Mossimo, Inc.(NYSE:MGX)
住所: | 2450 White Road 2nd FloorIrvine, CA 92614United States |
電話: | 1- (949) 797-0200 |
FAX: | 1- (949) 852-1921 |
ウェブサイト: | |
業種: | 耐久消費財 |
業界: | アパレル・服飾 |
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モンテネグロ航空
(MgX から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/23 13:11 UTC 版)
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設立 | 1994年10月24日 | |||
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ハブ空港 | ポドゴリツァ空港 | |||
焦点空港 | ティヴァト空港 ベオグラード・ニコラ・テスラ空港 |
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マイレージサービス | Vision Team | |||
保有機材数 | 6機(+2機) | |||
就航地 | 13都市 | |||
本拠地 | ![]() |
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代表者 | Zoran Đurišić(CEO) | |||
外部リンク | http://www.montenegroairlines.com/ |
モンテネグロ航空(モンテネグロ語: Montenegro erlajns、英語: Montenegro Airlines)は、モンテネグロの航空会社である。
現在は運航を停止しており、モンテネグロのフラッグキャリアはエア・モンテネグロに移行している。

歴史
- 1994年10月24日、当時ユーゴスラビアの一部であったモンテネグロ共和国政府によって設立された。
- 1996年の秋、初の保有機材として、フォッカーF28型機を導入した。
- 1997年5月7日、ポドゴリツァ-バーリ線を開設し、運航を開始した。
- 1999年10月、EU乗り入れ禁止航空会社の指定を解除された。
- 1999年末、初のヨーロッパ路線として、フランクフルト線を開設。
- 2000年6月、国際航空運送協会に加盟した。
- 2003年6月までにフォッカー100型機を4機購入した。
- 2006年のモンテネグロの独立宣言により、セルビアと分離することとなり、また、セルビア政府が保護主義的な政策を展開したために、ニシュ-チューリッヒ線などのドル箱路線の一部を閉鎖する事態となったため、セルビアにマスター・エアウェイズという別会社を設立し、運航の継続を図ろうとしたがこれも認可されなかった。

- 2007年6月、エンブラエル195型機を8年契約で2機リース導入し、最初に1機が納入された後、ロンドン/ガドウィック線とミラノ線を開設した。
- 2009年4月17日、エル・アル航空と共同声明を発表し、株式の30%をエル・アル航空が購入する方針を発表したが、計画は失敗に終わった。
破綻
- 2016年8月、空港運営者への債務支払いに関する裁判所の判決に従わなかったため、口座が凍結されたと報じられた[1]。
- 2020年12月、モンテネグロ政府が会社の閉鎖と清算を発表した。
- 2020年12月26日、全便の運航を停止し、運航を終了すると発表した。
- 2020年12月29日、大臣が、モンテネグロ航空が再編成され、新フラッグキャリアとして、エア・モンテネグロを設立すると発表した[2]。
就航都市

このほかアドリア航空、オーストリア航空、マレーヴ・ハンガリー航空とのコードシェア便も運航している。
事件・事故
- 2005年1月25日午後11時ごろ、ポドゴリツァ空港に着陸予定のフォッカー100型機が誤って滑走路の脇に着陸し、前輪が折れるという事件があった。当時は夜間であったとともに雪が激しく降っており、滑走路の脇に接地後400mほどの地点で前輪が崩れ、700mほど地面を滑ったあと機体は停止した。この事故でパイロット1名と乗客2名が軽い怪我を負ったが、当時大雪の影響でモンテネグロ航空以外の航空会社はすべてポドゴリツァ線を運休していたにもかかわらず運航を強行したとして、乗客がモンテネグロ航空に対する訴えをおこした。
- 2008年1月7日、20人を乗せポドゴリツァ空港に着陸中のフォッカー100型機が被弾するという事件が起きた。定期点検により機体の尾部に弾痕が見つかり、原因は判明していないものの神現祭の祝砲の流れ弾が当たったのではと考えられている。
出典・脚注
外部リンク
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