B級映画の終り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:23 UTC 版)
戦後反トラスト法の成立によって、1948年に「パラマウント訴訟」の同意判決が進みメジャー会社のそれまで強固であった製作ー配給ー興行の垂直統合のシステムが崩れて、手持ちの劇場チェーンを切り離すと、メジャー各社のB級映画の製作は中止された。そしてマイナー会社はリパブリック、アライド(モノグラムの後身)、AIPなどがまだ製作を続けたが、しかし、この時期になるともはや純B級ではなくて、普通の長編フィーチャーの長さの映画で二本立て興行を維持するために製作していた。しかしそれも1950年代に入ってからテレビ映画の興隆で各プロダクションもテレビ映画の製作にシフトし、ハリウッドが大作主義に移行するなかでB級映画は無くなった。 この1950年代にリパブリックやアライド、AIPなどのもともとのB級製作会社が自由になった配給状況でB級ではないフィーチャー映画を製作したことは、この時点でもはやA級・B級の区別が無くなったと考えられるが、別の観点から低予算で製作された映画だとしてB級映画と見る見方もある。この期間のB級映画にはA級映画よりもはるかに自由な創造を可能にして映画製作者の「創意と創造性の試金石」となり、今日ではそれぞれのジャンルでの古典として認められて「現代の映画製作者のインスピレーションの源泉となっている」とされている。それは結果として新たな才能の実務的な訓練の場を提供して積極的な役割を果たしたと言える。
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