C・D家乗っ取り事件(2002年ごろ~2003年10月)
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「尼崎事件」の記事における「C・D家乗っ取り事件(2002年ごろ~2003年10月)」の解説
多額の借金を抱えていたCは中学時代の知り合いだったIと再会し、Iの内縁の妻であるXと知り合い 、2002年ごろ、CはCの弟とK(Cの元妻の連れ子)と共にXのマンションでXらと共同生活をはじめる。2002年11月にはCはXにより学校用務員の仕事を辞めさせられ、退職金の多くをXに奪われた 。 2003年2月、XはKの面倒を誰が見るかを親族で話し合わせ、その結果香川県高松市のD家に嫁いでいたCの妹Dが面倒を見ることになり、2003年2月4日D夫妻がKを連れ帰った。一方でXはKに無理難題を言ってD夫妻を困らせるよう指示を出し、KがD宅で暴れたためDはXにKを引き取るよう泣きついた 。 すると、XはKを預かることができなかったことに対して怒り、自分の身内やDの親族(Cの母やC・Cの弟・Cの妹など)ら10人ほど連れて高松市のD宅に押しかけてきた。XらはDの家に居座り始め、Kの面倒を見ることができない代償やCの借金問題を口実に、金を工面するよう求め、D家の親族も集めて会議をさせた。会議においてXは主にD夫妻やC母、C妹に責任を求め、この時Cはすでに金を持っていなかったため詰め寄られず、Cの弟もXらの言いなりになっていたためXらに責められることはなく、C母・D・C妹はKだけでなく親族であるCやC弟にも殴られた。その対象は最初はCの母が主に受け、その後Dに変わっていったという。当時78歳だったC母は長時間正座させられたり食事制限されたり寒い中1人廊下に出されるなどの虐待を受けたという。また、当時20歳のDの長女と17歳のDの次女Nも両親への暴力を強要され、やがて、NはXに心酔するようになり、通っていた名門高校を中退した。 D家は、親戚からかき集めるなどして、約2000万円をXに渡した。さらに、話し合いの末に、D夫妻は離婚することになり、D夫が親戚から借り集めたD夫からDへの「慰謝料」はそのままXの手に渡った。「慰謝料」を受け取ったXらは40日程居座った高松市のD宅を後にし、尼崎に引きあげた。Dは娘2人を連れて尼崎市に転居したが、直後にはXのもとで生活をしていたようであるという。
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