GBL時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/12 15:01 UTC 版)
「ジャパン・サムライ・ベアーズ」の記事における「GBL時代」の解説
将来プロ野球選手を目指したり、あるいは過去にプロ経験がありながら解雇された選手などによるトライアウト(入団オーディション)の合格者や、リーグの副コミッショナーである江本孟紀の人脈などを中心に24人程度の選手が参加していた。監督には元読売ジャイアンツのウォーレン・クロマティが就任。選手の賃金は最低700ドル。 2005年はホームグラウンドがないため、カリフォルニア州、アリゾナ州の他7球団の球場をバス1台で移動。ホテル暮らしを続けていたためトラベリング・チームとも言われた。球場に現れるカブトをかぶったクマの着ぐるみのマスコットキャラクターは通称「サミー」。 選手には、五十嵐貴章(元ヤクルト)や青木智史(元広島)、エクスポズ傘下の3Aオタワでのプレー経験がある根鈴雄次らがいた。投手コーチには堀井恒雄(元横浜)を迎えていた。トレーナーにはドジャース等で経験を積んだNATA公認トレーナー及び米国の医師免許を持つ友広隆行が就いた。 クロマティは指導者としての経験が浅く、選手起用面で試行錯誤を繰り返し、甲子園で松井秀喜を5打席連続敬遠した経験がある河野和洋(専修大学-ヤマハ)ら当初の選手の半分以上に戦力外通告し、選手を入れ替えた。しかし、クロマティはファンや選手、審判とのトラブルが続き、シーズン終了間際に解雇された。 2005年のシーズン成績は33勝57敗で、リーグ最下位に終わった。観客動員数が伸び悩んでいたため、リーグ再編によるチーム削減対象に選ばれ、わずか一年でアメリカ独立リーグから撤退し、チームは解散した。 敵地のうち、カリフォルニア州フラートンには在米邦人らでつくる応援団「侍熊会」があり、日本人留学生らが浴衣を着たり、太鼓をたたいたりして観戦している姿がみられた。
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