シボレー・コルヴェア 批判

シボレー・コルヴェア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/20 17:36 UTC 版)

批判

操縦性

スイングアクスル式サスペンションの特性:
バンプでキャンバーが変化し、リバウンドでジャッキングが起こる。

フロントエンジン車に慣れ親しんだ一般ユーザーは、リアエンジン車の特性を考慮していなかった[18]。スイングアクスル式サスペンションにより、高速旋回中に後輪のキャンバ角が大きく変化する操縦性は、メルセデス・ベンツフォルクスワーゲンといった同様の後輪スイングアクスル式サスペンションを持つ当時の輸入車の多くと極めてよく似た特性であった。

初期のコルヴェアに適用されたある種のコスト削減、特にアンチロールバーが装着されていない1960 - 1963年式のコルヴェアの操縦性に対する批判は、全く根拠の無いものでもなかった。シボレーは元々、1960年モデルの前輪にアンチロールバーを追加することで、厳しい旋回での移動荷重(weight transfer)の大部分を前輪の外側のタイヤに負わせ、後輪のスリップ角の相当量を減らそうと考えていた。しかし、シボレーはタイヤ空気圧の設定だけでオーバーステア傾向を十分に補正できると判断し、量産車の前輪ではアンチロールバーを採用しなかった。シボレーはオーバーステアに対処するために、前輪に低く、後輪に高くという異なるタイヤ空気圧を推奨した。

初期型のコルヴェアは前輪のタイヤの空気圧を非常に低く(15 - 19 psi:100 - 130 kPa)することで、生来のオーバーステア傾向を回避するように設計され、これにより後輪のスイングアクスル式サスペンションがオーバーステア挙動を示す前に、前輪がアンダーステア(後輪よりも早くスリップ角が増加する)の状態に入るようになっていた。この前輪タイヤの空気圧は、比較的幅広のタイヤ(6.50-13)と、非常に軽いコルヴェアの前輪荷重に対しては十分過ぎる値であった。しかし実際には、ユーザーも整備士も共にこの前後輪でタイヤ空気圧を変える必要性を知らなかったか、メーカーの示した値では前輪タイヤの空気圧が低すぎると考えたことで、一般的な値まで空気を充填してしまうことがしばしばあった。タイヤ空気圧の前後輪間差異が保たれていない場合、非常にシビアな旋回状況では、後輪のスリップ角が前輪のスリップ角を越えて高速域でのオーバーステアを引き起こした。

アンチロールバーは1962年モデルからオプション設定され、1964年モデルで標準装備となった。 ジャッキング(jacking)に関しては多くが語られているが、当時一般に使用されていたバイアスタイヤは、キャンバ角の変化には鈍感で、(ラジアルタイヤとは違い)旋回中にグリップ力を著しく失うことは無かった。「ネーダーはこの操縦性の問題の厳密性を間違いなく誇張していた」と後に米国運輸省道路交通安全局(NHTSA)の調査官は述べた。 コルヴェアに対するネーダーが挙げた証拠の一部にフォード社が制作したプローモーション映像があり、この中でフォード社のテストドライバーは、意図的に不安定に見えるようにコルヴェアを旋回させていた。

『カー・アンド・ドライバー』誌は、コルヴェアを運転するときにドライバーは走行性向の変化に対処する必要があること、特に後輪タイヤを適切な空気圧に保つ必要性があることを知らなかったことでネーダーを批判した。ネーダーが挙げた論点の中で、同様の車両レイアウトを持つポルシェ・911フォルクスワーゲン・ビートルで問題とされる内容は一つも無かった。

1964年モデルでは、後輪のキャンバ角の変化を制限するために横置きのリーフスプリングが左右輪の間に渡され、コイルスプリングを柔らかくすることと合わせてより大きな荷重を受け持てるようにリアサスペンションが大幅改良された。

