49B
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/28 23:02 UTC 版)
1968年第3戦モナコGPから投入された改良型マシンは「49B」と呼ばれる。ホイールベースが75mm延長され、問題の多いZF製ギアボックスがヒューランド製5速に変更された。また、フロントノーズ左右にウィングを装着し、エンジンカウルにリアスポイラーを取り付けるなど、ダウンフォース発生を意識したものとなった。後には、ノーズにフロントラジエータ放熱用のダクトが開口された。 第4戦ベルギーGPでフェラーリとブラバムがエンジン上部にミッドウィングを装着すると、ロータスは第7戦イギリスGPからシャパラル風のハイマウント・リアウィングを取り付けた。支柱を後輪のアップライト(サスペンションアーム)に直接マウントし、ダウンフォースがバネ下に作用する方式で、たちまち他チームにも取り入れられた。ロータスは装置を進化させ、最終戦メキシコGPではドライバーがペダルを踏むとウィングが寝てドラッグを減らす可変式を投入した。 ヒルはクラーク亡きあと3勝を挙げ、自身2度目のチャンピオンを獲得。また、プライベーターのロブ・ウォーカー・レーシング・チームに売却された49Bに乗り、ジョー・シフェールが1勝を挙げた。ロータスは3度目のコンストラクターズタイトルを獲得し、選手権2冠を達成した。 1969年はシーズン中に四輪駆動の63を投入する計画だったが失敗作だったため、49Bを継続使用した。第2戦スペインGPではヒルとヨッヘン・リントの2台ともウィングの支柱が折れてクラッシュする重大事故が発生(リントは負傷欠場)。FIAは次戦モナコGP予選中にハイマウントウィングの使用禁止を通達した。 この年のタイトルはマトラ・DFVとジャッキー・スチュワートのものとなったが、リントはアメリカGPでの初勝利と5ポールポジションを獲得し、才能を開花させた。ヒルはモナコGP5勝目を挙げたがアメリカGPで重傷を負い、チームを去ることになった。
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