52 kg級時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 02:29 UTC 版)
「テルマ・モンテイロ」の記事における「52 kg級時代」の解説
リスボンのサンセバスティアン・ダ・ペドレイラ地区で生まれるが、アルマダで育つ。柔道は12歳の時に姉のアナの影響で家の近くにあった柔道教室に通うことで始めるが、同時に取り組んでいた陸上競技やサッカーほどの興味を示せず一旦はやめる。しかしながら、ベイラマル・アスレティッククラブで取り組んでいたサッカーでは、周囲は年上の選手ばかりでベンチに待機することも多かったことなどからサッカーをやめて、14歳の時に再び柔道を習い始める。 本格的に取り組み始めたのは14歳からと比較的遅かったものの、52 kg級の選手としてジュニアでは早くから頭角を現して、ヨーロッパのジュニアの国際大会では何度も上位に入賞する。 18歳の時にはシニアのヨーロッパ選手権でも3位に入る活躍を示して、アテネオリンピックに出場するもののフランスのアナベル・ウラニとルーマニアのイオアナ・アルアス・ディネアに敗れて9位に終わる。 その後、ジュニアのヨーロッパ選手権で優勝を成し遂げると、世界ジュニアに出場して準々決勝で優勝した淑徳大学の西田優香に背負投で有効ポイントを取られて敗れるも3位となる。 2005年には前年に続いてヨーロッパ選手権で3位となり、カイロ世界選手権では優勝した中国の李営に敗れるも、3位決定戦では前年のアテネオリンピックで敗れたディネアに一本勝ちして3位となる。 2006年にはヨーロッパ選手権で初優勝を飾り、さらには23歳以下のヨーロッパ選手権でも優勝を果たす。さらには福岡国際に57 kg級で出場して決勝まで進むも、ロシアのオルガ・ソニナに一本負けして2位に終わる。 2007年にはヨーロッパ選手権で2連覇を果たすが、リオデジャネイロ世界選手権では決勝で中国の石俊杰に効果を取られて2位に終わる。 2008年は北京オリンピックに出場するも、3回戦で優勝した中国の冼東妹に双手刈で一本負け、敗者復活戦でもスペインのアナ・カラスコサに技ありを取られて敗れ、アテネオリンピックに続いて9位に終わる。
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