riverside Raceway: Palace of Speed. Glendale, Arizona: Dick Wallen Productions, 2000.
  6. ^ [1] Corvair Unibody Manufacture Reference
  7. ^ [2] Corvair Production Totals
  8. ^ [3] Chevrolet Corvair: Photo History, by Monty Montgomery, ISBN 978-1-58388-118-7, (2004)
  9. ^ [4] Corvair Manufacture Accessories
  10. ^ Nader, Ralph. Unsafe at Any Speed: The Designed-in Dangers of the American Automobile. New York: Grossman, (revised edition) 1972. ISBN 0-670-74159-0.
  11. ^ Motor Trend Car of the Year Complete Winners List”. 2008年9月21日閲覧。
  12. ^ Flory, p. 353.
  13. ^ Car and Driver
  14. ^ Flory, p.355.
  15. ^ Flory, p. 430.
  16. ^ Flory, p. 432.
  17. ^ Flory, p.506.
  18. ^ Flory, J. "Kelly", Jr. American Cars 1960-1972 (Jefferson, NC: McFarland & Coy, 2004), p. 428.
  19. ^ Brent Fisse and John Braithwaite, The Impact of Publicity on Corporate Offenders. State University of New York Press, 1983. p. 30 ISBN 0-87395-733-4
  20. ^ Gullwing






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