O・J・シンプソンの時代
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「バッファロー・ビルズ」の記事における「O・J・シンプソンの時代」の解説
1969年、O・J・シンプソンをドラフトで獲得した。1970年にAFLがNFLに吸収されて、NFL東地区に所属することとなったが、1971年にはリーグ最低の1勝13敗に終わり、得点は最少の184点、失点は最多の394点となった。リッチ・スタジアムが開場した1973年、QBとしてジョー・ファーガソンが加入するとチーム状況は好転した。シンプソンは2,000ヤードラッシャーとなり、チームも1966年以来の勝ち越しを決めた。1974年にはチームはNFLに加入後初めてプレーオフに進出したが、スーパーボウルを制覇したピッツバーグ・スティーラーズに敗れた。その後チームは低迷して1977年のシーズン終了後にシンプソンはサンフランシスコ・49ersにトレードされた。 1975年11月17日、シンシナティ・ベンガルズとのマンデーナイトフットボールで、シンプソンが197ヤードを走ったが、相手QBケン・アンダーソンに447ヤードを投げられて、24-33で敗れた。 1980年は、ビルズにとって特別な年となった。この年マイアミ・ドルフィンズに11年目で初勝利、AFC東地区優勝を決めた。1981年にもプレーオフに出場、1回戦は勝ち上がったが、2回戦でAFCチャンピオンとなったシンシナティ・ベンガルズに敗れた。翌1982年はストライキで短縮されたシーズンを4勝5敗で終えた。1983年のドラフトではジム・ケリーを指名したが彼はUSFLでプレーすることを選んだ。1984年は開幕から11連敗して2勝14敗、1985年も2勝14敗に終わった。
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