SPG-59の挫折
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 05:50 UTC 版)
「AN/SPY-1」の記事における「SPG-59の挫折」の解説
ジェット機の登場による経空脅威の増大に対処するため、1957年より、アメリカ海軍は次世代の防空システムとしてタイフォン・システムの開発に着手した。その中核となる多機能レーダーとして開発されたのがAN/SPG-59(英語版)で、目標の捜索から捕捉・追尾、更にTVM方式による艦対空ミサイルの誘導まで、交戦の全ての段階を担うことになっていた。しかし同システムでは、要求性能の高さに対する技術水準の低さなどのために開発は極めて難航しており、特にSPG-59レーダーは信頼性が低く、性能は要求に遠く達しない上に重量過大であった。 1962年には同システムの開発は実質的に打ち切られており、これを受けて1963年、アメリカ海軍は先進水上ミサイル・システム(ASMS)計画を開始した。この計画にあたり、海軍は民間企業に研究と提案書の提出を求めるとともに、独自に選抜した人材による評価グループを設立した。このグループはウィシントン少将をリーダーとし、1965年1月から約1年間という短期集中で作業にあたった。その主要な任務は、ASMSのシステムコンセプトとともに、特にその中核となる多機能レーダーの設計指針を策定することにあった。これによって開発されたのが本レーダーである。
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