T160型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:59 UTC 版)
グループBとグループS構想が急遽廃止されたため、1987年のトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)はスープラ(前期型・7M-GTEUを搭載し最高出力410 ps)をST165型までの繋ぎとした。5,000台の販売規定をクリアした1988年にようやくX-TRAC製6速ミッションを搭載したST165型のGT-FOURを投入した。しかし他メーカーとは違い、ラリーで使うことを想定して開発されたわけではないST165型の開発は難航した。ユハ・カンクネンは最初にドライブしたときこのマシンの素性・フィーリングを高く評価したが、一方でエンジンパワーと信頼性の不足に悩まされ続けた。しかし4WD技術、信頼性、軽量化、セッティングなど様々な面での熟成が進んだ末、1990年に遂にランチアの牙城を破り、カルロス・サインツが日本車初のWRCタイトル(ドライバーズチャンピオン)をもたらし、並行参戦していたアジアパシフィックラリー選手権 (APRC) でもサインツがチャンピオンとなった。 またT160型はTRD USAとオール・アメリカン・レーサーズによってIMSAのGTOクラスにも投入され、1987年にクラスチャンピオンとなる活躍を見せた。
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