エドゥアール・マネ 作品

エドゥアール・マネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 07:23 UTC 版)

作品

カタログ

マネのサイン

マネは、遅筆で、生涯の制作数が比較的少ない。油絵は400点余り、水彩画100点余り、版画100種余りである[188]

マネにはこれまで何種類かのカタログ・レゾネが刊行されている[189]1932年ジョルジュ・ウィルデンシュタイン英語版らにより2巻から成るカタログ・レゾネが発刊され、546点の絵画・パステル画が時系列的に収録された[190]。これを改訂したのがダニエル・ウィルデンシュタインらの1975年のカタログ・レゾネである[191]

時代背景、画風

ファンタン=ラトゥール『ドラクロワ礼賛』1864年。マネ(後列右から3番目)やルグロ、ホイッスラー、ブラックモン、ファンタン=ラトゥール、デュランティ、ボードレールなどの若い画家・批評家は、ドラクロワの革新性を継承していた[192]

19世紀半ば、フランスの絵画を支配していたのは、芸術アカデミーサロン・ド・パリを牙城とするアカデミズム絵画であった。その主流を占める新古典主義は、古代ギリシアにおいて完成された「理想の美」を規範とし、明快で安定した構図を追求した。また、色彩よりも、正確なデッサン(輪郭線)と、陰影による肉付法を重視していた[193]歴史画や神話画が高貴なジャンルとされたのに対し、肖像画や風景画は低俗なジャンルとされていた[194]。明確な美の基準を持たない新興のブルジョワ階級は、伝統的なサロンの権威に盲従していたため、画家が絵を売って生活しようとすれば、サロンで入選し、賞をとることが絶対的な条件となっていた[195]

もっとも、こうした新古典主義に対抗して、ロマン主義を代表するウジェーヌ・ドラクロワは、ヴェネツィア派ピーテル・パウル・ルーベンスを信奉して、豊かな色彩表現を追求し、革命の第1の波をもたらした[196]。次いで、ギュスターヴ・クールベは、写実主義を標榜し、卑近な題材を誠実に描こうとした。これは革命の第2の波であった[197]

ベルタール英語版による『オランピア』の風刺画。1865年。

マネは、保守的なブルジョワであり、彼自身はサロンに対する反旗を掲げるつもりはなく、むしろ過去の巨匠から積極的に学ぶことによって、サロンで成功することを切望していた。そのため、印象派グループ展が立ち上げられても参加せず、サロンへの応募を続けた[198]。しかし、マネの『草上の昼食』や『オランピア』は、本人の意図に反して絵画界にとっての大スキャンダルを巻き起こし、第3の革命の引き金を引くことになった[199]。その革命には、主題の問題と、造形の問題があった[200]

主題の面では、ニンフでも女神でもない現実の女性が、裸身をさらすということ自体、フランス第二帝政時代の厳格な道徳観の下では、強い非難に値した[201]。当時のフランスは、産業革命が急速に進行し、ブルジョワが台頭する時代であり、パリには大量の人口が流入し、都市として急拡大していた。ナポレオン3世セーヌ県知事に任命したジョルジュ・オスマンによって、パリ改造が行われ、中世以来のごみごみした街並みや貧民区が一掃され、大通り、上下水道、アパルトマン、公園、鉄道などのインフラが整備されるとともに、劇場、競馬場、洗練されたレストラン、カフェ、デパートなど、文化や娯楽が花開いた[202]。その中で、娼婦は享楽に湧くパリの裏面を象徴する存在であり、それを露骨に描いた『オランピア』は、ブルジョワ社会に冷や水を浴びせる作品であった[203]。『鉄道』や『バルコニー』では、近代社会における人間同士の冷ややかな関係や、人間疎外の様子を、冷徹に描いた。このように、近代化・都市化する時代をありのままに描くことがマネの本質であった[204]

一方、造形の面では、『草上の昼食』も、『オランピア』も、伝統的な陰影による肉付けが施されておらず、平面的に見える。『笛を吹く少年』では、背景は無地で、奥行きが感じられない。『フォリー・ベルジェールのバー』では、ウェイトレスの正面の姿と、背後の鏡に写った後ろ姿とが、遠近法的に矛盾を来している。このように、マネの作品は、伝統的な約束事にとらわれず、画家が目撃した現実を伝えようとする点で革新的であった[205]。この傾向は、絵画が三次元空間の中で主題や物語性を伝えるという役割を捨て去り、二次元の画面上で造形自体の表現性を追求していくフォーマリズム英語版モダニズムにつながるものであった[206]

