IWGPヘビー級王座連続防衛記録樹立
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「永田裕志」の記事における「IWGPヘビー級王座連続防衛記録樹立」の解説
2002年4月5日、安田忠夫を破ってIWGPヘビー級王座を奪取する。以降、2003年5月2日に高山善廣に敗退するまで、橋本真也の持っていた防衛回数9を更新する10度の防衛を果たした。 2003年6月6日、ノアの武道館大会に二度目の参戦を果たし、同大会で田上明から勝利を収めた。1ヶ月後の大阪府立体育会館大会で秋山とシングルで対戦し、ここでも勝利を収め、9月12日の武道館大会で小橋建太の保持するGHCヘビー級王座に二度目の挑戦を果たしたが、王座奪取に失敗した。 11月30日、ノア・北海道立総合体育センター(きたえーる)で棚橋と組んで、小橋&本田多聞を倒し、GHCタッグ王座を奪取。12月31日、「INOKI BOM-BA-YE 2003」でエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦し、1分2秒左フックでTKO負けした。なお、イベント開催自体の開催が危ぶまれ、ヒョードル戦が決定したのが試合前日という混乱ぶりで、開催後も安田忠夫と永田のギャラが未払いとなり新日本プロレスが訴訟を起こすなどのドタバタがあった。永田はIWGPの防衛記録を持つなどのプロレスでの戦績と、アマチュアレスリングのバックボーンを持つことから大いに期待されたものの、2001年のミルコ戦に続く敗戦から、その後のプロレス業界の低迷も相まって「プロレス幻想を打ち砕いた」、「プロレス凋落の戦犯」などと批判・揶揄された。 2004年6月12日、全日本・愛知県体育館で、ケンドー・カシンと組んで、小島聡&カズ・ハヤシを倒し、世界タッグ王座を獲得する。3大メジャーのタッグを制覇したのはベイダー、高山善廣に続き3人目。
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