NWA - AWA
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「ショーン・マイケルズ」の記事における「NWA - AWA」の解説
18歳の頃にホセ・ロザリオに師事し、1984年10月16日に地元サンアントニオ地区のテキサス・オールスター・レスリングにてアート・クルーズを相手にデビュー。ポール・ダイヤモンドとのタッグチーム「アメリカン・フォース」でキャリアを積み、海外武者修行中だった冬木弘道と川田利明の「ジャパニーズ・フォース」(後のフットルース)との抗争も行われた。 1985年、中西部のミズーリ州やカンザス州をサーキット・エリアとするNWAセントラル・ステーツ地区においてマーティ・ジャネッティとミッドナイト・ロッカーズを結成し、セントラル・ステーツ・タッグ王座を獲得。その後ダラス地区などを転戦し、1986年にAWAに移籍(AWAでは当初「USエクスプレス」と名乗るプランもあった)。翌1987年1月27日、バディ・ローズ&ダグ・サマーズを破りAWA世界タッグ王座を獲得した(この試合は日本でも当時『世界のプロレス』にて放送され、「悲願のタイトル奪取」と報じられた)。 同年夏にWWFと契約するが、ナイトクラブでの乱闘事件が元でわずか2週間で解雇される。その後、ミッドナイト・ロッカーズはAWAに戻り、1987年12月にデニス・コンドリーとランディ・ローズの"オリジナル" ミッドナイト・エクスプレスを下し再びAWA世界タッグ王座を獲得。なお、当時のAWAには後にマネージャーを務めるシェリー・マーテルや、後世に語り継がれる名勝負を残すことになるスコット・ホールも在籍していた。1987年の下期はジェリー・ジャレットとジェリー・ローラーが主宰するテネシー州メンフィスのCWAにも参戦し、AWA南部タッグ王座を2度に渡って獲得している。
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