伝統的絵画からの影響

マネの生まれた家は、ルーヴル美術館のすぐ近くにあり、マネは、小さい頃から伯父に連れられてここを訪れていた。画家を志した1850年代には、トマ・クチュールの弟子としてルーヴル美術館に登録し、模写をしており、ティツィアーノなどのヴェネツィア派を中心に、フランドル絵画、スペイン絵画の作品の模写が現存している[207]。オランダのアムステルダム国立美術館フィレンツェウフィツィ美術館などヨーロッパ各地の美術館を訪れた際も、模写を残している[208]。また、当時、過去の主要画家の作品を網羅する美術全集や、エッチング図版入りの美術雑誌が刊行されるようになっており、マネは、伝統的な絵画や同時代・外国の作品を複製図版で目にすることができる環境にあった[209]

ティツィアーノ『田園の奏楽』
ラファエロ『パリスの審判』に基づくマルカントニオ・ライモンディの版画

19世紀フランスの画家にとって、ルネサンス期のイタリア絵画は基礎として必ず学ぶべき絵画であり、マネもこれを研究していた[210]。マネの『草上の昼食』は、友人マルセル・プルーストの回想によれば、ティツィアーノ(当時はジョルジョーネ作とされていた)の『田園の奏楽』に発想を得たものである。加えて、3人の人物像を描くに当たっては、ラファエロの『パリスの審判』の右下の3人のポーズを採用し、モデルにポーズをとってもらって制作している[211]。『オランピア』は、ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』に依拠しつつ、その構成要素をことごとく変更することによって、原作の「美しいヌード」を否定した作品である[212]

ゴヤ『マドリード、1808年5月3日』

また、マネは、スペイン絵画からも大きな影響を受け、特に1865年のスペイン旅行後は、ディエゴ・ベラスケスフランシスコ・デ・ゴヤの影響が明らかな作品を多数制作している。マネの『皇帝マクシミリアンの処刑』は、ゴヤの『マドリード、1808年5月3日』を下敷きにした絵であるが、ゴヤが民衆の英雄性、悲劇性を強調しているのに対し、マネの作品には高揚感はなく、冷徹なレアリスムに徹しているのが特徴である[213]。背景のない全身像である『悲劇俳優』や『笛を吹く少年』は、ベラスケスの『道化師パブロ・デ・ヴァリャドリード』に基づいたことが明らかである。マネは、スペイン旅行の直後、手紙に「絵画における自分の理想の実現を彼(ベラスケス)のなかに見出した」と書いている[214]

そのほか、フランドル絵画(ピーテル・パウル・ルーベンスなど)、オランダ絵画(フランス・ハルスなど)、フランス絵画(ル・ナン兄弟アントワーヌ・ヴァトージャン・シメオン・シャルダンなど)の影響を受けた作品も指摘されている[215]

マネは、オールド・マスターの作品から、様々な主題やモチーフを引用し、現代的な文脈に置き直していったといえる[216]

ジャポニスム

マネ『婦人と扇』[注釈 14]。マネの絵画・版画には、日本の美術工芸品が画中に描き込まれた作品や、『北斎漫画』のモチーフを転用した作品も多い[217]

マネの絵画には、1860年代から流行したジャポニスムの影響も指摘されている[218]。マネの『エミール・ゾラの肖像』の背景には、日本の花鳥図屏風と浮世絵が飾られており、浮世絵への関心が窺える。マネの場合、単なる異国趣味として浮世絵を取り入れただけではなく、造形の中にこれを生かしている。『笛を吹く少年』の平面的な彩色には、ベラスケスからのほかに、浮世絵からの影響があると考えられる。『キアサージ号とアラバマ号の海戦』には、伝統的な遠近法と異なり、高い視点と水平線、船を画面の端に寄せる構図が採用されており、日本風の空間表現である。『ボート遊び』の、水平線をなくし背景全体を水面とする構図、モチーフを切り取る手法も、同様である[219]

ゾラは、「マネの単純化された絵画を日本の版画と比較するのは興味深かろう。日本の版画は未知の優美さと見事な色斑によって、マネの絵と似ているのだから。」と書いている[220]

また、色彩の点では、マネの『笛を吹く少年』などに見られる平坦で強い黒は、スペイン絵画からの影響とともに、浮世絵水墨画の影響を受けたことが指摘されている[221]