フルモデルチェンジした1965年モデルのコルヴェアは、同時期のコルベットに極めてよく似た完全独立懸架後輪サスペンションを備えた。再設計されたサスペンションは、どのような運転状況下でも一定のキャンバ角を提供する完全関節式ハーフアクスルを採用し、ロールセンターをそれまでのモデルの半分の高さにまで低めた。1965年モデルのコルヴェアは『モータートレンド』誌(Motor Trend)から「完全独立後輪サスペンションを持って路上を走る最初の米国製量産車」と言及された(コルベットは限定生産車と考えられていた)。しかし、この変更はシボレーが元の設計の問題点への指摘を受け入れた結果、と見る向きもあった。

自動車産業における最大の皮肉かもしれないが、ネーダーの消費者運動により生まれた連邦の官庁であるNHTSAは、1960 - 1963年モデルのコルヴェアの「名誉挽回」の報告書を出した。テキサスA&M大学により運営された1972年度の安全委員会報告書では、1960 - 1963年モデルのコルヴェアが過酷な状況下で同時期の他の車よりも制御を失う危険性が高いとは言えないと結論付けた[19]。一方、元GMの重役であったジョン・デロリアンは著書『晴れた日にはGMが見える』(On a Clear Day You Can See General Motors、1979年)の中でネーダーの批判は根拠のあるものだと書いている。

空冷エンジン

水平の冷却ファンとエンジン後部の横向きのジェネレーターをクランクシャフトから回転させるためプーリーにより90度曲げられたドライブベルト

米国車としてはユニークなコルヴェアのエンジンは、整備士にそれまでとは異なった知識を要求した。初期モデルで共通の問題は、アルミニウムと鉄の混成エンジンの異なる金属の熱膨張率の違いに起因するオイル漏れであった。シボレーはこの生来の問題に、コルヴェアの全生産期間を通じて取り組みかなりの成果を収めた。この問題はアルミ製ブロックとシリンダーヘッドに挿まれた鋳鉄製シリンダーが、左右のエンジンバンクでお互いを押し合いかなり拡大していくことを含んでいた。

オイル漏れの原因はプッシュロッド・チューブの先端に使われているOリングの材質に起因していた。このOリングはコルヴェアのエンジンの運転温度には耐えられないもので、数年するとOリングは硬化し脆くなりオイル漏れを誘発していた。このチューブでの漏れが起こるとオイルはシリンダーヘッドから高温の排気管の上に滴ってオイル焼けの臭気を発し、車体後部の空気排出口から青白い煙をたなびかせることになった。この問題は、1970年代にヴァイトン(Viton)社がプッシュロッド・チューブに密着して500度 Fの運転温度に耐えることのできるOリングを開発するまで続いた。

プッシュロッド・チューブからの慢性的なオイル漏れはGMの選択したプッシュロッド・チューブ用シールの材質に起因し、室内へ送られる暖気も汚すことになった。エンジンルームと車室の間にある幅6-in (152 mm) 長さ16 feet (5 m) のゴム製シールが新品同様の状態に保たれていないと、有害なガスが室内へ漏れ出してくるおそれがある。

暖房システムを通じて室内へ入る煙とガスは、エンジンの発する熱で直接空気を温めて室内用の暖気に利用する空冷エンジン車に付き物の問題であった。排気システムのガスケットが劣化すると、一酸化炭素やその他の有害ガスが室内に流入してくる可能性があった。ガスケットはヒーターボックス用吸気管の内部にあり、エンジンの冷却用空気はヒーターのスイッチが入れられると室内の暖房用にも使用された。

1960年モデルのコルヴェアは、フォルクスワーゲン車がディーラー・オプションの補助ヒーターとして設定していたエーベルスペッヒャー(Eberspächer)・ヒーターに似たGMハリソン・ディヴィジョン(GM Harrison division)の燃焼式ヒーターを標準ヒーターとして前方トランク内に備えていた。この装備は需要が低かったため1961年モデルでオプションとなり、1965年モデルで廃止された。空冷エンジン車の代表例であるフォルクスワーゲン・ビートルは、エンジン冷却用の空気とは隔絶した新鮮な空気を使用するより良い暖房システムを採用していたが、コルヴェアのシステムが排気との接触部を8箇所持つのに対し、ビートルではエンジン後部でマフラーに覆われた2つの熱交換器が一酸化炭素にさらされるだけであった。

