Boro (Formula One)とは? わかりやすく解説

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ボロ

(Boro (Formula One) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 03:40 UTC 版)

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ボロ
参戦年度 1976年 - 1977年
出走回数 6[1]
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 0
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1976年スペインGP
初勝利 -
最終勝利 -
最終戦 1977年イタリアGP
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ボロBoro)は1976年と1977年にコンストラクターとしてF1に参戦していたオランダのレーシングチーム。ボロとは、Bob and Rody Hoogenboom兄弟の名前からとられた。タイトルスポンサーの名前から、エントリー名は「HBビウェイキング・アラーム・システムズ」(HB Bewaking Alarm Systems)となっていた。

F1参戦

1976年にドライバーはラリー・パーキンスを据えて参戦を開始した。マシンは「ボロ・001」。これは「エンサイン・N175」を改造したものである。もともとのエンサイン自体が中堅チームであることから、ボロがポイントを獲得することは至難の業であった。この年は第4-7,12,13戦にエントリーするも、最高位8位で完走2回、リタイヤ3回、予選落ち1回であった。

1977年もマシンは001で出走。ドライバーはブライアン・ヘントンに変更。この年は第13,14戦にエントリー。しかし、地元オランダGPでは失格、次戦イタリアGPでは予選落ちと散々な結果だった。この年をもってF1から撤退する。

F1における全成績

(key) (太字ポールポジション

チーム シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント 順位
1976年 HBビウェイキング・アラーム・システムズ ボロ・001 コスワース・DFV V8 G BRA
RSA
USW
ESP
BEL
MON
SWE
FRA
GBR
GER
AUT
NED
ITA
CAN
USA
JPN
0 NC
ラリー・パーキンス 13 8 DNQ Ret Ret Ret
1977年 G ARG
BRA
RSA
USW
ESP
MON
BEL
SWE
FRA
GBR
GER
AUT
NED
ITA
USA
CAN
JPN
0 NC
ブライアン・ヘントン DSQ DNQ

脚注

  1. ^ エントリーは8回

関連項目




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