印象派との関係

バジール『バジールのアトリエ(ラ・コンダミンヌ通り)』1870年[注釈 15]

マネは、若い印象派の画家たちから敬愛を受け、前述のように伝統的な約束事にとらわれない造形という点でも印象派に影響を与えた。フレデリック・バジールの『バジールのアトリエ』では、キャンバスの前でマネがバジールに助言を与えているところが描かれている[222]。明示的にマネにならった作品もあり、モネは、マネの『草上の昼食(水浴)』に発想を得て1865年-66年に同様の主題で『草上の昼食』を制作し[223][注釈 16]ポール・セザンヌも、後述のように、『モデルヌ・オランピア(現代版オランピア)』を制作した[224]

マネ『ロンシャンの競馬場』1864/65-72年[注釈 17]

1864年-65年の『ロンシャンの競馬場』のリトグラフでは、馬は4本脚というような既存の知識に頼ることなく、一見殴り描きのような線で、一瞬の力強い動きを描写している。このような手法は、印象派に引き継がれている[225]

他方、マネが、後輩のモネや弟子のベルト・モリゾら印象派から影響を受けた面もあり、1870年代には、印象派的な様式に近づいている[226]。モネにならって戸外制作を取り入れたり、印象派風の筆触分割を用いたりしている。もっとも、モネに代表される印象派が、光と大気の揺らぎをキャンバスに留めることに集中し、人物をラフな筆触で幻影のように描いたのとは異なり、マネの描く人物には存在感と現実感があり、印象派とはやや関心が異なっていた[227]。印象派が避けようとした黒も積極的に使用している[228]。また、印象派の画家たちが、サイズの小さい作品を多数制作する傾向にあったのに対し、マネは、大きな作品を、毎回2点程度に集約して制作し、サロンに提出していた。これは、マネが、伝統的な歴史画に匹敵する作品を現代の主題と新しい手法で作り上げ、伝統の枠組みの中で認めさせようという野心を持っていたことを示唆する[229]

このように、マネは、印象派の画家たちと影響を与え合っており、印象主義的な要素の濃い作品もあることから、印象派の1人として語られることもあるが、印象派グループ展に参加しなかったことから、印象派そのものには含めず、印象派の指導者あるいは先駆者として位置付けられるのが一般的である[230]

印象派以後への影響

セザンヌ『草上の昼食』[注釈 18]
セザンヌ『モデルヌ・オランピア』[注釈 19]

ポール・セザンヌは、マネの『草上の昼食』、『オランピア』に影響を受け、自ら『草上の昼食』、『モデルヌ・オランピア(現代版オランピア)』を制作した。こうした作品を通じ、セザンヌは、男女関係や女性のヌードをどのように描くのかという課題と向き合い、性的なエネルギーを暴発させるのではなく造形作品として仕上げていくことを学んでいった。また、マネの『温室にて』や『フォリー=ベルジェールのバー』では、厳密な遠近法がとられず、複数の視点から見た形が画面上に統合されているが、これはセザンヌの静物画でも見られる特徴である。現実を単純に模倣するのではなく、自らの感覚で素材を操作し、絵画作品として造形するという発想は、マネからセザンヌ、ピカソにも受け継がれていく[231]

ゴーギャン『マネ「オランピア」の模写』[注釈 20]
ゴーギャン『死霊が見ている

ポール・ゴーギャンも、『オランピア』のかなり忠実な模写を制作している。ゴーギャンのタヒチ時代の作品『死霊が見ている(マナオ・トゥパパウ)』、『テ・アリイ・ヴァヒネ(王の妻)』などの裸婦像には、『オランピア』のイメージが見て取れ、しかも、平坦な色彩を更に押し進めたものとなっている。マネの作品には、ゴーギャンにつながるオリエンタリズムやプリミティヴィスムの要素も隠れていることがうかがえる[232]

アンリ・マティスは、「マネは本能を解放することで自らの感覚の直接的な表現を行った最初の画家です。」と書いている。マティスの『コリウールのフランス窓』に、マネの『バルコニー』からの刺激が見られるとの指摘もある[233]

明示的なパロディとして有名なのは、シュルレアリスムの画家ルネ・マグリットが『バルコニー』の人物を棺桶に置き換えた作品であり、現代人の孤独や孤立性を誇張している[234]

