bjリーグでの活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:45 UTC 版)
大学卒業後は日本初のプロバスケットボールリーグbjリーグの大阪エヴェッサからドラフト1巡目指名で入団。スタメンとして活躍し、大阪エヴェッサのbjリーグ初代王者(2005-2006シーズン)に貢献した。2年目は全試合でスタメン出場し、ハンフリー、エリスといった相手チームのスコアラーを封じ込める活躍を見せ、2年連続のbjリーグ王者に輝いた。3年目も全試合でスタメン出場、さらに攻撃面でも進歩を見せ、それまで見られなかった1試合で2桁得点を記録することも珍しくなくなった。このシーズンも優勝し、bjリーグ3連覇を達成。シーズン終了後にFAを行使し他チームに移籍する可能性があったが、八尾市のNKS405で行われた「NBA HOOPDREAM」のイベントにて大阪エヴェッサ残留を発表した。 2009年オフ、翌年のドラフト会議1順目指名権とのトレードで埼玉ブロンコスに移籍。移籍2年目の2010-11シーズンは開幕から1試合を除き、スターターとして出場。フル出場する試合も多く、ケニー・サターフィールドらとともに埼玉の球団新記録となる7連勝にも大きく貢献。bjリーグオールスターゲームにもチームイーストのセンター・フォワード部門ブースター投票1位で出場。しかしその直後の滋賀戦で右手を骨折。戦線離脱を余儀なくされる。 2011年オフ、滋賀レイクスターズに移籍。2012年、大分ヒートデビルズに移籍。大分の経営難に伴い移籍を志願し、2012年12月、島根スサノオマジックに移籍。2013-14シーズン終了まで在籍した後、2014-15シーズンは再び大分と契約。bjリーグラストシーズンとなる2015-16シーズンは滋賀に復帰。
※この「bjリーグでの活躍」の解説は、「波多野和也」の解説の一部です。
「bjリーグでの活躍」を含む「波多野和也」の記事については、「波多野和也」の概要を参照ください。
- bjリーグでの活躍のページへのリンク