MGM時代
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「エリッヒ・フォン・シュトロハイム」の記事における「MGM時代」の解説
その後ユニヴァーサルからメトロ・ゴールドウィン・メイヤーに転じ、アメリカの生んだ自然主義作家フランク・ノリスの長編『死の谷』の映画化である『グリード』(1923年、監督・脚本・美術)に取り組むが、作品の舞台を19世紀から現代に移し変え、人間の貪欲と我欲をテーマに、サンフランシスコの無免許歯科医マクティーグとその妻の生活や本能を凄まじいリアリズムで描いた異色の力作であり、シュトロハイムの名を不滅のものにした。 続いての『メリー・ウィドー』(1925年、監督・脚本・美術・衣装)は、フランツ・レハールの名を高らしめた同名のオペレッタの映画化であるが、大部分がシュトロハイム特有の甘さに溢れたオリジナルの脚本で、ウィンナワルツ調の佳作となった。彼は、アメリカ映画空前絶後のリアリストであったが、少年期を過ごして来た帝政末期のウィーンの描写ではロマンチストに変じた。 次作『結婚行進曲』(1928年、監督・主演・脚本・美術・衣装)では、純情娘と甘い恋に耽りつつも家柄を守るために、足が悪く醜い成金娘と望まぬ結婚をする貴族の御曹子でウィーンの遊蕩士官を演じた。1929年、シュトロハイムはグロリア・スワンソン製作・主演の『クィーン・ケリー(英語版)』(監督・脚本・美術)に取り掛かるが、撮影中にスワンソンと衝突し撮影中止となる。1932年、初のトーキーとなる『Walking Down Broadway』を手がけるが、未公開で終わり、同時にこれがシュトロハイムの監督としての最後の作品となった。
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