銀行制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 07:21 UTC 版)
国立銀行 明治政府は不換紙幣である政府紙幣を大量に発行して、1867年から1868年にかけては政府歳入の7割に達していた。この状況を改善するために、イギリス式の中央銀行と、アメリカ式の分権的な銀行を参考に検討をする。結果として、アメリカの国法銀行法(英語版)を参考に国立銀行条例を制定した。この条例は民間銀行による兌換紙幣の発行と貨幣価値の安定をはかる内容で、国立銀行とは「国法によって立てられた銀行」を指すため実態は民間銀行だった。設立された国立銀行は兌換紙幣として銀行券である国立銀行紙幣を発行して、のちに条例改正で不換紙幣の発行も可能となる。国立銀行は決済手段や金融仲介サービスを提供したが、不換紙幣は解消されずインフレーションを招き、紙幣整理が行われた。1880年(明治13年)までに国立銀行は153行が設立され、現在の銀行の起源となったものも多い。国立銀行のほかに、紙幣の発行はできない私立銀行も多数設立された。 中央銀行と日本銀行券 中央銀行として日本銀行が創設され、以後は日本銀行が唯一の発券銀行となって国立銀行紙幣の回収にあたる。最初の日本銀行券として、日本銀行兌換銀券が発行された。銀券発行により日本は銀本位制に移行して、物価の安定は達成したが、当時は国際的に金本位制が普及しており円為替レートは1897年(明治30年)までに40パーセント以上切り下がった。円安によって輸出は促進されるがインフレーションが持続して、金本位制の採用につながる。日本銀行兌換銀券の図柄には、国立銀行紙幣新券の恵比寿に続いて大黒天が採用され、商売繁盛を願うのが理由とされた。
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