パブロ・ピカソは、1901年に『「オランピア」のパロディー』を描いている。白人の裸婦が黒人になっており、召使いが黒人女性から白人男性に変わり、猫に犬が加わり、裸の自画像が客として描かれている。娼館を舞台とした大作『アビニヨンの娘たち』(1907年)の参照源の一つとなっているとされる[235]。『恋人たち』(1919年)はマネの『ナナ』に依拠しながら大胆に変更を加えた作品で、画面の右上に「Manet」という文字が入っている。そのほかにもマネ作品を引用、再解釈したと考えられる作品がある。晩年のピカソは、過去の名作のヴァリエーション(変奏)を多数制作しているが、1959年8月から1962年7月にかけて、『草上の昼食』のヴァリエーションを手がけ、油彩画27点、デッサン140点、厚紙模型、彫刻などを残している[236]


注釈

  1. ^ ただし、マネ自身は、シュザンヌと結婚した後もレオンを認知していない。このこともあって、近年では、マネの父オーギュストがレオンの父親だという説も浮上している(吉川 (2010: 142))。
  2. ^ 落選展に展示されたこの3作品は、『水浴』(『草上の昼食』)を中央にスペイン趣味の仮装人物画2点を組み合わせた三連画ないし三幅対であるとの指摘がある(三浦 (2018: 95-96))。
  3. ^ モネが1900年に雑誌「ル・タン(現代)」のインタビューで語ったエピソードである。モネは、インタビューで、1866年のこととして述べているが(デンヴァー (1991: 32-34))、記憶違いと思われる(島田 (2009: 19))。
  4. ^ ベラスケス『道化師パブロ・デ・ヴァリャドリード』(当時の表題『フェリペ4世の時代のある有名な俳優の肖像』)1635年頃。油彩、キャンバス、209 × 123 cm。プラド美術館Pablo de Valladolid”. Museo Nacional del Prado. 2017年11月17日閲覧。
  5. ^ 費用は1万8000フランで、高級官僚の年収1年分に相当した。マネの母親が費用を出した(木村 (2012: 108))。
  6. ^ デンヴァー編 (1991: 34-35)は、ザカリー・アストリュクの文章とする。
  7. ^ 油彩、キャンバス、65 × 71 cm。北九州市立美術館
  8. ^ マネは、ドガとともに砲兵隊に志願した。戦争中のパリは、飢餓と流行病が蔓延し、マネは、妻に、人々が猫、犬、ネズミを食べており、運が良い人は馬の肉を手に入れていると、パリの惨状を書き送っている(リウォルド (2004: 197))。
  9. ^ デュラン=リュエルが購入したのは、『スペインの歌手』、『エスパダの衣装を着たヴィクトリーヌ・ムーラン』、『キアサージ号とアラバマ号の戦い』などで、1点400フランから3000フラン、合計3万5000フランに上った(リウォルド (2004: 209))。
  10. ^ ウィキソースには、ルイ・ルロワ「印象派の展覧会」の日本語訳があります。
  11. ^ この年からは、サロンは、官営ではなくなり、フランス芸術家協会が主催するものとなった(島田 (2009: 298))。
  12. ^ 規定では、リュクサンブール美術館の所蔵作品は、作者の死後10年たつとルーヴル美術館に移管されることになっていたが、『オランピア』の場合は、マネの死後10年の1893年になってもルーヴル美術館に移管されず、ルーヴル入りがかなり遅れた。その当時はまだマネが問題のある画家としてとらえられていたことが分かる(三浦 (2018: 220))。
  13. ^ リュクサンブール美術館に収蔵されたのは、『バルコニー』と、女性像『アンジェリーナ』の2点である(三浦 (2018: 249))。
  14. ^ 1873年。油彩、キャンバス、113.5 × 166.5 cm。オルセー美術館La dame aux éventails”. Musée d'Orsay. 2019年5月14日閲覧。
  15. ^ 油彩、キャンバス、98 × 128 cm。オルセー美術館。L'atelier de Bazille”. Musée d'Orsay. 2017年11月22日閲覧。
  16. ^ 『草上の昼食』という題はモネの作品の方が先であり、マネは、これにならって、1867年の個展で『水浴』を『草上の昼食』と変更した(カシャン (2008: 55))。
  17. ^ リトグラフ、50.8 × 38.7 cm。ヒューストン美術館Les Courses (The Races at Longchamps)”. Google Arts & Culture. 2017年11月22日閲覧。
  18. ^ 1870-71年頃、60 × 81 cm。私蔵。
  19. ^ 第2作。1873年頃、46 × 55 cm。オルセー美術館。
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