レギュレーターが過充電を許容し、元々バッテリー用の放出口が設けられていなかったため室内空気が汚されるおそれもあった。エンジンルーム内に搭載されたバッテリーは過充電になると水素を放出する。シボレーはガスをバッテリーからエンジンルームの外へ排出する特製のバッテリーカバーとホースを装着したが、ユーザーにより取り外されてしまうことが多々あった。

車内の空気汚染の問題は、フォルクスワーゲン・ビートルやコルヴェアが市場に投入される10年はど前から、多くの米国の都市においてエンジンの排気ガスで温められた暖気を暖房用に利用する空冷エンジン車をタクシー用車両として使用することを禁じた規制にも表れており、空冷エンジン車に常に付きまとう問題である。

コルヴェアのエンジンの冷却ファンはエンジン上部に低く水平に置かれ、冷却空気を吹き下ろした。ファンとジェネレーターはエンジン後部のクランクシャフトに掛けられたベルトで駆動された。問題はベルトがプーリーにより2度90度曲げられ、横に捻られることであった。ベルトの負担が大きく、寿命が短くなる。

ステアリング・コラム(1960 - 1965年モデル)

1965年のラルフ・ネーダーの著書ではステアリングコラムの設計にも批判が及んでいた。当時のほとんどの車と同様、コルヴェアのステアリングコラムは強固な材質であり、正面衝突事故に際してステアリングに打ち当たった運転者は串刺しになる可能性があった。コルヴェアのステアリングボックスは前部クロスメンバの先に装着される一方で、クロスメンバ自体はフレーム骨格の十分後ろに置かれていたが、ここは後に「クラッシャブル・ゾーン」("crumple zone")と呼ばれる部位であり、激しい正面衝突でステアリングコラムとハンドルが運転者の方へ押し出される可能性があった。

実際には運転者の胸部の損傷は、ステアリングコラムの突出によるものよりも、シートベルトの非装着に起因するものがほとんどであった。しかし、正面衝突時のステアリングコラム突出による負傷危険性の増加は、(当時の大部分の他車でリスクのあった)激しい衝突時に室内に飛び込んでくるおそれのあるエンジンやトランスミッションを車体前部に持たない、ということの代償以上のものであった。ネーダーの批判を認識したシボレーは、コルヴェア1965年モデルの後期になって折れ易いジョイント付きの2分割式ステアリングシャフトに変更、コルヴェアの生産終了に向けて1967年モデルに衝撃吸収式ステアリングコラムを装着した。


  1. ^ The Corvair Decade
  2. ^ Flory, p. 23.
  3. ^ Flory, J. "Kelly", Jr. American Cars 1960-1972 (Jefferson, NC: McFarland & Coy, 2004), p. 23.
  4. ^ Fifty years of Corvette
  5. ^ Wallen, Dick. Riverside Raceway: Palace of Speed. Glendale, Arizona: Dick Wallen Productions, 2000.
  6. ^ [1] Corvair Unibody Manufacture Reference
  7. ^ [2] Corvair Production Totals
  8. ^ [3] Chevrolet Corvair: Photo History, by Monty Montgomery, ISBN 978-1-58388-118-7, (2004)
  9. ^ [4] Corvair Manufacture Accessories
  10. ^ Nader, Ralph. Unsafe at Any Speed: The Designed-in Dangers of the American Automobile. New York: Grossman, (revised edition) 1972. ISBN 0-670-74159-0.
  11. ^ Motor Trend Car of the Year Complete Winners List”. 2008年9月21日閲覧。
  12. ^ Flory, p. 353.
  13. ^ Car and Driver
  14. ^ Flory, p.355.
  15. ^ Flory, p. 430.
  16. ^ Flory, p. 432.
  17. ^ Flory, p.506.
  18. ^ Flory, J. "Kelly", Jr. American Cars 1960-1972 (Jefferson, NC: McFarland & Coy, 2004), p. 428.
  19. ^ Brent Fisse and John Braithwaite, The Impact of Publicity on Corporate Offenders. State University of New York Press, 1983. p. 30 ISBN 0-87395-733-4
  20. ^ Gullwing






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